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教育者の役目って何か

こんばんは。最近塾講師のアルバイトをしていて、よく考えることがある。「自分が教育者として果たすべき事は何か。」という問いを自身の心にふっかけている自分がいる。

なぜ私のようなバイトごときがここまでして考えるのか。それは、来年塾講師(校舎の教室長)としての勤務が決まっているからである。そのための下隅期間が今というわけである。

今のあるアルバイト講師として働く中で、私の働く校舎の室長の仕事ぶり(主に授業スキルや生徒との接し方、勤務中の動き等)を観察しつつ自分の職務を担っているのが今である。実際にもっとこうした方が良い、ああした方が良いというような改善点は自分でも理解している。自分を省みた上で次に活かすことは意識している。

そういった仕事での動きだけでなく、私はこの来年4月入社までに自身の教育観もある程度まで確立させておかなければいけないと考えている。自信を持った振る舞いや、生徒の信頼を引き寄せるためには発する言葉の説得力が大事である。その背景にはその人が持つ教育観がある。

講師はただ勉強を教えるだけの存在ではないと思っている。自身が子どもたちにどんな影響を与えていきたいかをよく考える必要があるだろう。私が考えるに、関わる子どもたちが社会に出た時に舐められない存在になってほしくない。もう相手にされなくなるような、社会から孤立するような存在になってほしくない。そうならないように私はどう教育を施したら良いのかを考えたい。

お金を払っているから遅刻して良いのか、お金を払っている休んでも良いのか、お金を払っているから騒いでもいいのか、お金を払ってるから宿題をやらなくていいのか。それは違うと思う。もしそのスタンスのまま社会に出たらそれを指摘してくれる人はいるのか、無視され相手にされなくなるだろう。全ては舐められない人間にならないための子どもという期間なのではないか。

それを私は今後も訴えていきたい。私自身も小中高と必死こいて勉強したかと言われればそうではない。これが将来にどう生きるのかなんて考える予知もなかった。成績のためとか、進学のためとか、受験のためとかそういう目先の目的のために勉強しているのだと思い込んでいた。

けどそれは井の中の蛙だと気づいたのは大学生になってからである。「もっと勉強しとけば良かった」、「もっと本を読んでおくべきだった。」そう思い始めたのも最近。もっと幼い頃から好奇心を働かせて情報感度を上げて色んなことに挑戦すべきであったとも思う。選択肢を広げて。

実際に塾に通う子どもたちにはそうなってほしくないのだ。大人になって後悔するほど悔しいことはないでしょう。勉強する意味って何かってやっぱ人から舐められないためだと思ってる。勉強って学校で習うこと以外にも当てはまって、シンプルに常識がない人や世の中のことやその仕組みを知らないと舐められることは勿論、話について行けないだろう。それってつまり社会から切り離されてしまうと言うこと。

今の小中高生にそうなりたいかと問いたい。そして学校でなる学習内容全てが社会に出て活きることはない。大事なのは知識だけではなく想像力や思考力的な部分もだ。特にそれらのスキルが大いに活きることがある。身につけた知識や応力が断片的に光る。けどそれらを光らせることは出来るのは沢山の努力をしてきた者だけである。

それを理解した上で、今頑張るか頑張らないかはあなた次第である。子どもたちには理想も現実も両方みせる必要があると思う。現実はネガティブなイメージが強いかも知れないがいずれかは知ることになるのだから早めに知って超したことはないだろう。

そこでくじけないようにするための環境の一つが塾だと私は思う。大人になったら叱ってくれたり指摘してくれる人間はごくわずか。今のうちからダメなことと良いことの判別を塾を通じて出来るようになったらより人間としての魅力が上がる。そういうポジティブシンキングを生徒に見せつけていきたと思った。


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