林雄二郎_情報化社会

大阪万博前夜、新しい価値と仕組みをめざして|林雄二郎と『情報化社会』

2025年、大阪でふたたび万博が開催されることになりました。万博の開催は、視界不良な未来に道筋をつけたり、これからの社会にふさわしい価値や仕組みを描き出したりする絶好の機会。

そういえば、1970年に開催された「前の大阪万博」に際しても、これからの社会をつくる試みが模索されたことを思い出します。それは「未来学」と呼ばれたり、あるいは「情報化社会」として捕捉を試みられたりしたもの。そんな万博前夜の試みを、少しばかり振り返ってみたいと思います(*1)。

1960年代 情報化社会・未来学

いまではごく普通に使われる「情報化社会」という言葉ですが、広く知られるようになったのは、大阪万博が開催される前年の、1969年に出版された『情報化社会:ハードな社会からソフトな社会へ』(講談社現代新書)だといわれています。著者は当時、東京工業大学教授の職にあった林雄二郎(1916-2011)(*2)。

林雄二郎:情報化社会

「情報」をキーワードとして社会を読むこと自体は、たとえば『放送毎日』(1963年1月号)から散発的に執筆された梅棹忠夫(1920-2010)による一連の「情報産業論」があるものの、林による新書は「情報化社会」というネーミングが奏功し、10万部を超える売り上げをなしとげたベストセラーとなりました。

林の著書『情報化社会』が着想された土壌には、社団法人「科学技術と経済の会」(1966年発足)での議論があり、「工業化」に対する「情報化」といった意味合いで用いられたものだそう。

ちなみに『情報化社会』のまえがきには、この「科学技術と経済の会」のほか、謝辞が述べられて、そこには次のような名前が挙がっています。

本書をまとめるに当たって、かつて日本未来学会が結成される前に同人的な集まりとして持っていた未来学研究会の諸氏(梅棹忠夫、加藤秀俊、小松左京、川添登の諸氏)との議論は私にとってたいへん友好だった。また電気通信総合研究所や「科学技術と経済の会」の未来部会の方々(唐津一、渥美和彦、後藤正夫、岸田純之介、牧野昇、黒川紀章、松下寛、篠原登、順不同)からの御教示と、同会の専務理事、吉開勝義氏、事務局長、白根礼吉氏からのはげましに感謝します。菊竹清訓氏と岡本太郎氏とにはそれぞれ本書に御援助をいただき恐縮の至りである。
(林雄二郎『情報化社会』1969年)

ここに登場する日本未来学会は、国際未来会議を日本で開催するにあたり受け皿として設けられた団体(1968年)。初代会長には中山伊知郎が就任。発起人には、建築畑では丹下健三や浅田孝も名を連ねています。

この学会誕生の下地になったのが未来学研究会でした。メンバーである林のほか、梅棹忠夫、小松左京、加藤秀俊、川添登の5人による監修のもと、エッソ・スタンダード石油の機関紙『Energy』にて「未来学の提唱」特集が組まれています。

enegry「未来学の提唱」特集

さらに、こうした活動の根っこに、林が経済企画庁経済研究所の所長としてまとめた『20年後の日本』(日本生産性本部、1966年)などもあり、未来予測、未来学が一種のブームと化していたのが、1960年代の日本なのでした。

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未来学からの流れに「情報化社会」もあるわけです。なお、未来学界隈については、以前こんなのも書きました。

林雄二郎『情報化社会』

さて、講談社現代新書の一冊として出版され、10万部超となったベストセラー『情報化社会』はどんな内容の本だったのでしょうか。帯文にはこうあります。

情報が氾濫する社会に、現代人はどう対応していったらよいのか。きたるべき情報化社会の姿を描きだしながら、思考の方法、生活環境、社会構造から、新しい問題を提起する。
(『情報化社会』帯文、1969年)

目次はこんな感じ。

まえがき
1 ハプニングとはなにか
(1)意外なことの多い時代
(2)感覚的論理人間の出現
2 未来を予測する方法
(1)質の変化と量の変化
(2)単論理と多論理
3 情報化とはなにか
(1)文明以後の社会
(2)情報を考える
4 商品の情報化
(1)実用的機能と情報的機能
(2)欲望の変革
5 サービスとシステムの情報化
(1)遅れているサービスの情報化
(2)会社・学校・都市などの情報化
6 ソフトな社会へ
(1)有効な無駄をみつける
(2)ソフトにセットする
7 レジャーの革命
(1)“スル”レジャー
(2)将来のレジャー旅行
(3)働くレジャーの時代へ
8 システムとして社会を考える
(1)社会のシステム
(2)社会をソフトに組み立てるために
9 多情報社会への道
(1)情報化という社会変化
(2)日本の急速な情報化
(3)ソフトな社会での価値観
10 情報化時代の人間
(1)テレビ人間
(2)将来のコンピュータ人間
あとがき:有効な無駄をソフトにセットする

