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川の日なので加古里子『かわ』を読む|あわせて『たいふう』『だむのおじさんたち』も。

今日、7月7日は七夕ですが、それと同時に「川の日」でもあるそうです。ということで加古里子の名作絵本『かわ』を再読しました。


こどものともシリーズ『かわ』

この絵本『かわ』は、もともとは月刊「こどものとも」の1962年7月号としてお目見えしたこの絵本だそう。ということは、今月でちょうど刊行してより丸58年になります。

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高い山の雪どけ水や、山に降った雨から生まれた小さな流れは、谷川となって山を下ります。小さな流れは、ダムに貯められて発電所で電気を起こしたり、激しい水の勢いで岩をくだいて小さな石ころにしたりします。そして、やがて平野に出るとゆるやで大きな流れになります。田んぼを潤し、水遊びや魚釣りの場となり、いつしか大きな川になって、最後に海へとそそぎます。一つの川をめぐる自然と人間の営みを横長の画面いっぱいに細部まで描き込んだ絵本です。
(福音館書店HP)

いきなり脱線ですが、「こどものとも」シリーズは1956年4月に創刊された由緒ある月刊絵本。発行元の福音館書店は、その名に「福音」とあるのでお気づきのように、もともとはキリスト教に縁のある歴史をもちます。

1916年、カナダ人の宣教師によりキリスト教関係の図書を扱う書店として石川県金沢市で創設された「福音館」は、昭和初期に一般書籍も扱う書店に移行していきましたが、第2次世界大戦が始まり、カナダ人宣教師が日本から引き揚げるのを機に、1940年、日本人経営者に譲渡されました。
戦後、受験用問題集やキリスト教会向け冊子などの製作、販売を手がけるようになり、書店事業とともに出版活動への取り組みをはじめました。
(福音館書店HP)

ちなみに月刊「こどものとも」シリーズは、同じく1962年の5月号に、あの佐藤忠良が描いた『おおきなかぶ』が登場したり、前年の7月号は、山本忠敬の『とらっくとらっくとらっく』。さらに『ぐるんぱのようちえん』や『そらいろのたね』などなど、あの名作絵本、この思い出の絵本がわんさかとラインナップされています。

なお、この『かわ』は絵本のはじまりからさいごまで、一本の川をたどりながらお話が進むことから、「絵巻じたて」になった豪華版も、「こどものとも」創刊60周年を記念して出版されました。

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『たいふう』と『だむのおじさんたち』

ところで加古はその後、『かわ』と対をなす絵本を同じく「こどものとも」で発表しています。それは『たいふう』(こどものとも1967年9月号)。台風発生から通過にかけてを扱い、被害を最小に食い止める必死の活動も描く内容です。

遠い南の海で台風の赤ちゃんが生まれました。観測機や定点観測船がくわしく観測します。やがて日本に近づく頃には、大きくなってちびっこ台風になりました。富士山頂のレーダーにもはっきりうつり、日本中から集まった情報で、気象台から警報が出されます。港でも町でも農村でも人々は台風に備えます。がけくずれと川の増水で汽車が動けなくなりました。被害を最小限にとどめるため人々は働きます。台風の発生から通過までを、人々の活動とともにていねいに描きます。
(福音館書店HPより)

刊行された翌月、1967年は台風の当たり年で、10月には「昭和42年台風34号」が発生。愛知県に上陸し、死者37人、行方不明者10人、住家損壊2,959棟、浸水26,842棟という大きな被害をもたらしました。

『かわ』、そして『たいふう』を描いた加古里子は、同じく月刊「こどものとも」でダムの重要性も子どもたちに語り掛けます。『かわ』や『たいふう』に先立って刊行されたその絵本は、1959年1月号『だむのおじさんたち』。

山奥の谷川を上ってきたのは発電所をつくるために、下調べに来たおじさんたちでした。やがてトラックが、ブルドーザーが、おじさんやお兄さんがたくさんやってきて、ダムの工事が始まりました。昼も夜も夏も冬も、おじさんたちは働き続けます。大勢のおじさんたちが何年もかかって大きなダムを完成させました。加古里子のデビュー作です。
(福音館書店HP)

