勇気の自己開示 (人生狂った中学2年生)
かなり久しぶりの投稿になってしまいました。
今から約1年半ほど前に初めて記事を投稿しました。
その時、簡単な自己紹介を綴らせて頂き、その中で “いつかもっと細かな出来事まで書きたい" と述べました。
あれから月日が経ち、中学時代のエピソードはもう公に話してもいいかなという気持ちになりました😌
嫌なことが多かったため、勇気を出して綴らせて頂きます。
共感して頂ける部分や誰かの心の支えになる部分があれば幸いです。
4/24(水)に電子書籍を出版することになりました。
電子書籍では、今回のnoteの記事をベースにして、細かな詳細、自分の思い、教訓、悩んでいる方へのメッセージを込めて物語風に作成しています。
出版になったらそちらも読んで頂きたいです。
自分のこれまでの大まかな人生の流れは次のようになっています。
無邪気で活発な少年→人生狂った中学2年生のクラス替え→辛すぎる高校時代のいじめ→深い心の傷を抱えた大学時代以降
高校時代は話すことにかなりのハードルを抱えており、現時点では公に書くことができません。高校時代もいつか公に話せる時がきたら綴らせて頂きます。
まず始めに、人生が狂ってしまう前の小学生時代、中学1年生から簡単に振り返らせて下さい。
小学生の頃は無邪気で周りの目も気にせず、自分の意見もしっかり言い、活発な少年でした。印象に残っているのは小学6年生の頃に水泳部の部長を務めたことです。 (今では想像もつかないことですが…)
後輩にも話かけていたため、周りから慕われていたように感じます。この頃に人生の楽しみを使い果たしてしまった感じです💦
中学1年生の頃は小学生の延長のような感じであり、人間関係に関する悩み事は無かったです。
ただ、1つだけ変わってしまったことがあります。
それは、人間関係以外で悩み事が出てきてしまったことです。具体的には、物を整理する時に等間隔かつ平行に並べないと気がすまなかったり、外で遊んでいる際に近くに物や人が通ると、明らかにぶつかっていないにも関わらず、物を壊してしまったり人を怪我させてしまったりしていないか不安に襲われてしまいました。
毎日このようなことで悩んでいました。
大学生以降になって、当時の状況を照らし合わせて調べたところ強迫生障害が近いことが分かりました。
病院で診断されたわけではありません。
この頃から細かなことが気になるようになってしまいました。
ここからが、本題の中学2年生のエピソードになります。
中学2年生の進級に伴い、クラス替えがありました。これが、人生を狂わせた出来事となりました。
席は出発番号順に決められ、最後列の席になりました。この席が運悪かったです。それは1つ前の席の生徒(T君)がストレスでしかなかったからです。
机に寄りかかられたり、僕の机を肘置き場にされたり、授業中私語がうるさかったり、カンニングされたり、暴言を吐かれたり...
班も同じであるため関わり合いがとても多かったです。
5月の上旬、班で課外活動の話し合いをしました。この時もT君の言動にはうんざりしていました。この様子を担任の先生が気がつき、授業が終わった後、僕に次のように言いました。
「もしかしたらT君のこと合わないと思っているだろ。でもそれだったら自分でみんなの前で席替えしたいとか意見出さなきゃ!」
先生は僕が困っているのを知っていながら助けてくれるわけではなく、むしろ崖から突き落とすような事を言ってきました。
困っているなら自分で解決しろ!という先生でした。
また、先程の「席替えしたいとか意見出さなきゃ!」の部分が滅茶苦茶に感じています。それは、この出来事の前にクラスの別の生徒が「席替えしたい」とみんなの前で言っていたからです。そしたら先生は席替えが面倒くさいから「席替えなんかしねぇ!」と言っていました。さらにこの生徒が粘ったところ先生に叱られていました。
そのまま席替えが行われず6月下旬になりました。ここにきてとうとうストレスの限界に達してしまいました。親にそのことを話しました。すると親が学校に行き、学年主任の先生に僕の状態を伝えました。
そして次の日の昼休み、担任の先生から呼び出されました。一言目に次のように言われました。
「だから言ったじゃん。自分で意見出さないからこういうことになる。」
当時の僕は、自分が意見出さなかったからいけないんだと自分を責めていました。
そして結果として次のような手段を取られることになりました。
