AI検索時代に作るべきコンテンツとは
CNET JAPANに、OpenAIの検索エンジンの話題が出ていますね。
従来のGoogle検索と異なるのは、「答え」(らしきもの?)を表示してくれるということ。
Googleの検索結果は、どこかの誰かが作ったコンテンツの中から、最も適合性が高そうなものを選び出しているだけです。検索結果自体には誰も責任を持ちえません。コンテンツはクリエイターが作っているものですし、Googleはそこから自動的に(場合によっては意図的に)情報を選んでいるだけですから。
ただ、その規模が全世界のウェブサイトをクロールするというとんでもない物量だったからこそ、Googleはここまで大きくなった。もちろん、その先にはさまざまな技術もありますが、ベースはどこかの誰かが作ったコンテンツであり、Googleはそれらを拝借しているだけです。
対して、生成AIは世界中のコンテンツをAIによって勝手に判断し、勝手に「答え」を出してしまう。「正しいとは限りません」という但し書きは常につきますが、見る側からすればそれは「ひとつの答え」として受け止められます。
スタンダードな答えがあったGoogle登場以前
Google登場以前、せいぜいPC内のデータを検索する程度だったものから、特定の情報に限定してあるサービスのために情報を提供するタイプの検索が登場しました。MacOSに搭載されていた「Sherlock」というものがそれです。
海外では話題になりましたが、残念ながら日本語コンテンツはほとんど提供されていなかったため、あまり使われることはありませんでした。言語の壁は当時非常に大きいものでもありました。
映画の上映情報とか、株価とか、ニュースとか、生活が便利になる身近な情報が、インターネット経由で得られるようになっていった時代でした。
それらの情報の元ネタは新聞や雑誌など。絶対的な情報量は少なかったですが、信頼性は高かったと思います。
大多数の選択が「答え」になったGoogle検索
Google検索が登場して、大量のコンテンツをクロールして集めるようになってからは、それまでは一部の信頼できる情報だけを見ていればよかったものが、有象無象のものまで含めて、ユーザー側が取捨選択しなければならない時代になりました。
これは、テレビや新聞などの大手メディアの絶大な力と信頼性に対して、個人であっても注目されたりより詳しいより素早いコンテンツであれば勝負ができるようになり始めた時代とも言えます。
メディア事業は、もともとは「大手メディアの情報だから信頼できる」という安心感、信頼感が求められる世界でしたが、大手メディアが必ず正しかったわけでもありません。ある意味では、個人ブロガーや中小メディアも含め、マイノリティが台頭するきっかけを作ってくれたのもGoogleだったと思います。そして、テレビや新聞に対して急速にニーズが減ってもいきました。
ただし、Google検索は特定の個人の思想や信条などを超えて、正しいものを表示してくれるほど出来がいいシステムでもありません。Googleの検索結果上位に表示されるようにするために、Googleのアルゴリズムを分析して、コンテンツの良しあしとは別に上位表示を目指す「SEO」の手法も出てきました。
また、Google検索はGoogle側が上位表示する記事をセレクトしているわけではなく、ユーザーのアクセス数や注目度によるランキングのようなもの。そのため、上位表示されるかどうかは、いわばユーザー全体の中で納得できる割合が高い、多数決で選ばれたようなコンテンツとも言えます。それが正しいかどうか、社会的に正義か悪か、といった要素は加味されません。タレントなどの人気があって影響力がある人のひとことで一気に検索上位に挙がってしまうようなことも起きてきました(裏でGoogleのアルゴリズムが判断している部分もありますが)
AI検索では誰が「答え」を出すのか?
