ニスグレー
あーでもないこーでもないと考えて、結局何にもならない休日。
食欲もあるにはあるのだろうけど、食べたらすぐに下してしまう。
そんなある日、招待状が届いた。
そのとき僕は本屋のバイトでレジで虚だった。
ヘルメットを被った郵便配達員のおばちゃんが、郵便物を持ってこちらへと向かってきた。
僕がそれを受け取ると、おばちゃんは「あなたにです」と言った。
僕が「え?」と言ったときには、おばちゃんはもう出口へと向かっていた。そして、カチャン シャーコシャーコシャーコと自転車で去っていった。
僕は呆然と出口の外を眺めていた。そしてフと目線を下げ手に持った郵便物のことを思い出した。それは少しくすんだ白色の封筒だった。僕は特に何の感情もないような顔をしてカッターで封を開けた。
中には二つ折りの割と頑丈な白い紙が入っていた。それを開くと右側に「参加」、左側に「不参加」と書かれていた。
(…‥コレはあのおばちゃんが僕に宛てたものなのか…? …いや、そうは思えない。あのおばちゃんは律儀に働いていただけだ)
「お願いしまっす」お客さんだ。ココは店(本屋)で、僕はバイト中なのだ。「あ、お待たせして申し訳ございません。袋はご入用ですか? 」
「あ、そのままで」
「恐れ入ります。カバーはお掛け致しますか? 」
「お願いします」
「はい、かしこまりました。ポイントカードはよろしかったですか?ポイントのご使用はよろしかったですか?お支払い方法はいかがなさいますか?こちらお釣りとキャンペーン中の応募券でございます。ありがとうございましたぁ」
…僕は「あ」と言ってエプロンのポケットから咄嗟にしまった白い紙を出した。そしてジーッと「参加」「不参加」を見た。僕はエプロンの胸の辺りに刺してあるボールペンを取りカチカチとノックして…‥またエプロンの胸の辺りに戻した。そしてレジの横のペン立てに刺してあった鉛筆を取り…「不参加」に◯(まる)を付けた。
するとその瞬間、グレーに塗られた紙粘土をニスで仕上げたようなもので辺り全体が覆われた。
「あ!」僕は大きな声を出して驚いた。
天井も床も出口の外も全てが妙にツヤのあるグレー(ニスグレー)だ。店の中の商品は「何となくここに物がある」とは分かるものの覆われたもので繋がってしまっている。それは触るとヒンヤリとして硬かった。手の平で叩くとペチペチと、折り曲げた指の関節で叩くとコンコンと音を立てた。
「これは…えー…どーしたら…」とキョロキョロしながら店の真ん中で戸惑っていると、肩にボトッと何かが落ちてきた。
「ぃやぁ!!!」
僕は叫び声を上げ、そぅ…と肩の辺りを見ると、ソレは30cmくらいのでっっかい蛭だった。蛭は僕の首元に這ってきた。
「うわぁあああああああ」僕はまた叫んだ。「うわぁあああああああ」何度も叫んだ「うわぁああああああ」「よ…」「うわぁあああああああ」「…そ‥ましょう」「う、うぅん??」
(自分の叫び声の中で何か言葉が聞こえるような…)、僕は叫ぶのを堪えて耳を澄ました。
「寄り添いましょう」
(え?…蛭が言ってんの?)
確かに蛭が言っていた。
僕はもはや叫びもせず、その場に立ち尽くしていた。蛭は少し早口で「寄り添いましょ」「寄り添いましょ」と言いながら更に這い進み、僕の首からえら骨、頬骨、こめかみにかけた辺りを覆うようにぴとぉと貼り付き、最後にゆっくりしっかり「寄り添いましょう」と言った。
それからどんどんどんどん蛭が降ってきた。降るだけじゃなく床からも沢山現れ、僕のからだの至る所に張り付いた。そして「寄り添いましょう」と言った。
蛭はもう完全に僕の体を覆い尽くしていた。顔も覆われて前が見えない。しかも、蛭は「寄り添いましょう」と言っておきながら、チュゥゥゥと血を吸っている。
蛭「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」 蛭 「寄り添いましょう」
僕 「寄り…」
蛭 「寄り添いましょう」
僕 「寄り… 」
蛭 「寄り添いま」
僕 「寄り添うなーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!!!!!!!!!!!!!!」
僕は失いつつある意識の中、全身全霊の力を込めて叫んだ。その勢いで顔に張り付いていた蛭が何匹か剥がれ落ちた。そして僅かにできた隙間からようやく前を見ることができた(片目)。
すると、ひとりの人間が入口から入ってくるのが見えた。
(あ…‥あれは………‥おちんぽおじさん?)
毎日店に来ては立ち読みをして帰っていくおじさん。特に音(声)や臭いを発することもない人畜無害なおじさん。頭はおでこから頭頂部、後頭部までツルツルで、両サイドにウネウネした白髪の毛がポワンと丸味を帯びて生えている。そんなおじさんを僕は心の中で「おちんぽおじさん」と読んでいた。
おちんぽおじさんは普段は持っていないバケツを両手に持って、僕のところへ向かってくる。
おちんぽおじさんは僕の傍に立つと、ひとつバケツを置き、おもむろに空いた手で僕の体から蛭を剥ぎ取り、もう片方の手に持ったバケツへと入れた。ペチン。
次々と剥ぎ取り、次々と入れた。ペチンペチンペチンペチン…
その様子を見ながら僕は「おじさん…おじさんは僕を助けに来てくれたの?」と聞いた。
するとおじさんは少しの間を置いて答えた。(僕はおじさんの声を初めて聞いた)
「俺は…虫を回収して、集めた血をお金に換えてもらうんだ。100ミリリットル70円」
僕はその後、もう何も言わず、何も見ず、何も考えず、おじさんの作業に身を任せて立っていた。
すると、おじさんは「ちょっと多いな…台車借りていい?」と聞いてきた。
僕は空気のような声で「はぃ…」と言って、軽く首を縦に振った。
そして、おじさんは蛭(虫)でいっぱいになったバケツを店の台車に乗せて、ガラガラガラガラ…‥と去っていった。
妙にツヤのあるグレー(ニスグレー)の店の真ん中で、僕は体中から血を流して立っていた。
そして、ヨロヨロとレジの方へと向かい、レジカウンター内に入り、床を見回して落ちていた招待状を拾い上げ、作業台で体を支えつつ抽斗を開け、力の入らない手でガサゴソと探り、消しゴムを取り上げ、持っていた招待状を開き、「不参加」に鉛筆で付けた◯(まる)をグラグラの体でゴシゴシと消し、エプロンに刺してあるボールペンを取り震える指で芯を出し「参加」に◯(まる)を付けた。と、思ったらインクが出ていなかった。もう一度◯(まる)を付けた。が、やはり出ていない。何度も何度も何度も何度も◯(まる)を付けたがインクが出ない。僕は握っていたボールペンをポイと放った。つもりだったが放る力も無く、指の上をスライドして落ち、コロコロと転がった。
僕は体中から垂れ流れる血を手のひらで拭い取り、その血を使い、持てる力を込めグゥウウと「参加」に◯(まる)を付けた。
するとその瞬間、ニスグレーの世界がいつも通りの世界へと戻った。
ボーカルのメロディラインをデジタル音で奏でるいつもの有線も流れてきた。
パーパパッパー
「いらっしゃいませー」
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