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加古里子と住まいの復興|絵本『あなたのいえ わたしのいえ』を読む

絵本作家・加古里子(1926-2018)の愛らしい絵本『あなたのいえ わたしのいえ』(図1)。家を題材にしたもので、小さい頃に何度も読んだ記憶があります。なんといっても主人公の男の子が、屋外で立ち小便するシーンが笑撃的だったな。

図1 あなたのいえ わたしのいえ

この絵本はもともと「かがくのとも」(福音館書店)第3弾として1969年6月に出版されたものです。「こどものとも」の姉妹版としてスタートした「かがくのとも」は、その名のとおり科学を題材とした月刊絵本として1969年4月から刊行され、現在、通巻594号に達しています。

子どもの好奇心の数だけ広がるかがくの世界子どもたちの身の回りのことすべてが「かがくのとも」のテーマ。身近な植物、動物、モノ、現象を、事実の羅列ではなくストーリー性を大切にして、子どもたちに伝えます。自然、人間と生活、遊びの3つの視点から、子どもたちの発見の喜びや驚きを応援します。
(福音館書店HP)

絵本作家・加古里子は、「かがくのとも」草創期を支え、『あなたのいえ わたしのいえ』のほかにも、『だんめんず』や『どうぐ』、『ごむのじっけん』、『でんとうがつくまで』などを描きました。加古はこの『あなたのいえ わたしのいえ』にどんなメッセージを込めたのでしょうか。

科学絵本作家・加古里子

文と絵を担当する加古里子は科学絵本作家としてその名を知らないひとはいない人物。手がけた絵本は600冊以上にのぼります。そんな加古さんが科学絵本を描くにあたって大切にしたこととはなんでしょうか。

その手掛かりとして、たとえば加古は「子どもの科学の本では大事な原則を先に、例外のことはあとまわしにする」ことを心懸けたといいます。また、次のようにも語っています。

科学の本というからには、その題材が科学的な事柄であるだけではなく、その把握の仕方が科学的であることがより大事であると考えたのです。
(加古里子「科学絵本覚え書」1999)

ということは、家に関する「大事な原則」を「科学的な把握の仕方」によって描いたのが『あなたのいえ わたしのいえ』ということ。実際、この絵本の展開はきわめて科学的・論理的に家の原則を描き出していきます。

家がなくても困らないと思う男の子と女の子。でも雨が降ったり日が照ったりすると困る。だから屋根がある。でも風が吹いたら困るので壁もいる。そして出入口、戸締まり、床、窓、台所、便所・・・と生活するために必要なものが家には備えられているということを「なぜなのか」まで考えさせる内容。とても科学的・論理的といえるでしょう。

建築評論家・五十嵐太郎は、『現代思想』の「かこさとし」総特集号で、この『あなたのいえ わたしのいえ』を取り上げ、次のように紹介しています。

表紙と裏表紙においてビル、三角屋根の家、城郭や鉄塔などいろいろな建築が集合し、最初の見開きではポストモダン的なバリエーションと言うべき多様な外観の家を並べており、「いろんないえがありますね」という一言から始まる。だが、「もし、すむいえがないとしたらひとはくらすのに とても こまります」と問いかけ、読者に家とは何かを根本的に考えさせます。
(五十嵐太郎「工学と絵本」2017)

さらに五十嵐は、この絵本が示す骨子についても以下のように指摘します。

これは住宅の発生論である。一八世紀フランスの啓蒙主義の時代において、ロージエが『建築試論』で建築の起源を想像したように、もっともプリミティブな段階をいったん仮定しているのが興味深い。そして人が暮らすための家を構成するのに必要な基本的な部位が、どのように発見され、付加されたかを論理的に説明している。
(五十嵐太郎「工学と絵本」2017)

なるほど、加古は18世紀フランスの修道士・建築理論家マルク=アントワーヌ・ロージエが「原始の小屋」(図2)でもって示したように、家の「原則」を発生論的に描き出したのです。絵本作家・加古里子の本領が思う存分発揮された科学絵本といえましょう。

