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拝啓、「アニメ見てるほうが楽しい」と2か月で俺を振った元カノへ。


拝啓、「アニメ見ているほうが楽しい」と2か月で俺を振った元カノ様。
 

社会人生活、いかがお過ごしでしょうか。私はめでたく五回目の大学生活を謳歌しています、とは決して言い難い状況です。毎日鬱屈した想いを抱えています。とはいえ福島の片田舎にある実家に帰省しているので、両親に孝行する良い機会と捉えて家事手伝いなどに勤しんでします。花嫁ならぬ花婿修業とでもいいましょうか。
 
私たちが出会ったのは4年前、ピカピカの大学一年生の時でしたね。みなとみらいの夜景、横浜中華街で食べ歩き、週末はクラブでダンス。まさに「国際都市横浜」での新生活に胸を膨らませて上京した3月。「横浜市」という飾りをつけただけの金沢区の田舎感に、バラ色のキャンパスライフが崩れさる音を聞いた4月。  

私含め新入生が失意のままに参加している新歓で、初めてあなたを見かけた時のことを今でも覚えています。

”あの娘可愛くね?”という友達の声に振り向くと、そこには集団の中で控えめに笑うあなたがいました。形容するならば、クラスでかわいい女子ランキングには載らないものの、修学旅行の深夜の恋バナで「俺あの子狙ってるんだ」というと「お前分かってんじゃーん!!」と男子全員からの共感を得られるタイプとでもいいましょうか。高嶺の花より近くのタンポポ。失礼でしょうが、かわいいと思ったのは事実です。

私はそこから鬼気迫る積極性を見せ、みなとみらい散策、鎌倉&逗子の花火大会、オシャレなイタリアンと付き合う前に3回デートを申し込みました。今思えばどれも18歳のくせに背伸びをしすぎたチョイスでした。例えばみなとみらいのデートでは

横浜駅集合

MM線でみなとみらい駅に向かう

赤レンガ内のオシャレな店で食事&ショップ巡り

山下公園で海から夜景を望む

まったくもって完璧すぎるデートプランを立案しました。一回もみなとみらいの地に降り立ったことがない、という不安材料を除けば。
 
当日、赤レンガ倉庫前の広場で偶然にもドイツフェスなるものが開催されており、その中央ではドイツ民謡の「ジンギスカン」が演奏され、フロアの熱狂は高まっていました。おなじみの「ジン!ジン!ジンギスカーン!」のやつです。それを見たとき、入学前に望んでいた「週末はクラブでダンス」も叶いそうだと私自身の興奮も高まっていました。ジンギスカンも場合によればEDMになりえるのです。

 

 "Shall we dance?"

そう彼女に囁きました。この世で一番かっこよく決まりました。彼女の眼にはまるで八頭身のダンサーの如く映っていることでしょう。


 ”私ここで見てるから、踊ってていいよ”

普通に断られました。憎しみはジンギスカンに向きました。「ジンギスカン」とはなんて滑稽な言葉でしょう。好きな人の前で滑稽な言葉を叫びながら滑稽な踊りをするほど滑稽なことはありません。

しかし彼女は笑顔で曲に合わせてその小さな手を叩いていました。恥ずかしそうに、でも一生懸命に。その様に、好きな人が笑ってくれる喜びに勝るものは何もないな、そう強く感じました。その後私は会場一大きな声で歌い、踊りました。

 

そこから2か月ほど経った2017年の6月3日、私たちは晴れて付き合いましたね。なぜ4年前の正確な日付を覚えているかって?部活の同期の背番号「63」と同じだからです。付き合ったことを報告したら背番号にされました。シンプルにめちゃくちゃキモイですね。仕返しに背番号「1224」にしようとしたら4桁は長すぎてダメでした。

告白した時のことです。電話でしどろもどろになりながらも、最後にはストレートに好きだという気持ちを伝えました。長い沈黙の末に「○○君はいい人だと思うけど....」という声を聴き、ああダメだったか、と落胆しかけました。しかし予想に反して「けど…」の後には私に対する肯定的な評価が続き、最後には「付き合ってもいいよ」のとの返事を頂けました。彼女は特殊な接続詞の使い方をするようでした。それすら愛おしく感じたのを覚えています。

