自己紹介 〈辛い経験を糧に〉
今回が何度目の自己紹介なのか忘れてしまいましたが、改めて自分の心の内を綴りたいと思いました。
人前での自己紹介はとても苦手ですが、こうした文章では本音が書けるため、本来の自分を出すことが出来ます。
嘘偽りのない文章を綴ることで誰かの心に届くと嬉しいです。
takeってどんな人
まずはじめに、現在の自分に関して簡単に列挙させて頂きます。
近いうちにYouTubeで顔出しして雰囲気もお伝えできればと思います。
・20代🚹
・HSS型HSP
・研究者に近い立ち位置
HSPという言葉には、大学院生の頃に心理学の本を読み進めていく中で出会いました。
初めてHSPを知った時は「これだ!」と思い、今まで感じていた生きづらさや周りと何かが違うという謎が解けたような感じもしました。
それと同時に、生きづらさを感じているのは自分だけではないことを知り、ホッとしたことも覚えています。
HSPの中でも分類があり、自分はHSS型HSPに近いことが分かりました。
HSS型HSPの方の特徴として、刺激に対して敏感で疲れやすいけれど、自ら刺激を求めにいく冒険心を持ち合わせている傾向があります。
僕自身は日常的に "好奇心vs恐怖心" の状態です。
SNSを始めたきっかけ
HSPを知り、自己分析も進めていく内に将来の目標が決まりました。
それは、HSP気質で生きづらさを抱えている方、過去の辛い経験を引きずってしまい悩んでいる方に向けて講演会を開くことです。
また、その先にいつかテレビにも出演して多くの人に思いを届けたいとも感じました😅
(→ちゃっかり)
それに向けて、少しでも自分の思いや他人の思いを共有し、共感の輪を広げていきたいという思いからSNSを始めました。
実際にSNSを始めてみたところ、普段の日常生活では誰にも共有できない思いをSNSを通じて発信でき、自分と同じように感じている方の思いも知ることもでき、世界が広がりました。
今後もまだ出会っていない方との新たな出会いを大切にしていきたいです♪
take の過去
自己開示をかねて自身の過去について以下に綴らせて頂きました。
暗い内容も含まれているため、気持ちが落ち込んでしまいそうでしたら読み飛ばして下さい🙏
無邪気で活発な小学生時代→人生狂ってしまった中学2年生のクラス替え→悲惨すぎる高校時代のいじめ→深い心の傷と共に過ごした大学時代以降
小学生~中学時代までのエピソードの詳細は以下の記事にまとめました。
ここでは簡単に概要を述べさせて頂きます。
中学2年生のクラス替えが僕の人生の歯車を狂わせる出来事になりました。
それは、クラス替えによって最後列の席になったのですが、1つ前の生徒がストレス源でしかなかったです。
机に寄りかかられたり、机を肘置き場にされたり、カンニングされたり、暴言を吐かれたり…
毎日がストレスでした。
クラス替えして1か月くらい経ったある時に、担任の先生は僕が困っているのを知ったのですが、何も手助けしてくれませんでした。
それどころか、「困っているなら自分で意見出して何とかしろ!」という考えの先生で、むしろ崖から突き落とされることを言われました。
そして、クラス替えしてから2か月半席替えが行われず、とうとうストレスの限界に達してしまい親に相談し、親が学校へ僕の状態を伝えにいったため、ようやく先生は動きました。
しかしそのやり方は席替えではなく、最後列の僕1人だけを1番前の席に移動させるという手段を取られたため、目立って仕方がなかったです。
これによりクラスのメンバーから不審に思われ、悪口も色々言われました。
1人だけ移動したことで班編成も変わり、新しい班では他の人たちが既に輪が出来上がっており、1人だけ孤立するようになりました。
そして、いつのまにか対人恐怖症の中の1種である赤面症にかかってしまい、それ以降は人間関係がとても苦痛になってしまいました。
高校時代のいじめの内容に関してはまだ公にお話することができないのですが、今後活動をしていく中で少しずつ打ち明けられたらと思います。
現時点で打ち明けられる範囲でまとめさせて頂きました。
高校時代も出席番号運が悪く、1つ後ろの出席番号の生徒が発端でいじめが発生しました。当時、原因は全く分からず、なぜ後ろの生徒から風当たりが悪くなりいじめに発展したのか悩んでいました。
いじめはエスカレートしていき、結果的に心に修復のつかない程大きな傷を負い、自生記憶想起と呼ばれる後遺症も負い物事に集中しにくい状態になってしまい、ずっと目標としていた志望校も潰されてしまいました。
