雨にも負けず。雹にも負けず。目指せユートピア。その1〜高知、愛媛、香川、岡山旅行 3日目
美味しいじゃこ天を食したことで、蘇る空腹の魔物。次に行く予定の「マイントピア別子」に行く途中のお店を探すが、ピンとこない。それもそのはず。
ここまで、いいものを食べすぎた。
特に今回の旅の初めに食べた、鰹の藁焼きを超えるのは中々難しい。
旅の真ん中ぐらいに、必ずリセットを入れたくなる。
それが、どこでも安定の味を提供してくれる、全国チェーンのジャンクフード。
なんとなんと、我々が大好き「モスバーガー」がマイントピア別子に行く途中にあるではないですか。
というわけで、焼肉ライスバーガー、モスチキン、オニオンリングの最強の3点セットを食う。
安定の旨さに皆満足感と安心感に包まれる。
マイントピア別子に到着。端出場(はでば)と呼ばれ、1930年から1973年の閉山まで、採鉱本部や社宅があった場所のようだが、現在は室内遊び場やスーパー銭湯も併設されている施設で、観光客だけでなくこの近辺に住む家族連れの人たちの人にも愛用されているようだ。
我々の目的は「別子銅山」を再現した観光坑道。マイントピア別子の開運駅から小さなSL観光列車にて約5分程度揺られた先にある幸運駅にある観光坑道です。
列車のアナウンスの声がどこかで聞いたことあるなと思ったら、アニメの声優でもあり歌手でもある水樹奈々さん。「新居浜ふるさと観光大使」なんだそうな。
幸運駅に到着。記念に4人で写真を撮ろうと思いスタッフの方にお願いしたところ、坑道に入るまでにある撮影スポット全部を案内しながら30枚ぐらい撮影してくれました。ありがたや。
というわけでここからは観光坑道内の展示物を一気に貼ります。
四国山地の中心にある新居浜市(旧別子山村)に位置する別子銅山は、かつて日本最大級の銅山として知られていたようです。銅山の歴史は、1690年江戸時代から高品質な銅を産出することで知られ、採掘技術の革新や、住友グループの発展、さらには新居浜市の工業化に大きく貢献しましたが、採掘が地下深くに進むにつれて、環境的な困難が顕在化、特に地熱の影響で作業環境が悪化し、安全な採掘が難しくなったことが、1973年の閉山の一因とされているようです。
歴史を感じる展示物だけでなく、実際に鉱山で使われていた器具や、水汲みといった体験できるスペースも用意されている。
子供的には展示物よりもこういうものの方が食いつきが良いな。
所要時間約1時間。
この後、程よいバランス感とボリューム感でいい場所だった。
東平地区への体力もしっかり残し進むが、、、
つづく