図2 原始の小屋

そう思っていました。

でも、話はそんな単純ではないことを思い知らされます。

セツルメント活動家・加古里子

東日本大震災の後、加古は『あなたのいえ わたしのいえ』の奥付に、この絵本を描いたそもそもの動機について語った文章を付け加えたのです。

家の造りを屋根、壁、出入口、床、窓の順に述べたこの本をみて、専門の建築家はきっと笑われるでしょう。しかし、まだ戦災の名残が残っていた当時、浴室、台所、トイレのない寄宿舎などに住む人が大勢いたのです。そうした所の子に「自分が住んでいる所も立派な家だ」と思ってもらえるように描いたのが、上に述べた5つの要素となりました。その後、各地で災害が起こるたび、特に2011年3月11日に起きた東日本大震災で、体育館や仮設住宅に居住している子どもたちの様子を当時と比べ、胸が痛む想いです。
(加古里子『あなたのいえ わたしのいえ』)

科学的・論理的に、家に必要とされる機能について描き出したストーリーだと思っていたお話しが、俄然ちがった見え方をしてきます。

加古が言う「まだ戦災の名残が残っていた」状況。「最低の生活要求を充足するだけの、したがって最低の質の住宅」としての「ねぐらずまい」について建築学者・西山夘三は次のように書いています。

「ねぐらずまい」は、災害で家をなくした人、新しい居住地に住み込む人の最初のすまいであっても、やがてより充実したすまいに変えてゆかねばならない。それは一時しのぎの、臨時の住居であるといえる。けれども、貧しさのための、最低限度の生活要求をみたすだけの「ねぐらずまい」から抜け出ることのできない人が沢山いる。
(西山夘三『日本のすまいⅠ』、1975)

そんな「社会状況の最底辺」に触れる機会を加古はセツルメント活動で得ます。東京大学工学部応用化学科を卒業した後、昭和電工の研究所で働きながら、加古はセツルメント運動や児童会活動に従事したのです。なぜ、そうした活動へ身を投じることになったのでしょうか?

そのキッカケは1945年、敗戦。愚かな戦争へと突き進んだ社会を、そしてなにより自分自身に腹立たしくなり、残りの人生を子どもへ捧げることを決意します。

大人はもう信用できない、飽き飽きだ。自分もその一員だった。大人ではなく、せめて子どもたちのためにお役に立てないだろうか。(中略)これから生きていく子どもたちが、僕のような愚かなことをしないようにしたい。子どもたちは、ちゃんと自分の目で見て、自分の頭で考え、自分の力で判断し行動する賢さを持つようになってほしい。その手伝いをするなら、死にはぐれた意味もあるかもしれない。
(かこさとし『未来のだるまちゃんへ』2016)

加古はそんな思いで戦後の日本を生きることに決めたのでした。ちなみに1969年に出版された『あなたのいえ わたしのいえ』は昭和電工在職中の作品。それはセツルメント運動や児童会活動と並行しながら描かれたものです。

セツルメント活動は「都市の貧困地区に、宿泊所、託児所などの設備を設け、住民の生活向上のための助力をする社会事業」のことを言います。加古はそこで紙芝居をしたりしながら、貧困層の子ども達の現実を知っていったのでした。そんな子どもたちへ語りかけるために、加古は「自分が住んでいる所も立派な家だ」と思ってもらえるよう描いたのでした。

そうやって思うと、なぜ絵本冒頭、そして最後のページでさまざまな形の家が描かれているのかもわかってきます。それは五十嵐太郎が言うような「ポストモダン的なバリエーション」というよりも、住まいの多様性を擁護する姿勢から出てきたものでは中廊下、と。「みんなちがってみんないい」という強いメッセージがそこに込められているよう思えてくるので不思議。

だとすると、ロージエを引き合いに出して、加古の描く家を「原始の小屋」にみたてるのもまた間違っていることに気づきます。なぜって、「原始の小屋」は「あるべき」の集積として示されたモデルなのですから。それは加古が伝えたかったこととは真逆の「家はこうあるべき」という主張なのです。

技術文明批評家・加古里子

『あなたのいえ わたしのいえ』は最後、次のような言葉で締めくくられます。

こうして、いえは
ひとが かんがえ
くふうして つくった
おおきな くらしの どうぐです。
くらすのに べんりな
どうぐの あつまりです。
あなたの すんでいる いえも
べんりに できているでしょう。
(加古里子『あなたのいえ わたしのいえ』1969.6)

