中学生のための住宅設計入門|戦後教育改革期の図画工作科教科書を読む
ヤフヲクで1950年代後半の中学図画工作科教科書をなんとなく入手しました。新造形教育研究会・図工教育研究会編『中学生の造形〈改訂版)』(開隆堂、1957)です。
これがなんと、1年では「室内の設計」、2年では「住宅の設計」、そして3年で近代建築の鑑賞、村や町の計画までカバーする内容で、いまの感覚からすると随分と住居学みたいな内容に驚き。それと同時に、中学生にどうやって教えれたの??と怖くもなりますが。
ひとによっては「おや?中学校は「図画工作科」ではなく「美術科」では?」と思われるかもしれません。そうです。いまでは中学校に「図画工作科」は存在しません。中学校美術科は昭和33年版学習指導要領以降に「美術科」へ改称され今に至ります。改称前は中学校でも「図画工作科」でした。なので、1957年に出たこの本は「図画工作科」が「美術科」に改称される直前の中学校教科書というわけです。
中学校の、しかも、図画工作で、がっつりと住宅設計の課題が登場する。そんな戦後新教育時代の図画工作教科書について綴ってみようと思います。
戦後新教育と生活単元学習
戦後の再出発にあたって、日本の学校教育は民主主義社会を実現するための教育を推進していきました。その具体的な教育のあり方が「生活単元学習」と呼ばれる教育。児童・生徒の実生活にねざし、自らが日々生活する日常をもとに考え、改善していく能力を育むことが重視されました。
このあたりの話は以前、noteにも書きました。
「生活単元学習」で注目された対象がズバリ「住宅」です。敗戦直後の日本は、推計不足数720万戸という深刻な住宅難に直面。建っている住宅も劣悪なものが大半を占めていました。未来を担う児童・生徒が自らの生活を改善するという達成目標において、「住宅」は好個の対象とみなされたのでした。
こうした新しい教育のスタンスは「図画工作科」も例外ではなかった、というか、新たに創設された科目だからこそ、なおさら関連深かったはずです。
中学校の「図画工作科」
そもそも、中学校の「図画工作科」は、戦前の国民学校高等科「芸能科図画」と「芸能科工作」がGHQ指導のもと合体して誕生したもの。この戦前の「芸能科」は図画、工作以外に、音楽、習字、裁縫、家事の6つの内容で構成されていました。
住宅・建築関連の学習内容は、芸能科工作に含まれ、「建築変遷の話」「住宅計量」といった住宅の設計・製図が扱われてきた経緯をもちます。そんな「芸能科」から図画と工作を抜き出して統合したのが「図画工作科」。この出自はその後の展開にも影響を及ぼしていきます。
昭和22年版、26年版の「学習指導要領(試案)」で示された「図画工作科」では、他の教科とおなじく「生活単元学習」の旗印のもと教育が展開されたわけで、それゆえに「室内の設計」や「住宅の設計」も「図画工作科」のなかでひときわ重要な位置を占めたのでしょう(ただし、学習指導要領にはこんなにガッツリと住宅やろうとは書かれていません)。
たとえば『中学生の造形1』では、冒頭「美の発見」と題して生活と図画工作を直結させる、こんな文章が登場します。
でも、こうした生活と図画工作の蜜月に転機が訪れます。この教科書が発行された翌昭和33年告示の中学校学習指導要領にて、中学校「図画工作科」は従来までの「職業・家庭科」とあわせて再編されることになったのです。
その結果、「図画工作科」の図画パートが「美術科」となるとともに、「技術・家庭科」に工作パートが吸収されて再スタートをきることになりました。
再編の背景には、戦前には別個であった「図画」と「工作」が「図画工作科」へ統合されたことで、結果的に「図画」に偏重し「工作」が手薄になった状況があります。また、中学校「職業・家庭科」でも、手技工作・機械工作・製図が扱われていて、「職業・家庭科」と「図画工作科」で教育内容が重複していた問題もありました。さらには、改編前年におきた「スプートニク・ショック」を受けての科学技術教育へのテコ入れが急務になった状況もとどめを刺すことになります。
中学校図画工作科の教科書
