厳しい状況での期待値コントロール
中国では相変わらずゼロコロナを目指していて、暮らしている我々はホント大変。
かなり振り回されている。いつ何が起こって部屋に閉じ込められるかがわからない。
上海は5月末まで2ヶ月半続いたロックダウンから開放され、これでようやく快方へ向かうのかと思いきや、開放後にやはりあちこちで感染者がみつかり、また2週間のロックダウンになっているエリアが増えているとか。
北京もここ数日で感染者が増えている。
一昨日も北京の友だちの一人が、その友人宅に遊びにいっている途中にその居住エリアに感染者との密接接触者がいるということで急遽ロックダウンとなり、そのまま閉じ込められて家に帰れなくなった。
いつ帰宅できるようになるのかは現段階では不明。恐らく1週間から2週間はかかるのではないか。
このようにいつ何が起こるかわからない今の上海や北京。
こんな状況なので、楽しみは半減。もちろん旅行には行けず、市内の娯楽施設には閉まっている所も多い。環境としてはストレスが溜まりやすい。
そんな状況・環境化で暮らしているにもかかわらず、私は意外と坦々と暮らせている。
なぜだろうと考えたところ、理由はいくつかあるにせよ、「そもそもの期待値が低いから」という結論に達した。期待値のコントロールが出来ている、ということ。
トラブル的なことがあると、常に頭には最悪な状況が浮かんでくる。
例えば、最近起きた話でいうなら
「北京の感染者リスクの管理アプリに不具合が発生。これが続くと、公共の交通機関の利用やオフィスビルやショッピングモールに入れなくなる」
ということが発生したとき
その話を聴いたときに、たぶん回復には時間かかるのではないか?とそう思った。
しかし実際には、その日の午後2時くらいには回復してさほどシステム不具合の影響は受けなかった。
次に、北京でもオミクロンの感染者が増えていった5月頭。その1ヶ月半前から上海では都市ロックダウンが続いていたし、その始まりのときのように北京でも同様になるのではないか?という懸念からスーパーには長蛇の列ができ、物資調達に励んでいた。
実際に「同じ様になってしまう可能性が高い」と感じていたので、部屋からしばらく出られなくなることを覚悟した。
でも実際には、レストランでの店内飲食が禁止されて外食ができなくなったのと、その他のお店が軒並み閉店となり買い物を楽しめなくなっただけで、外出そのものは可能だったので、毎日外出して軽く身体を動かすことが出来た。
これまではゼロコロナ政策の中での話ではあるけど、次は話の種が変わる。
日本のプロ野球セパ交流戦が昨日終了した。阪神ファンである私は、今回の交流戦で阪神が大きく勝ち越したことが嬉しかった。
今回の交流戦での阪神には、嬉しい誤算が多かった。
ロッテ佐々木朗希にはまた完全試合かノーヒットノーランされそうと思っていたにもかかわらず、ヒットが出ただけではなく試合そのものには1-0で勝利。それを知ったときはにわかに信じられなかった。
他にも一昨日のオリックスのスーパーエース・山本由伸が先発する試合。これもヒットは1~3本くらいは出るのだろうけど点は取れないのだろう…と思っていたら、ヒットが生まれただけではなく、2点も点を取り、あげく延長線までいって試合そのものにも勝った。
そうやって日本を代表する、メジャーからの視線も熱い日本のスーパーエースたちが先発登板した試合に勝利してきた結果、ぶっちぎりの最下位だったはずの我が阪神が、、、
交流戦終了後にセ・リーグの4位に浮上!
最近は、こうした嬉しい誤算が多い。
おかげで心の調子も比較的整っている。
しかし、こうしたネガティブな予測は一般的にダークサイドに陥りがち。自分が予測した最悪のケースに飲み込まれてしまうリスクもある。
「どうせ・・・」とやさぐれがち。
これをやさぐれずにいるのはどうしたらいいのでしょう?
それは簡単で
「どうせ」という言葉を使って悲観的予測をしないようにする。
これが最も重要。
こうしたケースでの心がけとして、よく言われるのは
「今あるものに目を向ける」
・雨風を凌げる、住む家があってありがたい
・食べ物があってありがたい
など。
これももちろんいいのだけど、そこに目を向けたからといって素直に感謝できてありがたいと思えてしまうおめでたい人は現代社会ではさほど多くないはず。
でも、「どうせ」という言葉を使わずに”事実だけを予測する”ように心がけると、最悪の事態でも淡々と予測してそこに対してどう対処しようかを考えられるようになりやすい。
なぜ「どうせ」という言葉を使わない方が良いのか、というと
「どうせ」という言葉を使ってしまうと、そこには事実の予測だけではなく
悲観的事態に遭遇したときの感情まで一緒に想起されてしまう。
そして、その乗っかってしまった感情が、その最悪な事態を呼び寄せやすくなってしまう。
これが「やさぐれ」を引き起こす。
そういうメカニズムですね。
だから、事実を淡々と予測だけして、そうなったときにどう対処しようかを冷静に考えながら、事態の顛末を見守る。
そうすると、このように「ダメだろう」と思っていたことが、予想以上に良い展開になったときに素直に喜べる。
同じ喜ぶのなら、「今あるものに感謝する」よりもよほど効果的で、かつ現実的。
それに、ホントに悲観していた事態に対する即応もしやすい。すでに予測していたのだからショックも少ないはず。
<まとめ>
厳しい状況下では、期待値のコントロールが大事。
そのためには、最悪の事態を予測しつつも、「どうせ」という言葉は使わない。
「どうせ」を使わない方がいい理由は、予測した事態に容易に感情が乗ってしまうし、それが最悪の事態を呼び込んでしまいやすくする。
だから、最悪の事態は淡々と予測し、淡々と対処するに限る。
以上です。
今日も良い一日を!
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