コンテンツ「消費」ではなく、コンテンツ「●●」が求められる時代へ。
最近は落ち着いたように感じることもありますが(日常に溶け込んだのかもしれません)、情報社会が到来して以来、多くの個人が自分自身で情報発信する力をつけ始め、コンテンツ時代が訪れました。
情報を発信することが仕事になったり、情報を発信することが自己肯定感を上げたり、情報は人間が持つ生きるための本質、まさに哲学や日常生活まで一変させてきました。
情報社会時代が来るまで、例えば家で育児や家事を主にする人のことを"専業主婦"や"専業主夫"と呼び、多くの場合社会で活躍することはありませんでした。しかし、インターネットの台頭でSNSやブログサイトを使って情報を拡散できるようになってから、インフルエンサーとしてお金を稼ぐ専業主婦や専業主夫が現れ始めました。まさに一般人が有名人になれる時代の到来です。
これは専業主婦(主夫)に限ったことではありません。学生であれ、会社員であれ、アーティストであれ、自分だけが持つコンテンツを消費しながら仕事に繋げるといったことがビジネスとして可能性を広げ続けてきたのです。その代表格がYouTuberだと思います。映像を通して今では年収1億円を超える一般人がゴロゴロと出始めました。
一方で、人々は、その輝かしい成功例だけを見て、表裏一体で存在する危険性については、まだまだ把握が疎いのではないかと感じることがあります。
日常から探し始めたコンテンツ
以前このような記事を書いたことがあります。
要約すると、親が子どもの情報をコンテンツとして扱うことによって、将来子どもが事件に巻き込まれる可能性について書きました。ホットリーディングと呼ばれる詐欺師が人を騙す時に使う方法が、今のインターネットの中にある情報を使えば容易になるという内容です。
ホットリーディング
カウンセリングに際して、事前に得た情報を利用すること。なぜ占い師が、様々な事実を言い当てることができるかということを説明するために、こうした技法が紹介されることがある。(Wikipedea参照)
日常コンテンツは確かに「その人だけが持つコンテンツ」として、仕事になったり、お金になったりする原石だと思います。しかし宇宙ゴミのように未来に残っていく負の遺産にもなるのです。
また、すごいスピードで多くの情報が消費されていく現代において、一時的にでも「自分だけが持つコンテンツ」が注目されると、一瞬で多くの人がそれを利用し、消費しようと集まってきます。それはまるでハイエナのように...。
なぜだかわかるでしょうか?
それだけ早いスピードで、情報は消費されるようになったと共に、もっとも怖いものが「飽き」という意識となりました。誰もが新鮮さを求め、すこしでも新しい(ように見える)ものが出てくれば、すぐに飛びつき、一時的に利用し、またすぐにそれを捨てて、もっともっと、と次の新しいものへ飛びついていく...。
そうして消費されるだけされた「自分だけが持つコンテンツ」のある人たちはそのあと、どのように感じるでしょうか...?容易に想像していただけると思います。そこに加えて、消費されるだけされたコンテンツは、先に書いた通り、未来に向けてその人にとっての負の遺産にもなり得るというリスクも同時に孕んでいます。そのリスクについては、消費した人々が肩代わりしていくれるものではありません。
コンテンツではなく日常をより良くを意識する
ところで、僕が関わるクレイジータンクでは、ある時からコンテンツという言葉を使わなくなりました。例えばクレイジータンクメンバーの誰かがほぼ毎日ツイッターに投稿している「#クレタンスーパー研究」では、メンバーがスーパーマーケットに行き、買って食べた商品、使ってみて良かった商品を感想と共に紹介する活動を展開しています。
一見スーパーマーケットの商品を「コンテンツ」として扱っているように見えるかもしれませんが、クレイジータンクではある一つの想いを大切にしています。それは
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