この絵本は、加古にとって絵本作家としてのデビュー作にあたります。主役はダムをつくる建設現場で働く人たち。まだまだ停電が頻発した当時にあって、加古はダムが支える人々の生活を眼差します。人とコンクリートは対立するものではない。そんな大切なことを教えてくれる絵本です。

加古里子の姿勢・まなざし

加古のデビュー作にあたる『だむのおじさんたち』刊行にあたって、福音館書店は当該号の裏表紙に「力強い絵本を」と題した解説を掲載しています。

のりもの絵本、動物絵本、物語絵本、数の絵本から観察絵本まで、絵本の種類はなかなか豊富ですが、それらをみているうちに、なんだかものたりないような気がしてきました。(中略)何かが欠けている、何だろう、と考えたすえできあがったのがこの絵本です。
(『だむのおじさんたち』裏表紙解説)

そんな編集部の思いと、加古里子の姿勢が出会って、この絵本、そして絵本作家・かこさとしが生まれたのでした。「加古はさんは、それ(=何かが欠けている)について次のようにいっています」として上記引用に続いて次のように書かれています。

"私が、この絵本であらわしたい、知っていただきたいとおもう点は、
①大きなダムのことより、それをつくったひとびとのことーその人々の苦労や、よろこびや、悲しみやー人間労働というもののすばらしさ、
②西洋風な、あるいは夢幻的なおもしろさより、日本的な現実的な美しさ、
③科学的な真実さと、人間味のある詩情を共存させたいということ、
④社会と歴史の大きな流れを前向きにすすめようとしている人々、それをささえている人々にこそ、人類の智恵や技術は役立ってほしいこと、
⑤子どもとおとなの世界を隔絶させないで、おとうさんおかあさんたちの今の生活を、考えを、子どもたちにしってもらいたい、知らせたいということ、
以上のような点です"
(『だむのおじさんたち』裏表紙解説)

東京大学工学部応用工学科を卒業後、川崎市でセツルメント活動に身を投じた加古里子。そんな彼が絵本に託した思いがここには記されていますし、そして、その姿勢は亡くなるまでの約60年間にわたって一貫して保たれたようにも思えます。

「だむ」ではなく「だむのおじさんたち」。自然と人間。建設と労働。大人と子ども。過去・現在・未来。それぞれの異なりつつもつながっている関係を描き続けたのが加古里子の絵本なのでした。『たいふう』が出た2年後の1969年には『こどものとも』の姉妹シリーズ『かがくのとも』が創刊。加古は主要作家の一人として同シリーズを支えていきます。

ダム、ふたたび

この記事を書いているいまも、日本各地で記録的な大雨による被害が発生しています。人間へ豊饒な恵みをもたらしてくれる自然は、同時に人間を過酷な状況へと追い込みもします。亡くなられた方々のご冥福と、被害にあわれた方々へのお見舞いを申し上げつつ、自然との在り方を考える機会にしたいと思います。

余談ながら『だむのおじさんたち』から約30年後の1988年には『ダムをつくったお父さんたち』を手掛けます。あきらかに『だむのおじさんたち』を意識したその絵本は、国際協力でつくられたインドネシアの水力発電用ダムの建設過程がマニアックなまでに描かれています。

同書はTwitterでも話題になりこんなまとめもできました。題して「かこさとし先生の本『ダムをつくったお父さんたち』がガチ過ぎて話題に」。

「こどものとも」つながりで話がどんどんそれてしまいましたが、「川の日」なのでそれもヨシでしょう。川の話は流れは絶えずして、しかももとの話にあらず、ですね。

(おわり)


追記
先にも触れましたが、加古里子は「こどものとも」のほかにも「かがくのとも」の常連でもありました。そのあたりについては、以前こんなnoteも書きました。


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竹内孝治|マイホームの文化史
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