保育園預ける⇆まだ一緒にいたい 感情の乱高下どうにかしたい問題
こんにちは。育休中のたけさおです。
0歳と7歳の姉妹を育てる40歳ワーママです。
3月さいごの日曜日。
保育園入園を控える皆さんは
入園グッズの最終チェックに余念がない頃でしょうか。
私は、準備が手についていません。それどころか
保育園預けたいけど、まだ一緒にいたい!
こんな相反する気持ちが、
毎日(いや毎時間?!)交互にやってきます。
自分の感情の乱高下っぷりがおさまらないため、祓い、鎮めるために、言葉にまとめてみます。
共感いただけたり、こんな感情を持つ人いるんだと何か感じていただけると嬉しいです。
●まだ一緒にいたいよ!その理由
(1)一緒にいることが当たり前すぎる
彼女の泣き声で朝が始まり、
彼女のお世話で日が暮れる日々。
妊娠期間から数えると
500日近く一緒にいるのが当たり前で
身体の一部のような感覚があるのです。
一個人だと認識しているのに、
自分と一体化して考えることもある
ここも相反する気持ちがあると気づけました。
(2)はじめての瞬間、目撃したい!
長女は1歳4ヶ月で保育園デビューしたので、
新生児〜乳児の期間の初体験は
全て見届けられました。
今回次女は8ヶ月での保育園デビュー。
まだ離乳食も道半ばですし
寝返りも気まぐれにしかしないし
お座りも自力ではできない
こんなまだまだ未熟で、
できないことだらけの赤ちゃんが
集団で過ごすなんて大丈夫なの?!
はじめてのハイハイも、
はじめてのあんよも、園でするかもしれない。
この独占欲みたいな感情や、
私がいなければ!という共依存的な感覚が
自分の中には存在するのです。
(3)ずっとこのままでいたくなる
とにかく赤ちゃんと一緒にいると
「あぶあぶでしゅねー!」
「ぷにちゃん!プニ子ちゃんっっ!」
「あーーうーー!」など、
言葉が言葉じゃなくなっています。
大人と話す機会が減るので、
咄嗟に言葉が出ないこともしばしば。
こんなふうに過ごしていると、
森の穴蔵で暮らす親子の動物のような気持ちになります。外界に出ずにずっと寄り添っていたくなるのです。
暖かく安全な場所にいる多幸感。
でもその気持ちの裏には、
大人の世界で通用しないのでは?という恐怖感がありそうです。
●預けることにした理由を思い出す
(1)わたし個人の人生を大事にしたい
上記の発言の裏がえしで、
母としての自分は毎日満たされているけれども
一個人としての自己効力感は満たされない日々が続いていました。
社会人としてのキャリアも継続したい。
大人と楽しく話したい。
自分の心が喜ぶ活動も大切にしたい。
いろんな顔がある母でいたい、と強く思い、
保育園の入園申し込みを書いたことを
思い出しました。
(2)集団ならではの体験ができる
保育園見学で見た0歳児の日々の活動。
裸足で園庭で水遊びをしたり、
手作りのおもちゃで遊んだり。
絵の具で手形足形アートを作ったり
いろんな公園へバギーで出かけたり。
毎日、先生やクラスメイトと充実の時間を過ごせるのだとわかり、楽しそう!と思ったのでした。
これは我々親だけではなかなかできない。
人数がいるからこそのダイナミズムも、
貴重な経験だと思えました。
(3)子どもの成長を他者と喜び合いたい
昨年から軒並み、地域の子育てサロンや
対面で行うベビー連れのイベントは
中止や延期が続いていました。
親は高齢、かつ飛行機の移動距離にいるので
頻繁には接することができない。
チーム育児のリソースとしては、
共働きであれば保育園になるのですが、
預けること=ネガティブではなく、
こどもの成長をプロとシェアでき、喜び合える
この時代にとても素晴らしいことだと改めて感じたのでした。
センチメンタルな気持ちは
まだまだあるのですが、
預けることを決めた時の気持ちを
思い出すことができました。
また波のように押し寄せてきたら
この記事を読み返すことにします。