最後列の僕を視力が悪いという理由で、同じ列の最前列に移動させるというやり方でした。つまり、同じ列の生徒が1つずつ後ろの席に移動し、僕が一番前の席に移動することになりました。
目立って仕方がなかったです。
「5月の上旬に先生が席替えしてくれたら良かったのに」
いつ考えてもこのように思います。
席を移動させられたことでT君からのストレスは緩和されたものの、ここからが新たな悲劇の始まりでした。
辛い出来事として主に以下の4つが挙げられます。
①新しい班での給食の時間
②周りからの悪口
③テストの時間
④技術の移動教室
1つ目は、班編成が変わったことです。班は6人ずつだったのですが、僕が移動したことで新たな班に僕1人だけ加わり、1人(S君)は僕が元いた班に加わりました。つまり、6人ずつの班のうち僕とS君が交代という形になりました。特に嫌だったのが給食の時間です。給食は同じ班の6人が席を向かい合わせて食べます。この際、他の5人はすでに輪が出来上がっており、僕だけ話に入っていくことができませんでした。これが席を移動させられた初日の出来事です。話に入ろうとしていたためとてもショックでした。
次の日からは話に入っていこうとしなくなりました。そうすることで、精神的なショックは軽減されたものの、徐々に自分の殻が出来上がってしまいました。さらにショックだったのは、他の5人が盛り上がっており、僕1人が孤立している様子を班のメンバーが気にしているのか、徐々に班のムードも暗くなっていました。そしたらある時、班のメンバーの1人が「この班どんどん暗くなっているね」と小声で言いました。そしたら班の他の1人が「今まではS君が同じ班だったからね」と小声で言いました。これを聞いた時、自分はこの班にいてはいけないんだと思い、所属感を無くしました。
2つ目は、僕が1人だけ席を移動したことで、休み時間に「何か変だよね。別に視力そんな悪そうじゃないし」のようにクラスのメンバーから悪口を言われていました。
3つ目は、テストの時間です。この時は通常出席番号順に席を座りますが、僕1人だけが移動したままの席でテストを受けることになりました。すると、テストの際は他の先生が試験監督にやってくるのですが、他の先生は僕の状況を知らずに、何で僕だけ前の席にいるのか問うてきました。「視力が悪いんで」と言ったら明らかに怪訝そうな反応でした。まるで「テストだから視力は関係ないのに」という心の声が聞こえてくるようでした。こういう出来事があると、また別の先生が試験監督に来た際に同じことを問われるのではとビクビクしていました。
4つ目は技術の移動教室です。技術の授業は後期(10月)から始まりました。この頃までクラス内では席替えが行われませんでした。先生が面倒くさいという理由で... なので僕1人だけ最前列に移動させられたままでした。
技術の移動教室でとても困ったことがありました。
それは席順です。
席が出席番号順に座るようになっていました。
これは問題でしかありませんでした。
1つは、ストレス源のT君と再び同じグループで関わらなければならないということです。6月の下旬にストレスの限界に達したのに再びそのストレスに立ち向かわなければならないのは辛い以外の何者でもありませんでした。担任の先生が手助けしてくれるわけもなく、技術の先生との間で僕の事情が全く共有されているわけでもありませんでした。この技術の授業はまるまる1年行われ、1度も席順が変更されることがありませんでした。
もう1つは、技術の移動教室では最後列の席だったことです。クラス内では視力が悪いという建前上の理由で1人だけ席を最前列に移動させられたため、これではつじつまが合いませんでした。みんなの心の声「何であいつ技術の授業では後ろにいるんだ」が聞こえてくるようでした。とても周りの目が気になっていました。毎回技術の移動教室が憂鬱でしかなかったです。
先生同士の連携が全く取れておらず、クラス内で1人だけ席を移動させられた後はほったらかしにされました。
もうこの頃には小学生の頃の無邪気で人の目を気にせず、意見をはっきり言う性格とはかなりかけ離れてしまっていました🥲
周りの目が気になり、悪口を言われていないかビクビクしていました。
これらの嫌な出来事が重なって心の病にかかってしまいました。
その病は、対人恐怖症です。
簡単に説明しますと、対人場面で不当な緊張や不安が生じて対人関係から身を引こうとする神経症の一種です。これに関しても大学生以降になって自分で調べて知りました。
