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編集や執筆での「手抜き」とは?

自分が担当しているメディアの中で、期末のために多少予算を抑え気味にしてほしい、という要望が社内からありました。その際、上司から「クオリティが下がってもやむをえない」ということも言われました。

記事の本数に関しては、明確に減らすことで対応できます。しかし、「クオリティを下げた文章ってなんだろう?」とふと思いました。

ライターさんでも編集者さんでも、一定の文章力がある方であれば、あえて下手だったり情報を減らしたり、といったことはされないと思います。まとめ記事で例示するテーマを5選から3選にする、といったことならわかりますが、質の低い文章を作りたいと思っている人なんて多分いません。

あえて言うなら、

  • 文章の引用元などをきちんと調べずに知っている知識だけで書く

  • 文字の分量を2000文字のところ1500文字にするなど明確に減らす

  • 推敲を一切せず、表記揺れなどもそのままで出す

なんてことは考えられます。ただ、これは「クオリティを下げる」のではなく、そもそもそのライターの「クオリティが低い」だけ。経験や能力の話です。

いっぱしのライターであれば、継続的に執筆を続けていきたいのであれば、こういった手抜きをすればすぐに依頼が来なくなることはわかるでしょう。編集者にとっては、自分の手がかからない人ほど重用したくなるのは当たり前ですから。

もしコスト面で記事が悪くなることがあるとすれば、単価の低いライターに依頼するくらいしか考えられません。それで発注コストは下がりますが、編集者側の社内コストは大きくなるだけです。

テキストコンテンツを作るということが、工場の組み立て数を減らすとか、自分の担当以外は一切やらないといったことができる仕事とはだいぶ違うのは、そういうところなのかなと思っています。工数削減が難しいのも同じ理由です。

多分、クリエイティブな仕事全般で同じようなことは言えると思います。イラストレーター、デザイナー、料理人、職人などなど……。

気持ちとしてはそう言いたくなることもわかりますし、配慮いただいたのかもしれませんが、とても失礼で相手を馬鹿にしている言葉だということを、編集業務を知らない方にはぜひ知っておいてほしいです。

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