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強調のほかに能力などを示す「よお」

「よう」といっても、「よう、元気か!」という呼びかけの言葉ではなく、ラップで用いられる「Yoh!」でもない。関西での「よう」は「すごく」や「よく」という意味がある強調語だ。つまり、「すごく食べる」は「よう食べる」、「よく走る」「よう走る」、「よくお出でくださいました」は「ようお越し」となり、ほめるときには「よう、やった!」である。
 しかし、「よう」にはほかにも様々な意味がある。たとえば「東京にはよう行くの」という問いに対して「ようは行かん」と答えられた場合、「頻繁には行っていない」という意味となる。「よう行くの」=「よく行くの」は誤りではないが、「ようは行かん」と「よくは行かない」は、若干ニュアンスが異なる。この場合の「よう」は「あまり」に近く、また「よう行く?」の「よう」を、そのまま受けた返答といえる。だからこそ、「ようは」と助詞の「は」が入っているのだ。
 このように「よう」は、必ずしもよい意味での強調ばかりに使われるわけではない。特に否定文で用いられる「よう」は、限界も表現する。「よう食べん」は「もう食べられない」、「よう走らん」は「もう走れない」、「ようせん」は「もう出来ない」の意味となるのだ。
 ほかにも能力不足や事情を示すときにも用いられ、笠置シズ子が「買い物ブギ」で歌う「わて、よう言わんわ」は「わたしは上手に言えない」という意味となるわけだ。
 さらに、同じ「よう食べん」には「(満腹で)食べられない」と「(嫌いで)食べられない」といった意味も含まれる。「よう走らん」には体力的な限界のほかに、「長距離は走れない」といった能力、「足が痛い」という機能的な事情、「汗をかきたくない」という個人的な理由などが挙げられる。
 この限界や能力、事情の見極めが関東の人には難しいかもしれない。食事に行って料理を平らげ、「最後にデザートでもどう?」とたずねたとき、「ウチ、よう食べん」といわれたとする。この場合、満腹状態にあるか、もしくは甘いものが嫌いかのどちらかだろう。焼き肉店に誘って「よう行かん」の場合なら「このあと、別の人と会うからにおいがついたら困る」という事情が存在するかもしれない。
 ただ、満腹の場合は「もう、よう食べん」と告げられることが多いので、「もう」があるかないかで判断は出来る。「もう」という限界を示す言葉を先につけることで、「よう」が限界以外であることを表しているのだ。

「関西人VS関東人 ここまで違う言葉の常識」(河出書房新社)より
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