「発想」に価値を見出す世界を目指して
長年ものづくりやサービス作りに関わってきて、ずっと疑問に思ったり、追い求めてきた世界があります。
それは「発想」に価値を見出すこと。逆にいえば特に日本では「発想」への価値が過小評価されていることに疑問と不安を感じてきました。
発想に価値を見出すことの価値
例えばアクセサリーを作って販売する時に、材料費や人件費(製作時間)を元に価格を決定するだけではなく、そこにどんなコンセプトや企画力が入っているのかを一番に考えて価格を決めてること、そしてその発想に価値を感じてもらい、購入してもらえるかをいつも意識しています。
例えばクレイジータンクで製作した「本好きのためのイヤリング」。
「本好きのためのイヤリング」は確かに材料だけ見ても高価な物です。しかし価格を決定する際に重要視することはそこではありません。
これまでのイヤリングでは考えられてこなかった「本を読むこととブックマークすること」と「イヤリングのデザイン」が融合するという発想に価値を感じています。その価値を感じてくださった方からこんなお言葉もいただきました。
「電車の中で本を読む女性が、降りる駅でさらっと耳からイヤリングを外して本に挟む。その姿に萌えます。」
イヤリングをイヤリングとして楽しむだけではなく、本の楽しみ方が変わったり、お出かけの楽しみ方が変わったり、自分の見られ方すら変わり、色々な変化を起こす可能性のあるイヤリングなのです。まさに発想に価値がある作品なのです。
この発想に価値を見い出さず、例えば材料費が1000円だから販売価格は3000円くらいでしょう?と言われると、驚くことがあります。発想はデザイナーにとって無形の価値であり、その無形の価値にこそデザインという分野の可能性がまだ残されています。
発想のデザインとしての可能性
ではなぜ無形の価値となる「発想」にデザインとしての価値が残っているのでしょうか。
僕は今から約14年前に当時ユビキタスと呼ばれたテクノロジーに出会いました。当時建築デザインを学んでいた僕が予測した未来の中に「デザインはテクノロジーが自動的に作り出していく」という思考があります。
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明日の世界を手に入れる
このマガジンではスペキュラティブデザイン(問題提起をするデザイン)を中心としたこれから起こりうる未来予測に関する内容を中心とした記事集です…
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