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何にでもなれるこの時代に、何者にもなれないことが怖いのです



「最低を経験した俺にしかできない、最高の組織を作りたい」

昨年の就活ではそう言っていた。都内某コンサルティング会社。「ひとりひとりの本気がこの世界を熱くする」という謳い文句に惹かれ、インターンに参加。たまたま高校の仲良かった同級生がいたこともありとんとん拍子で選考会を通過し、インターンも通過、何度かの面接を経て内定を頂いた


選考途中で出会った学生たちは気の良い人ばかりだった。求める人物像に、「熱さ・賢さ・気持ちよさ・強さ」の4つの要素を挙げていることもあり、妥当性を感じた。俺は賢さに難があるものの、熱さや気持ちよさを評価してもらえたらしい


「コンサルティングに賢くない奴はいらないのでは?」という至極まっとうな意見に対して少し補足すると、論理よりも情理、つまり感情を重要な資質として捉えていたというのもある。たまには熱いバカもいたっていいよね、的な感じだろうか


でもね、想像以上に周りが優秀に見えてしまった。高学歴ばかりのメンツに、「意識高い系」と揶揄するまもない、本当に意識の高いやつら。内定者内だけでもそれを感じるんだもの、実際に働いてみたところで組織のレベルについていけなかったようにも思う


あとは、精神的に病んでしまった、という声を多数聞いたのもある。直接聞いたわけではないんだけど。「大いなる志には、大いなる犠牲が伴う」とかよく漫画とかで悪役が言うセリフのように、本気で世界を変えようとしている中誰もが無事でラッキー、みたいなのは確かにありえないのかも。今の状況が決定してどこかほっとした自分もいたんだよね


とどのつまり俺は「賢さ」だけでなく、「強さ」も無かったというわけです


熱い言葉だけを武器に、笑顔で表面を取り繕った身体だけがデカい男は、他人の評価を気にする器の小ささ、そして弱っちい心を有していました。おしまい


それに比べ選考途中で出会った学生や社会人の方々、めっちゃかっこよかったな。多種多様な経歴を持ち、言葉の節々から自信の表れを感じた


例えばインターン。メンバーの学歴は早稲田、慶応、東大院、一橋などのそうそうたるメンツ。ある企業の過去の売り上げや従業員規模、組織図といった定量的データと現場で働く社員のインタビューという定性的データを駆使し、業績を上げる施策を考えなさい、という内容


そもそも「定性的」と「定量的」の違いが分からない時点でお察し。ひきつった笑顔でボード消しやら弁当を片付けるなどの雑務をこなしていた。誰に言われたわけでもなく、率先して。そんな俺に対してメンバーは優しかった。ちゃんと俺にもわかるように説明をしてくれたし、「グループが仲良くできたのは君がいてくれたおかげだよ」と心暖かいことも言ってくれた。プライドなんて元々ないから、微々たる貢献ができていただけでも純粋に嬉しかった。それでもメンバーとの圧倒的な壁を感じてしまったのも事実。君たちの方が社会に対して何億倍も有意義な存在だよ


おそらくだけど、コンサルティングって何かカッケー、くらいの想いを抱いているころが丁度良かった


「今何してんの?」
「銀座でコンサルティングしてるかな」


組織を変えたいという想いは確かにあった。けど一番は周囲に自慢したいだけだった。肩書に酔い、現実を知り、スタートラインに立つまでもなく退場。ギャグかよ。実際すでに切り替えて笑い飛ばしている。メンタルが強いのか弱いのか分からない。自己肯定感が強いのも問題があるに違いない。自らを省みるということをしないからね


「何者」

朝井リョウ原作の『何者』という映画は大学二年生の時に見た。

サークルで脚本を書き、人を分析するのが得意な拓人。何も考えていないように見えて、着実に内定に近づいていく光太郎。光太郎の元カノで、拓人が思いを寄せる実直な瑞月。「意識高い系」だが、なかなか結果が出ない理香。就活はしないと宣言し、就活は決められたルールに乗るだけだと言いながら、焦りを隠せない隆良。瑞月の留学仲間・理香が拓人たちと同じアパートに住んでいるとわかり、理香と同棲中の隆良を交えた22歳の大学生5人は、理香の部屋を「就活対策本部」として定期的に集まる。海外ボランティアの経験、サークル活動、手作り名刺などのさまざまなツールを駆使して就活に臨み、それぞれの思いや悩みをSNSに吐き出しながら就活に励む。SNSや面接で発する言葉の奥に見え隠れする本音や自意識が、それぞれの抱く思いを複雑に交錯し、人間関係は徐々に変化していく。やがて内定をもらった「裏切り者」が現れたとき、これまで抑えられていた妬みや本音が露になり、ようやく彼らは自分を見つめ直す。     (wikiより)


他人がうらやむような華々しい社会人生活を送るための、スタートラインとしての就活。小学生のころの記憶を洗い出すような入念な自己分析を行い、SPIや適性検査の勉強に多大な時間をかけ、IR情報や中期経営計画書、はたまた株主総会資料を読み込むことで第一志望の大企業から「内定」をいただく。憧れの『何者か』になるために、就活は決して避けては通ることができない


TwitterやInstagram、FacebookといったSNSでは、時代の寵児と称された経営者から自称五大商社勤務サラリーマン、インフルエンサーなどの投稿を見ることができる。彼らはめっちゃ外食するし、めっちゃ高級車を乗り回すし、めっちゃ高い高層ビルに住む。上を見ればきりがないのは重々承知していても、やはり羨望の気持ちはふつふつと湧き上がる


