定時先生!第46話 秋明菊
採用試験に合格したときから、中島は美咲との結婚をより意識するようになった。そして今、初任者として数ヶ月間過ごし、試用期間である1年目を何とか乗り切れそうな見通しが、中島にはあった。
教師として今後もやっていく不安が無いと言えば嘘になる。しかし、どんな職に就いたところで、不安の無い職など無いだろう。何より、学生時代からの美咲の支え無くして、今の教壇に立つ自分はあり得ない。
小さく可憐な秋明菊が鮮やかな白を咲かせる10月、テスト前の部活動停止期間の、束の間の休日だった。二人で出かけた帰り道、いつも通る公園の片隅で、結婚してくれないか、とただ伝えた。
目を見開いた後、美咲は俯き、沈黙した。
「…サプライズがあるでもなし…言葉もシンプル…」
それだけ呟き、再び黙り込んだ。中島が焦り始めた頃、美咲は顔を上げた。
「私で良ければ」
二人は学生時代に両親から援助を受けなかったのと同様に、結婚式の費用についても身分たちで工面した。教職員共済組合から貸付けを受け、安物だが結婚指輪も用意した。式場も共済組合と提携した格安のホテルに決め、5月の式に向けた忙しい準備が始まった。だが、冬季に差し掛かり部活動終了時刻が早まっても、中島の退勤時刻は変わらず遅かった。
教師の仕事は自らどこかで区切りをつけなければ、いくらでもやるべき仕事がある。例えば授業で取り組ませる自作プリントにイラストを入れようと思えば、そのイラストを探すのか、あるいは自分で描くのか、いずれにせよ、ある程度の時間を要する。もちろん、イラストなど無くとも良いのだが、生徒の興味を少しでも惹こうと工夫してしまうのである。授業は、凝れば凝るほど良くすることができるものの、言わずもがな、教材研究時間は延びていく。そのため、1年目の中島は、1時間分の授業準備に、数時間を要することもざらだった。
式の準備は、中島と美咲の生活をより多忙にしたが、二人にはそんな日々を楽しむ余裕があった。学生時代、深夜のアルバイトと学業を両立させた経験が、二人をタフにしたのかもしれない。
「では、最後に校長先生から」
「えー、先生方、2学期のご指導お疲れさまでした。私からは、3点あります。一つ目、来年度人事希望票についてです。打合せ前に皆さまの机上に置かせていただきました。来年度の所属学年及び担任希望、校務分掌希望、部活動希望等についてご記入ください。なお、異動が見込まれる方につきましても、異動先の校長に人事希望を伝達しますので、漏れなくご記入ください。提出は、1月最初の勤務日の退勤までとさせていただきます。二つ目、冬休みの間、部活指導等あるかとは思いますが、1月からまたバリバリご指導いただけるように、先生方におかれましてもぜひ御静養ください。そして、三つめです。中島先生前へお願いします。」
通知表とともに生徒を下校させ、翌日に冬休みを控えた職員室は、普段の激務から解放されたある種の高揚感が漂う。前もって事情を説明済みの学年職員らにからかわれながら、中島が職員室前方に立つ。
「中島先生が、入籍されます。この後の忘年会で、皆さん、祝杯といきましょう」
歓声の後、中島は促され当たり障り無い挨拶を述べ、再び拍手に包まれ自席に戻った。忘年会会場への貸切りバスの出発時刻が告げられる中、中島は自席で、校長の話の前に既に記入しておいた来年度人事希望票を手に眺めていた。
氏名【中島英二】担任希望【有】希望部活動【バドミントン部】