ここでおもむろに登場するのが「どうぐ」という概念です。大きな暮らしの道具としての「家」。暮らすのに便利な道具の集まり。加古はこの「どうぐ」という言葉にどんな意味を託しているのでしょうか。

真っ先に思い浮かぶのが、加古が「かがくのとも」の通巻20号として描いた『どうぐ』(1970.11)(図3)。

図3 どうぐ

身近にあるいろいろな道具から、重機や自動車、家電、コンピューターなど大きく複雑な道具までを順を追って紹介しながら、最後のページは次のように締めくくられます。

こうした どうぐを かんがえ くふうし
つくってきたのは にんげんです。
そのどうぐを つかって
ゆたかな たのしい くらしをするのが
わたしたち にんげんです。
(加古里子『どうぐ』1970.11)

道具、そしてそうした道具の高度な集積である科学技術は、豊かな楽しい暮らしを実現する原動力になります。そんな道具をつくり、使い、暮らすのが人間。

つまりは、その人間次第で、そうした道具は人を不幸にし、危害を加えることにもなる。それは戦争の悲惨さと愚かさを目の当たりにし、敗戦後の社会を子どもに託すことに決めた加古の技術文明批判だったのだと思います。

実は、加古は『あなたのいえ わたしのいえ』に先立つこと9年前、「こどものとも」48号として『あたらしい うち』を出しています(1960、福音館書店)(図4)。ただし、加古は文を担当。絵は村田道紀が描いています。

図4 あたらしい うち

新しい木造在来構法の住まいができるのを心待ちにする主人公あきこちゃんのお話しですが、裏表紙に加古が寄せた文章は「希望と狂気」と題されているのです。

子どものころ、新しい家へ、トラックにのってひっこしをしたときのことは、今もありありとおぼえています。きっとあの日の空は、青々とはれわたっていたはずだ、といったような確信めいた気持ちさえします。
それと反対に、家をやかれ、爆撃におびえてにげたときの恐怖と絶望。同じ人間の手でおこなわれるにしては、あまりにも違いすぎます。同じ物資がつかわれるにしても、一ぽうはあまりにも狂気です。
(加古里子「希望と狂気」1960)

「同じ物資がつかわれるにしても・・・」。「物資」は後に「道具」と言い換えられるでしょう。

さて、加古が『あなたのいえ わたしのいえ』を描いた前年、日本社会は「住宅産業論」ブームに突入します。家は「大きな暮らしの道具」として新たなステージに突入していたのです。

家は人が考え工夫して作った大きな暮らしの道具。はたして人間は、その道具を豊かで楽しい暮らしのために使えているのでしょうか。加古にとって敗戦後の混乱を連想させる東日本大震災後の生活を目の当たりにしたいま、豊かな楽しい暮らしを実現するために、家という道具はなにができるのでしょうか。

加古里子は絵本のタイトルを『あなたのいえ わたしのいえ』と名付けました。ズバリそこで示されているように、災後にあらわれるのは「あなたのいえ」あるいは「わたしのいえ」であって、「みんなのいえ」ではないのです。

「かがくのとも」の一冊として登場した1969年、すでに加古の描くさまざまな「いえ」は、もっぱら戸建て住宅であり、そして、和風・洋風・折衷、寄棟・切妻・陸屋根、などなどバラエティに富む外観で描かれています。「商品」としての「いえ」の時代を謳歌しています。それは戦争、そして苦しい敗戦後の生活をくぐりぬけた加古の願いだったはずです。

(おわり)


参考文献
加古里子『絵本への道:遊びの世界から科学の絵本へ』福音館書店、1999
かこさとし・福岡伸一『ちっちゃな科学』中央公論新社、2016
かこさとし『未来のだるまちゃんへ』文藝春秋、2016
五十嵐太郎「工学と絵本」、『現代思想』総特集・かこさとし、青土社、2017.9
西山夘三『日本のすまいⅠ』、勁草書房、1975

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竹内孝治|マイホームの文化史
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