何かめっちゃ「きらきら」してるんよね


まるで初めて渋谷に降り立った時のような感覚。ギラギラしたネオンの明かり。エネルギーに満ち満ちた人の雑多さ。「渋谷にいる人」というだけで無条件に降服してしまう。田舎から上京してきて初めて東京の地を踏む、あの言葉に出来ない憧れの気持ち。田舎っぺマインドなんて数年でなくなったと思いきや、シンクのざらついた錆のように決して消え去ることなく、心の奥底にこびりついている


SNSでそういった投稿を見るたびに、「きらきら」を羨む気持ちが増殖していく。自分は自分だし他人は他人と抑えこめていると思いきや、気づかれないように水面下で想いは増えている


ポンっと投稿するだけならまだいい。あいつらは「君たちは行動してないだけ、人は変われる」とほざく。実際人は変われるのだろう。昔はやんちゃしてたとか数年前はフリーターだった経営者もいる。もちろん情報商材を売りつけるだけのやつらは除く


特に、ベンチャー創業系やスタートアップの代表してます系に多い。データに基づいた論理的な発言ではなく、自らの経験や体験に基づいた発言。「俺は変われた。こうこうこうしたからだ。だから君も変われる。」どう考えても失敗した人の方が多い。しかし失敗した人の発信は、成功者の発信よりも多くの人の目に触れずらい。人は成功体験を好むからだ


でも成功してるから「きらきら」しているのかな? ふと疑問に思う

ケース1:都内で大手役員を務め、年収もうん千万。高層ビルで家族やペットと共に過ごしてます

ケース2:売れないバンドマンや漫画家。事業に失敗した創業者。


羨ましいのは前者。でもどちらが「きらきら」しているかと考えたときに、個人的には後者の方が「きらきら」してると感じる。後者が成功しているとはまったく言い難い。「きらきら」っていったいなんだ?


後者のやつらのモチベーションの源泉を想像する

絶対にバントで武道館ライブを公演してやる!

ワンピースみたいな世界に通用する漫画を描いてやるぜ!

今度こそ、日本にインパクトを与えるような会社を作ってみせるぞ!


誰もが熱い「夢」を抱いている。それを大人になっても抱いてる人間は「きらきら」している。めちゃくちゃ描いててダサいけど、この「きらきら」の成分はなんだと思う。大それた夢を恥ずかしげもなく語る。夢ってなんかきらきらしてない?


羨望の気持ちを因数分解すると「夢」×「成功」。ただの成功者じゃつまらない。成功してなおバカげた夢を抱いてる人たちはかっこいい。SNSで見かける人たちに現状に満足してるやつなんかいないんじゃないかな


「夢」ってやつは大きければ大きいほど周囲からバカにされる。夢を語るとかダサいし、なんなら少しイタいやつだと思われちゃう。面と向かって言われるのはまだいい。同窓会とかで「あいつ夢とか追いかけてるらしいよ(笑)」と嘲笑される。俺も実際陰でバカにしてしまった経験もある


いつから実現可能な範囲で夢を語るようになったのだろう。夢を抱くことが子ども時代の特権だと思い込んでしまったのはなぜだろう。現実を一切考慮せず、実現が困難な夢を語るのはダサい。けど、はなからバカにしてる俺が一番ダサい


夢は「好き」という気持ちから始まるらしい

友達が教えてくれた話がある。昨年広告業界を志望していたにもかかわらず、全く内定が出ずに悩んでいた。秋まで続いた就活。「なぜ広告業界を志望するのですか?」という問いに対し、様々な感情が入り混じり素直な気持ちをぶちまけた。田舎出身の私は都会に憧れの気持ちがある。広告業界と言えば華やかな世界だと思い、それに純粋に憧れたと素直に語った


面接官は親身に聞いてくれた後にこう語った。「その『好き』という気持ちを大切にしてください。心からそう思える『何か』があれば、どんな企業でも大丈夫です」と


俺の好きなものはなんだ。前回書いた通り「童貞」が好きだ。喋ることも好きだ。くだらないことをやって、みんながアホだなあいつ、って笑ってくれることが好きだ。コロナが蔓延し人と会うことが少なくなってしまった。だからnoteを書き始めた。最初は確かに恥ずかしかったけど、徐々にスキの数も多くなってきたし、読んでくださる方が増えてきた。しかもインスタで感想をわざわざDMでくださる人もいる。さらには、こんな拙い文章に対してお金を払いサポートしてくださる方もいる


ある日突然「生きる励みになっています」との感想と共に、決して少なくない金額をサポートしていただいた。いろいろな感情がごちゃごちゃになり、自分の部屋で思わず泣いた。めちゃくちゃバカで、死ぬほどダサくて、弱っちい俺が初めて人の役に立てた。感動で泣きながら「生きてて良かった」と何度も何度も思った。決して大げさではない。心の底からそう思った


本を読むのが好きだった子ども時代。文章を書く楽しさを知った青年時代。もしかしたら俺のやりたいことは、こっち方面なのかもしれない


どんなことがあろうともこのnoteはぜっっったいに続けてやる。才能がないとしても、めっちゃ滑ってるとしても、「続けてさえいれば『何か』になれるんじゃないか?」って勘違いしながら書きまくってやる



きらきらなんかしてなくてもいい

むしろ泥臭いくらいの方がいい

「あいつ少し暑苦しいけど、でも少しかっこいいよね」

そう言われるまで頑張ってやる!


「何者」でもない「俺」になってやるぜ!!!


待ってろよ未来!!!!!!!!!!!!!!!


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↑歯並びがきれい!


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