そこからの2か月間、「私が作った料理美味しい?」「悪くないけど、めちゃくちゃ美味しいよ」だったり、福島と山梨の地域方言が互いにうつってしまったりと、2人の中で独自の言語体系を築き上げながらも、愛を紡いでいきました。

 

そしてこれから夏がまさに始まるという時、僕は振られました。振られた日は、弱い雨が断続的に降り続くひどく蒸し暑い日でした。
 

振られる少し前、7月後半は夏休み前のテスト期間、そして部活動もシーズンに向けて練習量が増えていく時期でした。そのため会えない日々が長く続き、悶々とした気分の中生活をしていました。

テスト期間が終わり、比較的自由な時間ができてすぐ「今度の金曜日シーパラ(八景島シーパラダイス)に行かない?」と彼女にラインしました。浮かれ気分でいたせいかバイトのシフトを読み違え、間違えてバイト先に行ってしまう程でした。ついでだから働いていってよと店長に言われても、普段だったら断るところ笑顔で了承しました。

筋肉を触ってくるセクハラリーマンに対していつも以上の笑顔で接客をしてる最中、携帯の振動が鳴りました。彼女からの通知でした。意気揚々と開くと

「金曜日は遊べないけど、話したいことがある」

短いメッセージが画面上に映りました。呼吸が浅くなり、視界が徐々に外側から暗くなっていきました。店長に早退を申し出ると、さっきまでとは異なる様子に違和感を感じるような表情をしたあと、快く承諾してくれました。もともと間違えて働いているため、当たり前っちゃ当たり前の話ですが。

付き合っている人から「話したいことがある」と急に連絡来る時は十中八九振られる時だという謎の確信がありました。それまで一度も女性とお付き合いしたことがないのに。前世の記憶でしょうか。まさかたった2か月で終わるわけがない、そう祈るように電話をしたところ、嫌な予感は見事的中し「別れてほしい」と涙ながらに切り出されました。

とりあえず会って話そうと冷静に提案し、後日金沢動物園にて最後のデートをすることが決まりました。シーパラは「今度家族と行くから」と無下にも断られました。

首の皮が1枚繋がっている状況です。ネットの有識者達からは、最後のデートで逆転できればこっちのもんだ、という心強いアドバイスもいただきました。ちなみに最後のデートの舞台である金沢動物園は、金沢文庫駅から直通のバスが出ており、また料金も500円で入れることから、利便性とお財布の優しさの両方を兼ね備えたスポットでした。ただ肉食動物がいないため、いささか迫力に欠けるというのが欠点でしょうか。

 

そしてデート当日、断続的に弱い雨が降り続くなんとも蒸し暑い日でした。開けたり閉じたりを繰り返す傘、肌にまとわりつくぬめぬめとした空気、それにのって鼻に着く動物の不快なにおい。動物の匂いがむしろ好きな私ですから、入園時点で不快指数は臨界点を超えていることが分かりました。彼女の顔もしかめっ面です。この日、ラストデートに金沢動物園をチョイスしたセンスのない男たちは、みな全員運命を共にしました。

入園とともに絶望的な状況を感じとった私は、辛辣な言葉にノックアウトされないようにとする生存戦略なのか分かりませんが、ほとんど記憶がありません。覚えていることといえば、①表題にある通りの振り文句、②雨で嬉しそうに飛び跳ねるカンガルーに殺意を抱いたこと(晴れてる日は地面から一歩も動かないくせに)、③話す素振りから山梨の幼馴染のことが今でも好きなんだと気付いたこと、です。まあまあ覚えていますね。
 
息も絶え絶えに、この動物園を出るまでは付き合ってるということで、と「自宅に着くまでが遠足」的なことを言いました。5分程度の延命空しく、私たちは足早に動物園を抜け出しました。バスでは一言も喋りませんでした。


 

