自己肯定感を失うとき
僕もよく自己肯定感を失ってしまう
誰かと比べたとき
ほかの人が優れているなと感じたとき
自分が活躍できなかったとき
世の中に貢献できていないなと思ったとき
叱られたとき
このままでいいのかと思ったとき
僕もよく悩む
というか人の1000倍悩む
(他人の心を読むエスパーではないので)
ただの思い込みかもしれないが
なので、そんな悩みと親しい僕が
そして大した事ない何の取り柄もない僕が
ここからは僕なりの″解決方法″を書いてみることにする(素晴らしい回答を期待している方はブラウザバックしてほしい)
他人と比べない
他人は他人と割り切って考える
自分はその人とは別の生き物であり、生き方
も違う。そう認識すれば無理に頑張る必要はない
と自覚できる。
自分の目的を再度確認する
自分が誰かに認めてもらいたい、評価されたい。そう
感じたときに思い出してみるといいかもしれない。
「自分は一体何を目指しているのか?」
その回答が他人と同じであるのか否かを考えると
答えが見つかるかもしれない。
自分を見つめる
前の項目と被るところがあるかもしれないが、自分は
他人と違う部分はなんだろうと一度自問自答してみ
るのもいいかもしれない。
特に人間には短所があれば長所もある
つまり”あの人”にも短所はあるのだ
そして逆もしかりである。
悩んでいるときはどうしても自分の短所しか見えなくなる。
しかし良い面に目を向けると心が晴れてくる気がしないだろうか。
最後に
色々書いたが最終的に一番大事なのは
今それで悩んでいる自分は素晴らしい自分であるということ
そしてそれを自覚するのがいいのではないかと
(変な宗教の宣伝文句みたいですみませんw)
でもすごく大事なことだと僕は思っていて
肯定感が少なくなるから今以上を求めようとするし
レベルアップのチャンスを与えられているんだと実感する
もしこれが何も感じずにありのままを受け入れすぎる自分でいたらどうなるだろう?
確かにそれも幸せではあるかもしれない
けれど悩んで自分に問いかけてる時というのは
自分がこれまでにない試練に立ち向かおうとしている
良い前兆ではないのだろうか
目次も見出しもつけるのが面倒くさいのでこのまま書き進めるが、
悩まないあの人よりも悩んでいる自分はむしろ
何か気付きを与えられているんだと考えたらむしろ幸せだと感じないだろうか
僕は自分と同じようなタイプに出会うことは非常に少ない
でも極まれにそんな人と出会うとすごくうれしくなる
(なによりも嬉しいかもしれない)
自分はそういう自分を責めたり悩んでしまう人が好きだ
(絶対にいい人だからだ)
だから同じ仲間として自分が学んできたことをここで還元できればと思っている
少々話がそれてしまったが、
悩むっていうのは僕らの特権だと思う(勝手に仲間に入れてすみません)
悩んで悩んで最終的に誰かのために生きれたら僕は幸せだ(文字にすると胡散臭い)
ここで4つ目のキーワード
誰かのために生きる
を書いておきたい。
前項で3つ解決策を挙げたが最終的にはこれにつきるのかなと
自己肯定感に苛まれる人は自分を背負いすぎるからそれが重荷に感じるのでは?と僕は思っている
そんな人こそ誰かのため(感謝)というものが強烈なパワーになってくる
生粋の善人なんだと思う(自分で言うな)
今僕が打っているキーボード、パソコン、モニター、マウス、机に椅子にライト、カーペット本カーテンスマホにケースにぬいぐるみに化粧品に歯ブラシに・・・何から何まで誰かの作ったもののおかげで生きられている
そこには必ず人の手が関わっている
自分もその一因になりたい。つまりものを作るのはもちろん、家族を笑わせたいとか、友人を助けてあげたいとか、知り合いにサプライズしたいとか、世の中をあっと言わせたいとか
誰かの為を原動力にすると自分の中にあるモヤモヤが少し晴れるような
そんなプラスの感情が湧き出てくる
人間は生まれもって人の中で生き、人の中で必要とされることで繋がってきた
それが幸福に感じるように進化してきた
誰かの為というワードは大切な概念で、僕らを助けてくれると思う
これを考えて生きていると自分をもっと許せるようになるし、もっと自分が好きになるはずだ
もしあなたが悩んでいるのであればきっと救いになるものだと確信している
ではでは今回はこのあたりで!
ここまで読んでくださってる方は本当に優しい人だと思うので
必ずプラスになる考え方だと思います(現金なやつ)
以上、自己肯定感を失うときの解決策でした
毎回偉そうにゴチャゴチャ書いてすみません
ちょっと熱くなって想いを吐露してしまったけど
この自由なスタイルでどんどんいこうと思います
あなたに何かヒントが与えられたなら幸いです
マイペースでいきましょう♪