そんな経緯もあって、戦後新教育のスタートとともに誕生した中学校「図画工作科」は短命におわったのでした。中学校図画工作科の検定教科書は「教科用図書検定基準」(1950年6月30日文部省告示)の一部改正にて、中学校「図画工作」の一章が加えられることでスタートしています(これは、他教科よりも1年遅れ)。
それゆえ、使用年度は1952年から。「図画工作科」が改編される1961年までにわたっています。この1952年から1961年までを使用年度とする「図画工作科」検定教科書は、3学年分でのべ139冊におよぶ。冒頭に紹介した開隆堂の『中学生の造形(改訂版)』もそのうちの一冊なのでした。
ためしに『中学生の造形(改訂版)』目次をためしに書き出してみます。
絵画から建築、制作から鑑賞まで幅広いジャンルが扱われていることがみてとれます。こうした内容のうち「工作」にかかわる部分が「技術・家庭科」へと移されたわけです。
図画工作教科書のなかの住宅
では、他の図画工作科教科書にも「住宅」や「建築」は登場するのでしょうか。はい、登場します。ためしにいくつか集めつつある散財コレクションをみてみたいと思います。
たとえば、これは岡登貞治ほか『中学図画工作3』(国民図書刊行会、1948年)。「建築物の形体」や「家の間取」が扱われます。
あるいは、中学図画工作研究会編『中学図画工作2』(日本文教出版、1957年)。 木工や竹工などにつづいて「住宅設計」も登場します。
さらにどん。1951年、兵庫県明石市図工教育研究会『中学図画工作3』(兵庫図書)。「住宅間取図」から都市計画まで扱われます。
1957年の中学校『図画工作2』(三苫正雄ほか、日本文教出版)。「住宅設計」です。
さらにさらに。造形教育研究会編『造形3』(光村図書、1953年)。「住宅設計」のほか「町や村の計画」まで扱われます。
このように、中学校図画工作科では「住宅の設計」は定番メニューであっただけでなく、さらに都市計画にいたるまでメニューに含まれていたことがみてとれます。あと、今回は取り上げませんでしたが、店舗設計や室内装飾も扱われ、文化祭の舞台設計など、実践的な課題も収録されたりしています。
図画工作科から離脱した「住宅」
さきにも述べましたが、こんなかんじに「住宅」や「建築・都市」までテンコ盛りだった「図画工作科」は「美術科」と「技術・家庭科」へと再編されます。工作パートは主として「技術・家庭科」に引き上げられたわけですが、そのことは、「住宅設計」を扱うことが、「工作」と「図画」両方にまたがっていた価値が薄らいでしまうことも意味しました。
工作パートが図画パートとともにある価値。それは、今回ヤフヲクで入手した開隆堂版・中学図画工作教科書のタイトルが「中学生の造形」となっていることともつながるはず。「造形」という括り方によって、絵画も彫刻もデザインも建築も、ぜんぶひっくるめて生活から社会までを形づくる姿勢が込められている。その理念は「生活単元学習」ともよく馴染む可能性があったはずです。
そんな「図画」と「工作」、そして「生活」の一体化を目指す当時の気概を感じさせるのが、1951年、兵庫県明石市図工教育研究会による『中学図画工作3』(兵庫図書、1951)。そもそも兵庫の研究会が教科書をつくるというのが戦後新教育スタート時の熱気を感じます。
この教科書でも、住宅間取図から都市計画までが扱われます。教科書冒頭には戦後復興期、戦後新教育期の「図画工作」魂をうかがえる、こんな文章が登場するのです。
「楽しく文化的な平和な社会」を作る「中学校図画工作科」。なるほどそうだ、すばらしい、という声とともに、いやいや、そもそも美術教育とはそういうものではないのだよ、という声も聞こえてきます。実際、「中学図画工作科」の解体は賛否両論あったようです。その両方の意見を読み解きつつ、その後の「住宅設計」の行方をたどってみたい、と思います。
(おわり、というか、つづく)
「造形」の問題については、こちらの過去noteにも書きました。
参考文献
1)村上陽通『造形教育の系譜:実践造形教育大系6』、開隆堂、1982
2)金子一夫『美術科教育の方法論と歴史(新訂増補)』、中央公論美術出版、2012
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