[note26]オンラインワークショップ「問い作り」
NPO法人ホロコースト教育資料センター主催のオンラインワークショップに参加しました。今回はホロコーストを具体的に学ぶというよりは、アンネ・フランクの言葉を焦点とする「問い作り」のワークショップがメインのセミナーでした。「問い作り」に関しては数年前、『たった1つを変えるだけ』という本に出会い、授業でも時々、挑戦していました。ホロコーストという壮大なテーマに対して、どのように「問い作り」を考えていくのかな…ここが最大の関心事だったと言えます。最終的に、今までに考えていた以上の意義を感じることができた120分間でした。同時に授業進捗、内容、大学受験…色々なハードルを抱える高校教育現場で、どのように「問い作り」を機能させていくべきか改めて考える必要があると課題も見えた気がします。
この本は2回くらい読んだので、「問い作り」に関しては多少なりとも知識があり、ワークショップも比較的スムーズに取り組むことができました。ただ、「問い作り」については、その意義は強く感じているものの、なかなか授業では捌き切れない教育手法だなと感じていたのも事実です。そんな中でセミナーでは改めて確認することができた重要な視点もありました。あらゆる授業手法に共通することだと思いますが、根底にあるのは…
その授業を通して何を教えたいのか?何を伝えたいのか?
ということであり、それを導くための手段として「問い作り」は改めて有意義だなと感じました。問い作りの基本的な流れは以下の通りになります。
焦点(文章、画像、動画など)に対して、できる限り多くの問いを作る
問いに対して周囲は意見を言ったり、評価を下したりしない
問いを書きとる人は一字一句、変えずにそのまま書き記す
作り出した問いをオープンクエスチョンとクローズドクエスチョンに分類して、相互に変換する
自分にとって最も重要な問いを1つ選ぶ
その問いに対して、自分は何をしたいか考える
生徒の数だけ焦点に対する問いがあり、教師の想定を超えるものになるかも知れないけれど、逆にそうあるべきなんだろうと感じました。正解主義からの脱却を目指す上で(もちろん知識や技能を教えないということではありません)、教師が評価してくれるだろうというバイアスが掛かった問いでは、生徒自身の問いになりません。「問い作り」では個々の問いに意味があり、意義があることが重要です。だからこそ、教師からの「良い質問だね」は要注意!!生徒は「良い質問」「悪い質問」を区別してしまいます。
何のために問い作りをするのか?
そうは言うものの、教えることに慣れている教師にとって、「問い作り」は最終的にはどこに帰結するんだろう!?答えが出ないままに終わることは果たして良いのだろうか?こんな疑問も常に持っていました。
この疑問に対して、腑に落ちたことがありました。「そもそもなぜ問い作りを行っているのですか?」という問いに対して、「民主主義を育むことが目標です」という答えが返ってきました。最初は「?」と思ったけど、つまりは全ての「問い」という声に意味があることは個人が尊重されることを意味します。それこそマイクロデモクラシー、民主主義の根本にあるものです。単なる手法ではなく、1つの社会の姿として「問い作り」が機能するならば、学習手法以上の意味を持ってくるはずです。また、誰もがこの先の世界で求められる力を育むために「問い作り」は極めて重要なヒントをくれるような気がしています。そして、生徒に「モヤモヤ」を残すこと、これも重要なことなんだろうなと改めて感じることができました。