目次からもわかるように、内容は未来学からシステム産業、レジャー論などなど広範囲な領域にわたるテンコモリ感です。ちなみに、同書はベストセラーとして20年にわたって増刷を続けただけでなく、刊行されてから38年を経過した2007年に、オンブックスから復刊されています。

復刊に際してオンブックス代表の橘川幸夫は『情報化社会』を次のように評しています。

復刻版の本書を初めて読む方は、その新鮮な発想とロジックに驚くと思う。再読した人も、インターネットが普及した現代にこそ、一九六九年の林さんの思いとビジョンを活用出来ることを再認識するだろう。また、インターネット・ビジネスに関わる若い人たちに、ぜひ読んでもらいたい。
(橘川幸夫「『情報化社会』の復刊に際して」、2007年)

たしかに、インターネットがごく普通の存在となった今、改めて『情報化社会』を読み直すと、いろいろと連想・妄想が膨らむ。そんなある種の予言的な性格を持った本でもあります。そんな同書の終盤、林は次のように書き記していて、ちょっとドキッとします。

われわれは世界の全人類に対する一つの大きな責任をいま負いつつあることを考えてみなければならない。われわれはこの課題をどのように解いてみせるか。もしそれをうまく解けば、日本は名実ともに世界の最先進国になりうるであろう。もしそれがうまくいかなかった場合には、日本はある段階までは世界の最先進国に近づくかもしれないけれども、あるところまでいくと日本は形の上ではいかにも最先進国に近いような形をしていながら、一歩中に入ると、世界一ノイローゼ患者の多い国、世界一犯罪者の多い国、世界一欲求不満の満ち満ちている国といったような、まことに奇妙な国になってしまうかもしれない。
(林雄二郎『情報化社会』1969年)

翌年には、同じく講談社現代新書から『高度選択社会:マルチ・チャンネル・ソサエティへの挑戦』を出版。いわば『情報化社会』の続編とでもいうべき内容でした。

情報化社会の全体像

とはいえ、「情報化社会」がどんなものなのかは、林の著書の目次はもちろん、中身に目を通してもわかったようなわからないようなボンヤリした輪郭をなしています。

1971年にその名も『情報化社会事典』と題した本が出版されます。監修は片方善治。「情報化社会」論の論客で林の盟友です。そんな同書の「はしがき」にもやはり、そんな「情報化社会」の不明確さについて触れられています。

「情報化社会」という言葉は最近ようやく日常語としての市民権を認められ始めたようである。だが、この言葉の意味内容については、やはりまだあまり明確ではない。近ごろ流行のフィーリングでとらえるむきは、何やらわれわれの生活が“情報の洪水”にとりまかれているから、それで「情報化社会」だという。(中略)もう少し学問的にとらえるむきは、情報化社会というのは工業化社会の次にきたるべき社会発展の一段階であり、その社会では物自体にふくまれる使用価値よりも情報価値が尊重されるという。技術的にみる人たちは情報化社会というのはコンピュータが支配する社会であり、コンピュートピアの別名だともいう。
(毎日新聞社「はしがき」1971年)

そんな同書は、とりあえず「事典」なので、それなりに包括的に「情報化社会」に関する話題をフォローしているはずです。目次は次のようになっています。

Ⅰ 情報への招待
Ⅱ 情報理論
Ⅲ 通信
Ⅳ コンピュータ
Ⅴ 生体と情報
Ⅵ システム
Ⅶ 経営と情報
Ⅷ 情報産業
Ⅸ 放送とビデオ
Ⅹ 情報化時代
Ⅺ 未来予測

いろんな分野の話題が寄せ集まっている感はありますが、技術進歩や情報量の増大、知識産業の拡大などなどの社会変化に着目して項目が選ばれていることがわかります。なお、同書は同じく毎日新聞社から先行して出版されたシリーズ本、全7巻で構成される『情報化社会』(1970)の「『総括』としての意味合い」が込められているそう。

言い方を換えると、そのシリーズ本『情報化社会』を通して、いわゆる「情報化社会」がどのような問題をどのような姿勢でもって捉えようとしていたのかがわかります。では、そのシリーズ本『情報化社会』とはどんな本だったのでしょうか。

シリーズ『情報化社会』

大阪万博が開催される直前の1970年2月から、万博が終了して後の11月にかけて、シリーズ『情報化社会』、全7巻は出版されました。

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編集にあたったのは、やはり林雄二郎と、片方善治、白根禮吉の3名です。広告文には次のようなアピールがなされていました。