そして、これから本格的にAI検索が出てくるとして、検索結果はどうなるか。
冒頭の記事にもあったとおり、AIは一定の「答え」をちゅうちょなく出してきます。これはChatGPTを使ってもわかることで、「わかりません」という回答をAIが出すことはまれです(まったく情報がない場合などにはある)。
逆に、完全に間違った答えを出してくるケースさえあります。有名人などの個人名を調べさせたりすると、別人を無理やりあてはめたようなものが出てきたり。自分の名前などを検索してみると、あたかも有名人のような虚偽プロフィールが出てきたりして面白いですね。
この「答え」を誰が出しているのかというのは、よくAIの技術で問われることですが、そのAIを作った人間や企業の意図で作られているわけではなく、あくまで答えを出しているのは「AI」であり、その答えの根拠は人間にはわかりません。言ってみれば、「情報は与えてやるから、その中からお前が勝手に考えろ」と人間が命令したようなもので、AIがどのように考えたかまではあずかり知らぬと。
産業機械系の画像認識やディープラーニングなどでも、なぜその精度が出せるのかという問いに、よく技術者は「AIによる判別です。人の手は入ってません。画像データから最適と思われる可能性の高いものを選び出しています」といった回答をしています。AIというのがそういう性質のものだということです。
だとすると重要になるのは、そのAIに食わせるものが何か。そこである程度のコントロールは可能と言われています。純文学なのか、ライトノベルなのか、週刊文春なのかでも、それぞれに導きだされる答えは変わるんでしょうね。
AI時代に作るべきコンテンツとは
冒頭の問いに戻って、ではコンテンツを作る側はどのようなものを作ればいいのか。
これは一言でいえば、「AIに任せない記事」だと思います。
大多数のコンテンツの中から、支持が多いという指標で選び出されてきた従来の検索エンジンは、それが多くの人に支持されて、役に立っているはずだ、という観点からランク付けをしてきました。
一時的な上下はありつつも、常に上位に位置しているコンテンツというのは、一定の評価と「答え」を内包していたと考えてよいと思います。
しかし、AI検索でその指標をある程度踏襲しつつ「答え」だと判断されるコンテンツは、あいまいだったり、ぼかされたり、単に情報の羅列だけだったりするものではなく、方向性の違いによる「答え」の違いはあるにせよ、必ず何らかの「結論」を持ったものなのではないかと。
新聞にしても、公共性を謳いつつ、保守派と革新派などの色は必ずあります。個々人の発言にせよ、まったくのフラットというのは難しい。
もしかすると、AI検索で複数の「答え」が存在する、といった表示ができたりするようになるかもしれません。それ自体ももはやAIが何を答えとするかという部分に委ねられることさえ考えられます。
もうひとつは、ありきたりな情報ではなくオリジナリティのあるコンテンツということ。誰かと異なる意見という意味ではなく、あっちの記事では日程を、こっちの記事では出演者を、といった情報はひとつにまとまっているべきでしょうし、ひとつの記事の中で主張が完結していることも重要でしょう。
Googleのように、2000文字程度とか3000文字程度とか、文字数の目安がどれくらいなのかもわかりません。研究論文のようにわかりにくいものを、読者にわかりやすくまとめなおした場合、どちらがAIに採用されるのかもわかりません。
ただ、これまで以上に個々の記事のあいまいさは許容されなくなっていくだろうということは予想できます。
そして同じ理由で、公式の情報がより強くなっていくということも予想できます。これは、オフィシャル情報側に正しく適切な量の情報量が求められるということであり、そのサイト内だけ、ファンだけがわかっていればよかったコンテンツでは、AIが評価してくれるかどうかはわかりません。
このあたりは、AI検索とその引用コンテンツの何をどのように評価するかというアルゴリズムにもよってくると思うので、まだまだ実態は見えませんが、少なくとも今からコンテンツを作る側の人間が心の準備をしておくべきだとは思います。
ただ、ここまで書いてきて思うのは、結局は読者に対して有益と思われる情報を実直に作っていくことに尽きるのだろう、ということ。
Google検索のSEOのための記事などはもちろん淘汰されていくでしょうが、AIに対する攻略が進めば、新たなSEOが発見されることも間違いないでしょう。
しかしそれでも、効率化とかの理由をつけて大量生産されるようなコンテンツは、見向きもされなくなっていくことは予想できます。
日々の執筆・編集作業をしっかり続けていけば、来るAI検索の時代にも失われずに読み継がれるコンテンツが作れると、自分は考えています。