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焦々

ガチャン!!

 閉園時間間近に駆け込んだためであろうか。ゴンドラが揺れるほどの力で扉が閉められた。タイムリミットは15分、一周まわって地上に戻ってこの部屋の扉が再び開けられるまでになんとかして挽回せねば。陽はすっかり落ち、上着一枚では心配になるほどの寒さだが、ゴンドラの中は暖房がよく効いていた。中に入った直後は気にならなかったが、乗ってからしばらくすると砂糖と生クリームの甘ったるい匂いがやけに鼻につく。前に乗った人絶対クレープ食べただろ。知らないだれかにムッとしながら前を見ると、コートを抱えて座っている彼女が目に入った。

 十一月も半ば、日々布団くんを置いてけぼりにすることを心苦しく思いながら家を出ている。しかし今日は、今日だけは暑かった。信じられないくらい暑かった。正確には昼過ぎからとてつもなく暑くなった。セーターなんて着てこなければよかった。暑いのは本当に嫌だ。寒いのは重ね着すれば耐えられるが、暑いときは服をいくら脱いでも暑い。夏なんていらないと思う。暑いの、最悪。午前中は寒かったのに。この午前中は寒かったというのがとてもよくない。午前中から暑ければ二人ともコートなんか着てこようと思わなかったはずだ。ちょうど彼女がトイレに行った昼下がり、僕はソフトクリームを買ってしまった。だってあまりにも暑かったから。これがまたよくなかった。山盛りのソフトクリームはオレンジのキャップのお兄さんの手から僕に手渡されたその瞬間から、みるみるうちに溶けていった。コーンを包んでいる紙はべとべとに濡れ、白く冷たい液体が僕の手を汚していった。全て溶ける前に食べてしまわねば。口を開けてかぶりつく。

 べちゃっ

 一気に汗が引いた。彼女から預かっていたコートに、白い塊が落ちたのだ。アイスクリームが落ちた場所は白く濡れて繊維がはっきり見えた。もしも僕のズボンの方に大きな染みができていたら、それがズボンでなくても、大きくなくても構わない。少しでも僕の持ち物が汚れていたら、こんな雰囲気にはならなかっただろう。と、思いたい。口の周りをべたべたにしてアイスクリームと格闘している男を見て、彼女は何を思っただろう。ましてや自分のコートを汚されたのだ。少なくとも好感度が上がるわけがない。彼女は言った。
 「気にしなくていいよ」
 それから今に至るまで、彼女とまともに会話ができていない。冗談を言おうにも申し訳なさが打ち勝ってしまう。それに何を言おうと今の僕の話は「彼女のコートにアイスクリームを落とした男の話」になってしまう。ああ、そんなことを考えてしまうことも嫌だ。本当に気にせずいられたらどんなに楽だろうか。今日が終われば彼女とはしばらく会えない。だから、せめてこのデートの最後くらいはいい思い出で終わりたい。このままゴンドラの扉が開かなければ、そうすれば「どうしたんだろうね」くらいは言えるだろうか。

 しかし、そう都合よくいくものでもない。現にゴンドラは最上部の手前まで来ていた。閉園時間まであと僅か。窓から下を見てみると、オレンジ色の帽子が忙しなく動いている。前に座っている彼女の腕の中にはコートがある。そしてそのコートには紛れもなく大きな染みが張り付いていた。ああ、その染みが僕の服にあったらどんなに気が楽だろうか。彼女は目を細めて外を眺めていた。
 カラカラに乾いた喉を絞って僕は声を出す。彼女はこちらを向いている。

「あ、あのさ、」

「なに?」

「今日はさ、その、」

「ぬはっ」

 この「ぬはっ」というのは彼女の笑い声だ。僕は困惑する。彼女は笑いながら言う。

「えっ?」
「いや、その状態で真面目な感じで話しかけるんだもん。面白すぎるって!」

 彼女の指は僕の胸元を指している。僕の胸元の両端は色が濃くなっていた。大きな、円形の染みが両脇にできていた。マジかよ。
「マジかよ。」

「マジだよ。昼からずっとそうなんだもん。一緒にいる時ずっとこらえてたんだから」

「うわあ、まさかこんなことになっているなんて」

「で、何の話?」
「え?」

「ほら、なんか話そうとしてたでしょ?」

「ああ・・・何でもないよ」

 彼女の口ぶりがいつも通りに戻った気がして安心する。すると、彼女が神妙な面持ちで話し始めた。

「これ前に乗った人さ、絶対クレープ食べたよね?」
 だめだ、笑いがこらえられない。

「なんで笑ってるの?」

「だって・・・いや、なんでもないよ」

「ふうん?」

 ゴンドラが、最高到達点に達した。

 ああ、セーター着てきてよかった!
 暑いの、最高!!


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