情報化社会とはいったいどういう社会か、情報化時代とはどのような特色をもった時代なのか。このシリーズは五十余名の専門家の協力をえて、色々な角度から情報化社会を明らかにしようとするものである。それと同時に、情報化社会に生き、働き、学ぶにはどうするか、経営者、技術者、そして一般のサラリーマンはどのような心構えが必要なのか、といった具体的な問題にも答えている。
(「情報化社会」シリーズ広告文、1970年)

広告文にも少し触れられているように、同シリーズ、全7巻は各巻にテーマが割り振られており、それぞれ、①生きる、②働く、③つくる、④伝える、⑤考える、⑥学ぶ、⑦遊ぶ、というものでした。

収録された文章も、書きおろしもあれば、既発表の文章を再録したものもみられます。また、各巻にシンポジウムが収録されているのも特色の一つで、それゆえ総じて雑多な印象を受けます。

第1巻の「まえがき」にも、次のように触れられています。

本シリーズでは、真正面から情報化社会とは何ぞやと問い詰つめることをしないで、むしろ情報化社会にできるだけ多くの側面から、そして、できるだけ多くの人々によって光を投げかけてみようとしたのである。
(『情報化社会1生きる』「まえがき」1970年)

そんなこんなで、シリーズ本『情報化社会』は、いわゆる「情報化社会」がどのような問題をどのような姿勢でもって捉えようとしていたのかを捉える好個の文献であり、あわせて、どんな執筆者が選定されているのかを通しても、「情報化社会」が担った動向をうかがうことが可能でしょう。

以下に『情報化社会』、全7巻の総目次をダラダラと書き下します。

情報化社会・1 生きる
社会の発展と個人(林雄二郎)
情報社会と生活空間(槇文彦)
都市化と生活空間の構成(斎藤精一郎)
「柔らかい機械」としてのロボット(森政弘)
情報化と生活革命(白根禮吉)
人材開発論(川添登)
「問題提起型人間」の登場(安部公房)
情報時代の若干の問題(郷司浩平)
情報化社会論の系譜(片方善治)
〈シンポジウム〉情報化社会に生きる
 (黒川紀章、林雄二郎、片方善治、白根禮吉)

情報化社会・2 働く
未来社会と職業選択(宍戸寿雄)
経営における技術予測の背景と手法(牧野昇)
「生きがい」をつくり出す管理(茅野健)
情報化時代の主役・挑戦する技術エリート(吉開勝義)
中間管理者は無用になるか(石原善太郎)
経営とコンピューター(西尾出)
ライフサイエンスの未来(渥美和彦)
現代企業とMIS(吉川公男)
起業における未来研究チーム(松井好)
〈シンポジウム〉情報化社会に働く
 (宮崎勇、片方善治、白根禮吉、林雄二郎)

情報化社会・3 つくる
システム文明の夜明け(片方善治)
天下るシステム技術(高瀬保)
情報産業の技術的基盤を考える(森英夫)
情報化時代の経営体制(小林宏治)
日本都市論(上田篤)
地域開発と民間デベロッパー(江戸英雄)
七〇年代の技術革新と社会変化(内田元亨)
未来社会の類型(西村真一)
現代芸術の精神的風土(高階秀爾)
〈シンポジウム〉情報化社会に「つくる」
 (林雄二郎、白根禮吉、菊竹清訓、片方善治)

情報化社会・4 伝える
情報化社会と放送(後藤和彦)
第二世代へ移行するテレビ(野崎茂)
情報革新とCATV(野瀬康矩)
通信の基本問題と将来(中村幸雄)
情報化社会におけるデータ通信(井手和彦)
情報化社会と情報ネットワーク(福士昌寿)
情報社会とコンピューターシステム工学(斎藤成文)
七〇年代のジャーナリズムをむかえるために(山本明)
コンピューター時代の言語問題(坂井利之)
〈シンポジウム〉情報化社会に伝える
 (白根禮吉、唐津一、片方善治、林雄二郎)

情報化社会・5 考える
未来を創造する日本経済(金森久雄)
七〇年代の交通問題(角本良平)
生活環境の悪化と浄化(戒能通孝)
シンク・タンク(白根禮吉)
情報を考える視点(小松崎清介)
機械人間への夢と可能性(吉田夏彦)
ホワイトカラーの分解(富永健一)
知識人の破産(田中靖政)
現代の唯名論(加藤秀俊)
情報時代の国際関係(金山宣夫)
ソ連社会の“情報化”とイデオロギー(松本博一)
〈シンポジウム〉情報化に考える
 (白根禮吉、吉田夏彦、片方善治、林雄二郎)

