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日本農法を北米で実験する 7

 早いもので11月の上旬になってしまいました。昨日と今日は、Vancouverの天気は久々の快晴でした。この時期になると、ほとんど雨で畑仕事もできないほどの天気が続きます。
 そんな中で、ロシアン・ガーリックを植えてきました。11月下旬にはすべてを終わらそうと思っています。なかなか、50歳を超えると昔のようには体が動きません。以前だったら、2~3時間で終わっていた仕事が、1日がかりでの作業になってしまい、想うように進まないのが現状です。それに加えて、天候に左右されて雨水を含んだ土の重いこと。ここ数年は、小型の耕運機を使わずにすべて手作業に変えての作業にしました。
 いましている農法は、日本で言いう有機農法で科学肥料や農薬を一切使わずに、有機物のリサイクルだけでしています。この方法に変えてから、まったく堆肥の費用がかからず、ゼロ投資で良質の土を作ることに成功しました。10年前は、肥料やピートモスや鶏糞や牛糞などの堆肥を購入し、年間数ドルは使っていました。いまは、肥料や堆肥の高騰で当時の2倍ぐらいはすると思います。それが、ゼロになったことは経費的にもエコロジーの観点からも、いいこと尽くしのSustainable Development Goalsとでもいったところでしょうか。(個人的には、日本人がこの言葉を使うことは嫌いです。今回は、あえて使いましたが。そもそも日本文化は、こんな言葉が出来る前から生活空間と一体となって社会が成立していたから、こんな言葉に振り回されている日本人はどうかと思って見ています。
 数年前にSDGsを真剣に討論をしている日本人を見て、違和感と同時に西洋の作られた利権に振り回される、猿回しを見ているようでした。そもそも、日本の伝統工芸や文化や生活空間は、自然界との永続的共生関係の中で
作ってきたものです。横文字にしたり舶来モノになると、付加価値を置いてしまう精神構造は、日本人の劣化の現れの様な気がしています。そして、SDGsを声高に語っている人ほど、現場仕事には降りてこないで俯瞰している態度に違和感すら覚えます。)

 話しは脱線しましたが、有機物の循環システムをつくることによって、無駄な費用と労力が軽減できることに気づきました。

 写真の1
 この夏に出た夏野菜の葉や茎を、乾燥させてしばらく置いておきました。

1 枯葉や芝をかぶせる前

写真2
 そこに枯葉と芝のカットしたものを上に載せます。

2 有機物をかぶせた後

 しばらくすると、下の方から腐敗をしていきます。加えて、雑草などはほとんど生えないで雑草の駆除の労働が減ります。
 もっとわかりやすい事例は、写真3です。10月の上旬ですが、ビートとニンジンが少し残っていたので、しばらく放置していました。そうしたら、雑草が至る所で生えてきたので、夏野菜を収穫してその上に枯葉をかぶせて、雑草が生えない状態にしました。光合成が出来ないので、雑草は生えてこなくなりました。

3 夏野菜が終わり雑草が生えてきている。

 写真4が、1ヶ月後には変わりました。真ん中の部分は耕して、次の準備をしているところです。両サイドは、枯葉をかぶせて雑草を生えないようにしています。

4 枯葉を置いたことで雑草が生えてこない

 写真5は、上の写真とは対極である枯葉をかぶせないで放置した場所です。あっという間に雑草が生えて、その取り除きの作業から整地がはじまります。実際、労働時間は2倍~3倍かかりました。ただし、これを大型機械を入れて耕した場合には、状況は変わってくると思います。小型の耕運機でした場合、雑草の根に絡まりまた時間がかかってしまいます。

5 放置して10月上旬の状態

 写真6は、整地をして畝たてを完成させたものです。ただし、深く掘り返して土の層を壊すのではなく、なるべく団粒(土のかたまり)を壊さないようにする農法に変えました。7~8年前までは、耕運機でふかふかになるまで耕し、それから畝を作っていました。パートナーでもあり友人であった、ルーカスが団粒を壊さない農法をしていたので、それを真似るようにしてはじめました。それ以降は、耕運機を使わないで少しだけ耕す方法に変えました。その農法をすることで、いままで労働時間を半分にすることが出来ました。

