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定時先生!第37話 辞めてぇわ

本編目次  

第1話 ブラックなんでしょ

17時30分 職員男子トイレ 
「着席指導ひとつとってみても、西田先生、市川先生、中島先生それぞれの切り口からのアプローチがあるんだよね。多分、先輩たちも皆、迷いながら自分に適した方法を獲得していったと思うんだ。俺も最近、どうチャイム着席指導していいか迷ってたんだけど、少し勇気貰った気がしたよ。北沢くんさ、前に中島先生を真似する、って言ってたでしょ。正直俺、その時は中島先生のことよく理解してなくて、共感できなかったんだよね。でも、あの後、中島先生と話す機会があってね、俺も目指すことにしたよ。中島先生のこと。色々相談にのってもらったんだよね。部活のことから清掃や着席指導のこととかね。話してたら、いかに効率が大事かわかってきたよ。ほら、学校はスクラップ&ビルドができなくて、ビルド&ビルドだってよく言うでしょ。その分、個々人がスクラップ&スクラップの余地を探すことが大事なんだってことが、中島先生見てると思えてくるね。文科省や委員会の判断を待たなくても、自分のできる範囲内で、教育効果を落とさずにスクラップできることはあるんだね。中島先生は、帰りの会のメニューとか学級の係を精選したり、三者面談の希望日時票の枠を16時までにしたり、色々工夫して勤務時間を延ばさないようにしてるんだって。まあ、すぐに全部は真似できないけどね。今日からテスト前部活停止期間だけど、俺なんてまだ帰れそうにないもん。中島先生は今日もいつもどおり定時で帰ってたね。北沢くんさ、昨日までに何度か定時退勤してたよね。それに、こないだなんて、年休までとってたでしょ。先週も、その前の週も。すごいよ」

 北沢は、一気に話し終えた遠藤に一瞥をくれることもなく、黙したまま鏡の前に立ち、手を洗い始めた。

「…初めて定時で帰った時、西田先生に言われたんだ。何科に行くのって。俺、健康なのに」
「あはは、その誤解、あるあるかも。たしかに、珍しく定時で帰る人いると、みんな歯医者か何かだよね。誤解といえば、俺もこないだ、教科会議でドッカン文って議題になってて何が爆発するのかと思ってよく聞いてたら読書感想文の略で」
「笑い事じゃねぇんだよ」
「夏休みの動静表ってのも、誰と同棲してるか聞かれてるのかと思……え?」

 北沢が手を洗う流水音だけが、職員トイレに響いている。立ち尽くす遠藤に北沢が続ける。

「…そのときはそれだけだったんだ。だけど、何回目かの定時退勤のとき、西田先生に呼び出された。…自分のことが終わったら帰るんじゃなくて、学年の先輩に何か手伝うことありませんかって聞くんだよ、だと」

 囁くような北沢の声が、それまで鼻息荒くまくしたてていた遠藤を際立たせた。

「バスケ部の練習を減らしたら、部員がもっと練習増やしてくれだと。部員から陰口叩かれてるのも気付かないふりして、練習増やさないでいたら、校長先生と市川先生に呼ばれた。もっと部活やれだと」

ー顧問を「お願い」する立場の校長である私としてもね、ほんと心苦しいんですけど、実は北沢さんに話さなくちゃいけないことがあるんですよ。昨日、バスケ部の保護者からクレームが入ったのね。具体的な保護者名は言えないんだけど、複数の保護者から。もうすぐ3年生は引退なのに、活動が去年より少ないのは、あんまりじゃないかってね。2年生の保護者からも、3年生引退以降も、練習をしっかり確保してほしいって。もちろん、部活がほとんど時間外勤務なのは重々承知してますよ。でも、先生若いから。生徒といっしょに頑張ってくださいね。クレームが無いように、ひとつよろしくお願いします。じゃあ、部活動担当の市川先生からも、ひと言どうぞー
ー北沢さ。初任だろ?まだまだ若いんだから、部活はしっかりやらないと。部活はな、子供にとってかけがえのない経験なんだよ。そして、それを与えられるのは、顧問にしかできない仕事なんだ。それに、部活の指導力は必ず、学級指導や学年指導に活きてくるんだー

 


 流水音が、消え入りそうな北沢の一言一言までも流していくようだ。

「年休とってたのは、最近、学校行くのが辛くなってきたからなんだ。特に月曜日の朝、起きられない。何で定時で帰っちゃいけねぇの?勤務はそこまでじゃねぇの?時間外は無給みてぇなもんだろ?それでも働けってか?スクラップ?工夫?できたところで周りがそんな考え方じゃ意味ねぇよ。俺もうー」

 北沢が蛇口のハンドルを締め、流水音が絶えた。

「ー先生辞めてぇわ」