情報化社会・6 学ぶ
未来を学ぶ(牧島象二)
システムの科学(北川敏男)
情報化社会の到来と教育の刷新(矢口新)
教育を超えぬもの(片方善治)
技術革新と教育(北川一栄)
仮説実験授業の考え方(板垣聖宣)
子どもの成長にとって美とはなにか(遠藤豊吉)
映像文化と大衆(佐藤忠男)
テレビとそれをみる人間の条件(大島正光)
開かれた教育の提案(後藤正夫)
〈シンポジウム〉情報化社会に学ぶ
 (片方善治、村松喬、林雄二郎、白根禮吉)

情報化社会・7 遊ぶ
職業人とレジャー(本明寛)
人間的自然の回復(霧生和夫)
レジャーにおける価値(唐津一)
余暇時代の到来と人間生活(阿部美紀夫)
これからのレジャーとレジャー産業(森川宗弘)
ファッションと人間(高賀富士子)
道具世界の変貌(栄久庵憲司)
情報化社会の進展とレジャー(佐貫利雄)
〈調査〉情報用語の発生と拡散(国分信)
〈シンポジウム〉情報化社会に遊ぶ
 (白根禮吉、加藤秀俊、片方善治、林雄二郎)

以上のようなお題目&執筆者なのでした。ちなみに、装幀はグラフィックデザイナーの粟津潔。そのほか、槇文彦、黒川紀章、菊竹清訓、川添登といった建築家や建築評論家が含まれているのも興味深いです。

広く領域をまたぎつつ、新しい時代を予感しながら、そんな新しい時代にふさわしい価値や枠組みをつくりだそうという意気込みを感じることができます。

冒頭にも書きましたが、大阪万博の開催という一大イベントを機に、未来学、知識産業、脱工業化社会などなど様々な新しい概念が提示され、視界不良な未来に道筋をつけたり、これからの社会にふさわしい価値や仕組みを描き出したりといった試行がなされました。

未来学のその先を描き出そうとした『情報化社会』がぼんやりザックリと包摂する領域・テーマ・執筆陣などなどは、そんな当時のイシューがどんな連関のもとに、どう見定められていたのかを知る手がかりを与えてくれます。

『情報化社会事典』と同じ1971年、全20巻におよぶ『講座・情報化社会科学』(学習研究社)が出版されています。また、1969年から72年にかけて出版された『現代デザイン講座』(全6巻、風土社)もまた、デザイン講座と銘打ちながらも、その内容や執筆陣はデザインを超えて、建築はもちろん、未来学や情報化社会論までを組み込む内容でした。

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あと、個人的な関心としては(というか全部が個人的な関心ですが)、1968年に発表された、内田元亨「住宅産業:経済成長の新しい主役」、中央公論に掲載され「住宅産業元年」とか言われるほどのブームになったこの論考もまた、「未来学」や「情報化社会」と一体の動きのものでした。そう思って当時のプレハブ住宅や工業化の試みを眺めると、また違った感慨を得ることができます。

さてさて、蛇足ながら、先に引用した「日本は形の上ではいかにも最先進国に近いような形をしていながら、一歩中に入ると、世界一ノイローゼ患者の多い国、世界一犯罪者の多い国、世界一欲求不満の満ち満ちている国といったような、まことに奇妙な国になってしまうかもしれない」という林雄二郎の警鐘は、その続きがあって、こう記しています。

われわれはそうならないために、いままでのようになにか事あった場合に、それを常に世界の他の先進国に範を求める態度をまずははっきりとやめなければならない。
われわれの運命を切り開くものはわれわれ以外にはないという意識を、われわれは今日ほどはっきりと認識しなければならない時期はないと思うのである。
(林雄二郎『情報化社会』1969年)

受動的な未来「予言」ではなく、ガラガラポンな未来「予測」でもなく、皆がそれぞれ未来をつくるのだ。そんな決意が込められているのが「情報化社会」論なのでした。

そんなこんなで、「情報化社会」界隈の動きを眺めていくことで、万博開催に前後するこの時代の息吹を、領域横断的に感じることができます。領域横断というよりか、領域再編成の時代だったのでしょう、いままた再びそういう時代に至っているのでした。

(おわり)


1)情報化社会論の問題点については、佐藤俊樹『社会は情報化の夢を見る:[新世紀版]ノイマンの夢・近代の欲望』(河出書房新社、2010年)が示唆に富むのですが、それにふれると論旨くしゃくしゃになるので注にとどめます。
2)林雄二郎は、東京工業大学電気化学科を卒業後、同大助手、技術院参技官補、経済企画庁を経て、東京工業大学教授、未来工学研究所所長、トヨタ財団専務理事、東京情報大学学長などを歴任した。

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竹内孝治|マイホームの文化史
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