振られたという事実はもちろん、でもなにより「アニメに負けた」というのはなかなかにショックでした。当時の私はアニメを別に好んで見ておらず、なんならオタク的なものとしてむしろ忌避する存在でした。
 
上大岡の映画館で一緒にコナンの映画を見たことを覚えていますか。同時期に上映していた「美女と野獣」を見るつもりで映画に誘ったものの、まさかの視聴済みということが発覚。他多数候補のあるなかでコナンを選択してきた時は、正直耳を疑いました。

いまだからこそ言えますが、僕は映画館でコナンを見る人間の気が知れないのです。だって結局コナン君が犯人を見つけて捕まえるだけでスリルもサスペンスもありません。旅行に出かけたらなんか事件起きて、ちょっと危ない感じを装いつつも圧倒的ハッピーエンドで終わる。親の顔より見た展開です。目黒警部や蘭姉ちゃんが犯人だったら喜んで見ます。

上映中、スクリーンよりむしろ君の反応の方が面白いと感じていました。少年探偵団たちの掛け合いに笑う姿、登場人物の台詞になぜか相槌を打ち、服部が和葉をバイクで救うシーンに自分のことのように顔を赤らめ、エンディングではほろりと涙を流す。映画を見るよりよっぽど充実した時間でした。
 
でも最近は「鬼滅の刃」ブームに乗っかり、徐々にですがアニメを見るようになっています。最近だとアマゾンプライムで「オッドタクシー」を見ました。ポップな動物たちの群像劇かと思いきや、女子高生誘拐事件という重厚な内容が肝を占め、かといって脇役で出てくる芸人さんの台詞回しに思わずクスっと笑ってしまったりと、毎週の更新を心待ちにしているアニメでした。今更アニメへの理解を示しても遅いですね。

 

 

4年前の、しかもたった2か月の話をなぜ今蒸し返すのか、君の声が聞こえてくるようです。僕だって忘れたい。しかし最近Googleフォトが「4年前のあなたはこんなことしていましたよ」と、付き合っていた頃の写真を通知してくるのです。付き合っていた頃の写真は別れて数か月後には消したはずだし、なんなら何回も水没して機種変もしています。

それでもクラウド上に勝手に保存され、一年後、二年後、きっと何十年たっても「過去のお前こんなことしてたんだよ」と当時のほろ苦い記憶をよみがえらせようとしてくるのです。

過去の幸せな記憶が蘇り、現実とギャップに吐きそうになる。一種の自傷行為のように当時の付き合っていたころの写真を見返すと、一緒にカラオケにいった写真がありました。70点台をたたき出す決して上手くはない僕の歌に対して、「君は表現者だね」となんとも言えないフォローをしてくれたことも覚えているでしょうか。きっと記憶の片隅にも残ってないことでしょう。

今思うと”表現者”ってめちゃくちゃいい言葉ですね。上手い下手といった観点ではなく、想いが届くか届かないか、想いを表すか表さないかという目線。機械やAIでは決して計ることの出来ない、人間らしいという点で評価されているように感じます。いいように受け取りすぎでしょうか。


でも、あなたのその優しさを帯びる言葉は、あの2か月のような人生で一番キラキラした瞬間を誰かに届けることができる、そのために僕は文章を書いているのではないか、そう錯覚させるのです。



当時コロナなんか存在せず、将来とか、就活とか、未来が、世の中の全てがどうでもいいくらいに毎日が輝いて見えていました。

大学で好きなことを好きなだけ勉強して、部活では先輩に揉まれながらも同期と切磋琢磨しあい、そしてあなたがいました。

たった2か月ですが、間違いなく私の人生で一番充実した時間でした。嘘偽りなく、心からそう誓うことが出来ます。




福島の空はとても綺麗です。

いつかこの美しさを文章にのせてあなたのもとへ送ります。

ネットの海を漂流して、この手紙がいつの日かあなたのもとへ届いたら、山梨の空の方がきれいだよ、と皮肉の1つでも送ってください。


そして、最近見たアニメの話でも一緒にしませんか。


                                敬具

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