光の啓示「第一章 光の啓示」
はじめまして、Takayuki Hibinoと申します。現在は、世界初の新技法「ホログラムズコラージュ」のパイオニアとして活動しています。定期購読マガジン「光の啓示」では、1989年の夏、私がアート活動を始めたきっかけになった光の啓示から現在に至るまでの経験や出来事を記憶にある限り綴っていく実話です。
第一章 光の啓示
1989年7月、バックパッカーの私は、インドネシア・バリ島の避暑地である、ウブドに滞在していた。
当時はまだ観光客も少なく、今のような渋滞などは無縁な時代で、ングラ・ライ国際空港も木造にトタン屋根の質素な空港だった。
ウブドは山側の避暑地で、ハノマン通りにある、アユウゲストハウスを拠点に、島じゅうをまわり南国を満喫していた。
川では老若男女が裸で水浴びをしていたり、家の前の側溝で行水していたり、バリニーズもおおらかでみんないいひとばかりだ。
夜になれば、真っ裸で隣のゲストハウスのプールではしゃいだり、もう無くなってしまったがモンキーファレストへ向かう途中のカフェ・クブクでは、朝まで寝込んでしまってもそっとしてくれたりホントにいい時代だった。
1ヶ月の滞在も終わりに近づき、その日はアグンサンに行くため、ウブドからバイクで山道を飛ばしていた。
ライステラスを右目に快調なツーリング!
超気持ちいい!まさにバグース!最高だ!
いくつかの村を通り過ぎ、アグンサンへの中間地点を過ぎたころ、前方がにわかに怪しい雲行きになってきた。
乾季の時期なのに、さすが山の天気はわからない。
とたんにバケツをひっくり返したような激しいスコールに突入!
一瞬にしてびしょ濡れで、視界はゼロこりゃやばい。
あわてて山小屋に避難、スコールが通り過ぎるまでしばし雨宿りすることにした。
しばらくして、虹とともにスコールも去り、熱帯雨林の葉についた水滴が南国の強い太陽のひかりでキラキラしていてきれいだ。
ふと見ると、山小屋のよこから細い脇道があった。
山の奥へとつづいている脇道、それを見たらなぜか冒険心がワクワクわいてきた。
よし、脇道を散策してみるかと、その細い脇道を、奥へと歩き始めた。
途中、クローブ畑に遭遇、クローブはインドネシア原産の、最も高いスパイスの一つで、確かインドネシアのタバコ、グダン・ガラムにも使われているはずだ。
先に進むと、どんどん道も細くなりクローブ畑の次は、コーヒー畑だ、たぶんオーガニックなんだろう。
そんなことを思いながらさらに奥へと進んでいった。
標高もずいぶん高くなってきて、耳を澄ますと鳥のさえずりの中に水の流れる音。
ん?
この音は、瀧の音かな?
その音の方に行ってみるかと足を進めた。
しばらく行くと、瀧のある大きくひらけた場所に出た。
その場所の左側におおきな亀の石造、その亀の甲羅から5メーターぐらいの柱が立っていた。
瀧も1本で、それほど大きなものではなく10メーターもなかったような......。
スコールの後のせいか、瀧壺に落ちる水のいきよいも激しく水量も多い。
そのせいで水しぶきもあたり一面に飛びちり、マイナスイオンが満杯で超さわやかで気持ちいい!
しばらくボーっと、瀧壺の淵に座りながら、瀧をみていた。
最悪のスコール、からの超気持ちいいマイナスイオン。
そんなことをおもっていたら・・・・。
ん?
いきなり、無音になり、音が聞こえなくなった。
そして、瀧の真ん中から真っ白に輝く、小さな丸い光の玉が現れた。
?何?
なんだ!
光の玉は、前後左右に大きくなったり小さくなったり、空中を縦横無尽に動き始めた。
ヤバイ!!
私は怖くなってあわてて目を閉じた。
とっさに、見ないようにしたのだった。
しかし、状況は何一つ変わらなかった。
目を閉じてもその光の玉が近付いてくるのを感じる。
次の瞬間、
白く輝く光の珠が、私のひたいを貫いた!
いや、そのように感じたのだった。
と同時に、救えという音と、絵を描いている画像が脳裏に焼きついた。
え?救え?
絵?
何?
なにがおきたのかわけがわからない。
私は、おそるおそる目を開けた。
白く輝く光の珠は、いつのまにか消えてなくなり、
さっきまでのかわらない瀧の風景が、ひろがっていた。
いったいあれは、なんだったのか!
あわてて、来た道を全速力で走って、バイクのもとへ、
バイクニまたがり、いちもくさんに、バイクを飛ばして、ウブドのアユウに逃げ帰ったのだった。
つづく
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