大学受験前は、受験に意識を向けていたため、何とかいじめを紛らわしてきましたが、大学受験の終盤に差し掛かり一気に心の傷が押し寄せてきてしまいました。
そして、受験が終わった後に、親からいじめの原因を告げられた時は現実を受け入れられず、誰1人信じることができなくなってしまいました。
大学時代以降は深い心の傷からの時間経過の時期でした。
特に大学時代は、これ以上心に傷を負うことのできない状態であるため、人との関わりをなるべく避けました。
サークルには入らず、大学内では下を向いて歩き、必要な講義を受講し終わったらすぐ家に帰り、極力知り合いを作らないようにしていました。
ただその一方で、時間経過によってどん底から少しだけ立ち直り、誰かと関わってみたいという気持ちも芽生えてきました。
つまり、人と関わることで何か良いことが起きないかという期待感です。
そこで、アルバイトを始めることにしました。
なぜ、サークルではなくアルバイトに携わることができたのかと申しますと、アルバイトの場合はいざとなったらいつでも辞めることができ、そこで人間関係を断ち切ることができるという心の保険があったからです。サークルの場合は、辞めても大学内で遭遇する恐れがあるため、心が不安定な僕にはハードルが高すぎました。
アルバイトを始めた当初は人と関わることに恐怖でいっぱいでしたが、少しずつ色々な人とお話することで、人と関わることの良さも思い出してきました。
過去は変えられない?
少し重たいエピソードになってしまいました。
辛い過去の出来事は経験した人にしかわからない辛さがあります。
立ち直るのに時間がかかること、立ち直れないこと、この先が真っ暗になってしまうこと…
よく耳にする言葉「過去は変えられない、未来は変えていくことができる」
この言葉に関して考えてみました。
過去に起きた出来事そのものは変えることができません。
ただ、過去に起きた出来事に対する解釈の仕方は変えることができます。
「そんなこと頭ではわかっているけど…」と思ってしまうこともあります。
これは、現在の自分の状況が大きく影響してくるように感じます。
つまり、現在が辛いと過去に対する解釈も悪いものになってしまいます。
そこで大切なことは「未来は変えていくことができる」の部分になってきます。
もし仮に、辛い過去の経験を何らかの形で未来に活かすことが出来、それによって自分の想像もしていなかった明るい未来が開花できたら、辛い過去は単なる辛いものだけではなくなります。何か新たな意味を見出せたことになります。
そういう意味では「過去は変えられる」ことにつながります。
その際、どのように活かしていくのかに正解はありません。
正解が分からないからこその難しさ、もどかしさ、冒険心、様々なものが入り混じってきます。
たとえ思うような選択ができなくて辛い思いをしてしまったとしても、自分なりに迷い探し続けることで、いつか自分にしっくりくる答えが見つかる時がやってくると信じています。
辛い状況でも自分のペースで少しずつ、一歩ずつ
しかしそうは言ってもやはり、辛い状況にいると新たに考えたり行動したりする気力が出ないこともありますよね。
特に、周りと比較すると焦ったり落ち込んだりしてしまうこともあると思います。
〈大切なこと〉
・どんな状況でも自分は自分の味方でいてあげること
・自分の本心に寄り添ってあげること
・自分のペースを大切にし無理に変わろうとしないこと
「自分を救ってあげられるのは自分だけ」
これもよく耳にする言葉です。
悲しいようで、でも大切な教訓でもあるかなと思います。
もっとも、身近にいつでも相談できる人がいれば心強いのですが、そうもいかない方もいると思います。
僕自身もその境遇の1人です。
ただ、自分が何かほんの少しでもアクションを取ることで、今とは違う景色が見えてくることはこの数年で実感しました。
過去を引きずってしまい、あるいは現在がとても辛い状況で未来に期待が持てなくても、現在を自分のペースで一歩ずつ
それが自分の新たな未来に繋がっていきます。
今回<辛い経験を糧に>という題目で自己紹介、思いを綴らせて頂きました。最後まで読んで下さりありがとうございます。
~どんな状況でも自分らしく、一歩ずつ前へ~
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