僕は対人恐怖症の中の一種である赤面症になってしまいました。これは、他人から注目を浴びる際に顔が赤くなっていないか不安になったり実際に顔が赤くなってしまう症状であり、自分自身ではどうにもコントロールできませんでした。赤面症は日によって波はありますが、以後ずっと患うことになってしまいました。
対人恐怖症(赤面症)を患ってからは、人間関係がとても苦痛になりました。赤面症の主な要因は、クラス内で1人だけ席を移動させられたことによるみんなからの不審感、悪口、孤立感です。しかし、他にも要因がありました。
僕は中学1年生の頃に強迫生障害を患ってしまい、細かなことが気になっていました。
そのため、家庭科の授業で小さなことを家庭科の先生に質問したところ「良いって言ってるじゃん!」と大声でみんなの前で叱られました。とてもみんなからの注目を浴びてしまいました。
技術の先生も短気であり、持ち物で間違えたものを持ってきてしまい、休み時間に技術の先生に確認に行ったところとても怒られ、その後授業が始まってから追い討ちをたてるようにみんなの前で叱られました。そして捨て台詞として「ほんと腹立つ!」と先生から言われました。
今振り返ればこれらも対人恐怖症(赤面症)に影響していました。
当時は赤面症なんて言葉を全く知らないため、何で恥ずかしい場面じゃないのに人がいるだけで顔が赤くなってしまうんだろうと考え込んでいました。中学2年生以降、悪い意味でみんなからの注目を浴びるようなことばっかりあったため、人といることで攻撃されるのでは身構えるようになっていたことが今となって分かります。
本当に踏んだり蹴ったりでした。
もう自分に自信をなくし、周りの目を気にし、意見も言えなくなり、オドオドしたような感じになっていました。
今度は、顔が赤くなったりオドオドした感じから悪口を言う人もいました。
学校生活、人と関わる場面が苦痛になりました。
担任の先生からは全く理解がなく、それどころかさらに精神的に追い詰められるような出来事がありました。
それは、11月頃(?)になってようやくクラス内で席替えをすると言いました。この際、僕は先生から次のように指示されました。
「席替えの案としてくじ引きがまず挙がると思うけど、それだとT君と席が前後になってしまう可能性があるから、くじ引きに負けないくらいの案を考えてみんなの前で意見出すように!」
自分が困っているんだから自分で意見出して何とかしろ!と言う考えでした。このように命じられたのは、ものすごく負担でした。赤面症にもなってしまい、みんなの前で意見出せる状態ではなかったです。
いざ席替えの案出しの時間になったら真っ先にくじ引きという案が出ました。そしたら先生から 「意見出せよ! 」とばかりに追い討ちをかけられました。ものすごく憂鬱でとことん精神的に追い詰められました。
もう先生もクラスもどうしようもありませんでした。
ただ、僕は勉強には重きをおいていたため、高校受験に向けて勉強を頑張ることにしました。中学2年生以降親友は全然できなかったのですが、中学2年生の後期あたりから、別のクラスで勉強でもライバルになりそうな友達が1人できていました。放課後何回か遊んだこともありますし、休み時間に勉強の話題で盛り上がったこともありました。そして受験が近づくにつれてどこの高校受験するのかの話にもなり、一緒に難関校を受験しに行ったりもしました。合否がどうだったのかもお互いに伝えました。その友達は県内最難関校も繰り上げながら合格したと言っており、やっぱりすごいな〜と思いました。そんな感じで受験期が過ぎて中学最後の3月末に先生を見送る会で会い、どこの高校に進学するのか言い合って終わりになりました。
その友達はやはり県内最難関校に進学すると言っていました。
その後は再会することがありませんでした。
しかし、それから1〜2か月が経った頃、友達が話していた内容が全て嘘だったことが分かりました。嘘が分かった原因は色々ありますが、大きな原因は、僕の親がたまたま友達の親をお店で見かけて高校の話をしたことが挙げられます。
嘘を知った時、ショックでした。僕は純粋だったため全て信じ込んでいました。せっかく1人友達ができたと思っていたのに蓋を開ければ大嘘つきでした。
これが中学時代最後のオチでした💦
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