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[note52]ゼミの1コマから-振り返りから生まれるもの-

情報との向き合い方

勤務校で担当するゼミナール授業において、インターネットとの関わり方、情報の捉え方などをテーマとした講演を行った。講演者は株式会社インフォハントの安藤未希さん。聖学院中学校高等学校の日野田先生の紹介で繋がりを持つことができた方で、現在、精力的に学校現場での講演活動に取り組まれている。45分×2コマのゼミにおいて導入のクイズ、安藤さんからの解説、テーマに関連する問いに対するグループワークを行った。Google formsを利用した生徒の感想を見る限り、学びの多い時間であったことが伺える。メディアリテラシー/情報リテラシーという言葉は学校において一般的に使われているが、その実態を教えることができる教師は、決して多くないだろう。むしろ専門分野に該当する領域だと思う。そうした意味で、私達教師にとっても、情報との向き合い方を学ぶ機会は重要であると感じた

振り返り(アフタートーク)の重要性

講演後に安藤さん、ゼミ担当の私、授業参観に足を運んでくれた4名の方との振り返りの時間が大変有意義なものになった。講演自体のフィードバックに始まり、講演の意義や目的、場作り、運営におけるデバイスやアプリケーション、問いの立て方、生徒のモヤ感…気付けば講演と同時間の振り返りを行っていた。結果的には講演に対するフィードバックだけでなく、より広範な内容に踏み込む議論になっていたと思う。それは講演そのものに対する「評価」ではなく、学びに対する私達の向き合い方を考える、より本質的な対話であったと感じている。研究授業や授業見学、他校訪問、研究会など、私達が学ぶ場は思っている以上に多い。そこで貴重な情報を受容しても、何らかの形で振り返る(可能であれば複数の参加者で)ことをスキップすると思考を整理することができずに終わってしまう可能性がある。場合によっては振り返りに講演と同等かそれ以上の時間をかけなければ、自分の中に落とし込むことができないケースもあるだろう。「当たり前のこと」であるかも知れないが、こうした時間を取ることは時間的制約もあり意外と難しい。何とか、そうした時間を生み出す工夫をしたい。
今回、振り返りの中で、「これって相互にコーチングをしているみたいだなあ」と感じた。参加者の6名がコーチになり、クライアントになり、自然と対話し、各々が抱えている問題点や課題観を探求しているような感じだ。

そもそも、コーチングとは!?

コーチングは近年、学校現場でもよく耳にするようになった言葉である。教師が答え(或いは正解とされるもの)を生徒に伝えることが基本となるティーチングに対して、生徒自身が気付き、自らの目標達成のために意欲的かつ主体的に取り組むためのサポートをすることを基本とする。ティーチングが教師(教える側)の知識を上限とするならば、コーチングには天井がない。生徒が自らの可能性をどこまでも広げることができると信じること、双方向的なコミュニケーションを通じた生徒自身の気付きを重視する。コーチングの基本構造として一般的に知られているのが傾聴➡承認➡質問のプロセスだ。ここではコーチングについて深く言及することはできないが今回の振り返りはまさに、こうしたプロセスに沿ったものであったと思う。

オートクライン

自分の考えを口にすることで自己理解が促されることをコーチングの世界ではオートクラインという。確かに頭で考えていることを、他者の問い掛けにより、声で発する時、「自分はこんなことを考えていたんだ」と自己認識が進むことがある。今回、「(肯定的な評価として)先生(私)はどのように場を作ってきたのですか?」という問いかけが私の振り返りに極めて重要な意味を持った。初めて本校の生徒と関わる中でゼミの場を評価していただけたことは大変嬉しく、自信になるものだった。それと同時に、「自分はどうやって場を作ってきたんだろう?」という問いが自らの中に生じた。自分のゼミは教育と探求社のプログラムに沿っているため、基本的な場作りのスタイルは存在する。それは以下のようなことだ。

  • 他人の意見を否定しない

  • 自分の意見を否定しない

  • 何でも言ってみる

これが重要な三原則なのだが、「それだけだっけ?」と短い時間に頭を回転させてみる。そこで口に出たのが「×0にしないこと」だった。生徒達は個性的で、それぞれに強みを持っている。それらがかけ合わさった時に教師の想像を超えた力を発揮する。これは1年を通し、感じてきたことだ。しかしチームにおいてどれだけ大きな力を結集できたとしても0を掛けるメンバーがいてはチームの力も0になる。だからこそ「全員が『×0にしないこと』を意識して欲しい!」と要所で伝えてきたし、危うい時には「×0はダメだよ!」と言ってきた。「あっ、これだった!!」自分の中で腑に落ちた瞬間だったと思う。それを引き出してくれたのが専大付属高校の杉山先生による私への問い掛けだった

振り返りを評価から対話へ

教師は「(生徒を)評価すること」には慣れているが、「(自らが)評価されること」には慣れていない(と私は感じる)。そこには、ある種の身構えのようなものがあるのかも知れない。だからこそ、振り返りは「評価」ではなく、「対話」であるべきではないかと思う。もちろん、課題点を洗い出すことや指摘することは重要だが、それが最終的な目的ではない。対象となる人の授業や講演については検討するが、双方向のコミュニケーションにより振り返りの参加者全てに学びがある形を目指すならば、より深い気付きや個々の課題解決に繋がるのではないかと思う。「振り返り」「フィードバック」の力を改めて感じると共に、その在り方について考えさせられた1日となった。


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