6 耕した状態10月下旬

 Vancouverは、この時期に何を植えても育つことはありません。11月から本格的な雨季に入り、毎日雨か曇りで日が差す時間がほとんどありません。
 10年にダイコンや白菜など、日本で言う冬野菜を試したのですが、すべて失敗で終わりました。それだけVancouverの気候は、作物にとって厳しいことを意味するのでしょう。ハウス栽培などをすれば、話しは変わりますが地下植えではまず収穫は出来ないでしょう。
 5年前までは、11月からは何もしないでそのままにしていました。土地の有効活用からすると、非常に非効率で生産性の低いものでした。なぜなら、4月までは何も出来ない状態が続くからです。
 それが、ガーリックの出会いによって、いままでのサイクルとは違う年間スケジュールになりました。10月~11月にかけて耕し、そして冬場は放置している状態でも作物が育ち、6月の中旬には収穫が出来るというサイクルに変わりました。日本の感覚で農業をやっていたら、バンクーバーは生産性が悪い場所になってしまうのかもしれません。
 農業をしたときに、坪効率からすると非常に生産性の悪い場所だからです。その状況を変えてくれたのが、ガーリックです。

 やっと、ガーリックの植え付けも終わりに向かっています。来年は、今年の1.5倍の収穫量を見込んで植えています。理論上上手くいけば、$6000~$7000に行く予定です。ただし、農業は失敗がつきもので、今年に関しては$1000以下になってしまう結果でした。まだ、残ってはいるのですが。
 これを、オイル漬けにして販売をしようか考えています。今年は、実験なのでいろいろと模索しながら、来年に繋げていこうと思っています。
 

 そして、今年のガーリックの苗床はこんな状態になりました。来年も、いい状態で育つことを願いながら、理想のガーリック畑の状態になりました。さすがに、53歳の体にはこたえますが、やり終えた充実感と達成感はあります。

 

<ちょっと、エピローグ>


 昨今、20~30代の人たちが「やりたいことがない」とか「目標がない」と言って、相談を受けることがあります。私は、彼ら彼女らに「畑仕事をしたら」と言うと、ほとんどの人が毛嫌いをします。すごく、泥臭く面倒くさいモノと思っているのでしょう。確かに、単純作業で大変な作業ではあります。しかし、農作業は個人の能力を知る面白いコンテンツだと思っています。天候や土壌との関係を見て、そこに経営が入ってくると、サイエンスと経済学という多岐にわたるアカデミックの結晶が産業になっています。そして、生きものを育てるという小宇宙が潜んでる宗教観にも繋がっています。
 私たち世代は、ブルーカラーとホワイトカラーで職種が分かれて、ホワイトカラー優越という価値観の中で育ってきました。会社勤めでオフィス・ジョブが、いいモノとされてきました。
 しかし、近年はオフィス・ワークほど先がなく、見通しの暗い職業はないものになりました。そして、多くの20~30代は、「自分はなんのために仕事しているのか?」「達成感が無いまま惰性で、タイムカードを押している自分は何か?」という理性と感情に狭間に、迷走している人が多いように思います。いったんその迷路に入ってしまうと、同じところをぐるぐる回り、負のスパイラルに陥ってしまいます。そして、そこから抜け出すことが出来ず、体と心を壊してしまい社会に復帰するきっかけを失ってしまう、恐ろしいサイクルが蔓延しているように見えます。
 農作業をはじめて感じたことは、ゼロから有を生み出す力を体験できるということ。個人の能力と知恵が、どのようにゼロから有にしていくか、そのプロセスによって、十人十色で結果が違う面白さがあります。決して、どれが正しいという正解があるわけではありません。オフィス・ワークは、決められた答えと作業をどれだけ効率的に出来るかで、優劣の仕事率でその個人の査定が決まります。
 畑仕事は、オフィス・ワークとは対峙した仕事観があるように思えます。個人の人間性と能力が畑に反映され、自分が手を抜いたか誠実に向き合ったかどうかを、土が教えてくれます。そして、必ず半年や1年という時間軸で、自己評価をすることになります。その自己評価は、他人がするのではなく、自分自身で評価を下します。さらに、自分で育てたものを収穫する喜びは、1度味わったら忘れることはありません。根気入りますが、自然の時間に体内時計を合わせて生きると、また違う自分に合うことが出来ます。
 実は、この「日本農法を北米で実験する」は、農業の間違った仕事観を見直したいという想いもあります。
 
 
 
 

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