新着図書が本の森に埋もれていく
恩田陸さんの『図書館の海』という本が、私の読書歴の限りなく原点に近い。人生のターニングポイントだったと思う。このタイトルを一生忘れることはないと思う。
そんな思いを踏まえて、図書館にあるたくさんの蔵書たちを私は“海”よりもあえて“森”に例えたい。古い本から新しい本まで刊行年は関係なく分類別に配架されている書架には、しんとした静寂さとともに雑多性がある。秩序のなかでごちゃまぜになっているように感じる。
たくさんの本でできた森の中に、また新たに仲間入りした本が森の構成員といして配架され埋もれていく。
そう感じるのは、新着図書の配架に携わることが増えたからだろうか。
毎週たくさんの新着図書が配架される。
購入手続き以後、検収・装備などが済んだ図書は、改めてカバーをつけて、まずは新着図書コーナーへ配架する。
実は最近、新着図書コーナーが移動になっている。開架書架の一部にあった新着図書棚から入館してすぐ目の前のスペースへ。
毎週土曜日に新着図書を配架する作業を担うことが多かった私は、新着図書コーナーの移動により、新着図書を手に取る人が明らかに増えたことに驚いた。
自分が配架した新着図書たち、特に、大学生はこんな本に興味を持つだろうな〜とか持ってほしいな〜とか、私の個人的な興味関心でこの本ジャケ映えするな〜とかこの分野の本読みたいな〜とか思いながら楽しく配架し、後日印象に残っている本を手に取っている学生の姿を見ると、ついつい心中ではむふふっと思わずにはいられない。
先週までの新着図書として並んでいた本たちは、早々に通常の開架書架へ配架される。こちらの作業を担うことも多い。
先週新着図書として配架した本たちは、十分にまだ“新着”なのだが、毎週どんどん新たに新着図書が入ってくるので、1週間の展示で次々と新着図書コーナーは回転していく。
先週の新着図書たち、(紛らわしいが)“旧”新着図書たちを通常の開架書架へ配架しながら、ふと、寂しいような悔しいような気持ちになることがある。
この本、新着図書コーナーに並んでいたときは目立っていた (目立つように面置きで配架していた)のに、ここの書架に新たに仲間入りすると、本当にたくさんの本たちのうちの一冊になってしまう。雑多な深い森の中にひっとりと新たに凛と並んでいるたった一本の木。特に刊行年が古い本に囲まれていたりすると、そこだけほんのり明るく見える。
私が実際にこの思いに駆られたのは、「眠れない夜に思う、憧れの女たち』(ミア・カンキマキ著、未延弘子訳,2024年6月刊行)という本で、タイトルや表紙を見て一目で気に入った。読んでみたいなと思った。新着棚コーナーへ配架するときには、張り切って目立つように配架した。
手に取ってパラパラっと眺めている学生の姿を目撃した。
この学生が貸出手続きをしたかどうかはわからないけれど、興味を引く対象であったこと、興味を引いたその一瞬のための裏方のような作業に携われたことに、感激したのだった。私こんな仕事がしたかったの。
その本を、“旧”新着図書として、運常の開架書架に配架してきた。請求記号は993.616 (フィンランド文学、ルポタージュ)である。最後の書架の最後の列。しゃがみ込んで探すでもしないと、なかなか目に入らないかもしれない。
そんな配架作業を終えながら、この本が次に利用者の手に取られることはいつになるだろうと少し寂しい気持ちに思い当ってしまった。いつかだれかの役に立つといい。
ちなみに、開架書架に配架される“旧”新着図書に目が行きがちであることには、思い当たる理由がある。単に装備や状態が新しいというだけではなく、請求記号のラベルの縁の色が、今年度から変わっているのだ。ちょっとうろ覚えだがNDC8からNDC10に変わったことが関係しているのだと思う。
図書館の森には秩序と雑多が混ざっている。そんな森の中で書架を眺めてる時間はなんて贅沢なんだ。