レイヤーケーキ・パラドックス
幼少期の経験が、その後の大人の人間性に直結する説、色々な所で聞く話であると思うが、これって結構本当の話ではないかな、と思う。
何が、と言うと"階層"の話。
幼少期でもないが、義務教育社会は徹底的に学校、校長、教頭、担任、生徒の階層社会を教え込む。それぞれのカテゴリの中にも、先輩、後輩、新任、教育実習などなど、階層がある。
高々数十人のグループの中でも、何にもしなくとも階層が生まれる。あとはカテゴライズ、充実グループと、陰グループ、スポーツグループと頭良いグループ。
何が言いたいのかと言うと、良く悪し様に言われる話、レッテル貼り、縦割り社会、トップダウン、官僚主義その他色々。ここから、無意識には抜けられないんじゃないの?と、いうことである。
例えば、全く初対面の人同士で一定期間何でもいいがなんか作るワークショップみたいなの。
完全にゼロから始めたとしても、いつの間にか階層が出来てる。引っ張るやつ、やる奴、見てる奴。何故だ。恐らくそれって、効率的だからなのかも知れない、楽だからかもしれない。
その人個人は、自分の勤め先とかで、あのクソ上司がとか、俺は自由に生きたい、とか言っていたとしても、それが楽、であれば余りにも安易に馴染み深い階層社会、レッテル社会に所属してしまう。矛盾。
SNS社会でも、割と似ているように思う。
PV数、フォロワー数、その他色々、あとは元からの肩書、そういう人々が階層の上に立ち、下はそれを追う。注目されるには、カテゴライズされなければならない。だから、自由にやろう、と思ったつもりが、カテゴライズされたがるようになる。
自由でいたい、けど何者かではありたい。
この良くわからん矛盾に簡単に引き裂かれる。
これが、幼少期から今までの刷り込みだったとしたら。実はもうとっくに我々は詰んじゃってるのだ。
対処療法って何なんだろう。
まず前提として、"無知の知"ではないけど、自分たちは好んで階層社会、カテゴリーの中に所属しているのだと、知ること。
その次に知見を得ること。そうではない世界を知ること。でもこれだってうまくいかない。とりあえず書店に足を延ばして、何でもいいから目についたリーダーシップ本とか、チームワーク向上本とか、そういうビジネス書を買ってみればいい。納得する。理解する。次の瞬間に訪れる思いはきっとこれ、分かってるけど、できない。
知識だけでどうにかなることなどほとんどない。社会に出てそれなりに仕事をしている方なら、簡単に分かる。知識+行動力+意志。これが必要なのだ。とここで知る。
最後、自己洗浄。洗濯と言ってもいいのかもしれない。固定概念にずぶずぶになった己を洗浄する。一番簡単なのは、そうではない国に一定期間行って洗浄する事。経済面とか色々考慮すると、一番簡単なのに、ハードルが高い。洗浄できない可能性だって十分にある。
その次は、そうではない組織に所属する。これだって難しい。当然だけど出来上がっている組織が新しい人を入れようと思った時、相手が価値観の洗浄を出来ていない人だった場合、洗浄する時間がかかる。全く非効率。だから当然、まっさらな人間を欲しがる。洗浄しきれない場合だってある。だってここは日本だから。その組織に24時間住み込みで居られるならいいが、そうではない場合、外に出ればありがちな世界を嫌でも見ることになる。それでも、できないことはないと思う。やっぱり強い意志が必要だけど。
仮にすべて洗浄し終わって、ああ完全に自由な人間になれた。そう思う。そこからまた苦境が始まる。
自分は変わったかもしれない。だけど社会の側は、昨日とは少しも変わっていない。
凄い難しいテーマをつついた。そう思う。これを書いている最中でも、自分は圧倒的に無知だなぁとか、完全に嫌な大人じゃんよとか思いながら書いている。苦しいかどうかというのは別の話、私はレイヤーの中に一部として生きていて、必要なところは肯定して生きている。そんなことしか言えないかな。