文系一筋だった私が一念発起して大学院でAIの研究をすることにした話
久々のnote更新です。
さて、このたび2021年4月から、立教大学大学院人工知能研究科に進学し、仕事は続けながらもAIの研究にも従事することになりました。本研究科は日本で初めてのAIに特化した大学院で、2020年に開設されました。従って私は2期目の入学となります。
せっかくなのでこのタイミングでなぜ大学院に進学することにしたのか、考えをまとめておこうと思いnoteを書くことにしました。
1.コロナにより学習コストが圧倒的に下がっている
まず第一に、学習コストに関する話です。言うまでもなく、2020年来発生した新型コロナウイルスの影響により、私たちの社会はオンラインでの活動に大きくシフトしました。リアルのイベントがなくなる代わりに、オンラインでのMTGや各種ウェビナー等で活発に活動をされている方も少なくないと思います。
また、こうした状況をある意味チャンスと考えて、オンラインで何か新しいことを学び始めた方も多いはず。オンライン学習サービスを運営するschooの調査によれば、実に60%以上の人が「自由時間が増え」「学ぶ時間が増え」「オンライン学習の抵抗感が減った」と回答しています。
近年VUCAと呼ばれる社会環境の不確実性の増大や、イギリスの社会学者リンダ・グラットンが著した『LIFE SHIFT(ライフ・シフト)ーー100年時代の人生戦略』を契機として、社会人も大学院等の教育機関で学び直すリカレント教育の必要性が叫ばれるようになってきました。
一方で、社会人が学び直しとして大学院に通うには厳然たるハードルが存在します。それは「機会費用」の存在です。機会費用とは、ある選択を行ったことでその期間における他の選択肢から得られたであろう価値の逸失分のことを指します。
つまり、ビジネスパーソンであれば、自身の業務や取り組んでいるプロジェクトに本来投下できたはずの時間を大学院での勉強に費やすこととなり、思うように実績が上げられず昇進を逃したり、キャリア形成の遅れにつながるリスクが生じるということです。私たちは時間の制約から、望むもの全てを手に入れることはできないのです。
事実、総務省の平成30年版『情報通信白書』によれば、学び直しを行う上での必須要件として、「インターネットによる授業の整備」、「地理的に通学に便利な場所であること」、「土日に学べる授業の開講」等が主要な課題として挙げられており、いかに仕事を続けながら教育機関に通う時間を捻出できるか、またその上で機会費用をどれだけ最小化できるか、という視点から、学び直しにはいくつものハードルが存在することを示唆しています。
学び直しを行うための必要要件
総務省 平成30年版『情報通信白書』より
しかしながら、コロナによる環境変化はこれらの状況を一変させました。大学の授業はオンラインでも提供されることが大前提となり、地理的な制約が取り払われます。それだけでなく、大学によっては授業の録画を後から視聴することも可能になり(場合によって倍速で)、時間的にも非同期性が実現します。
もちろん高校を卒業したばかりの学生さんにとってみれば大学の価値の大半はリアルなキャンパスライフにあるでしょうから、彼らにとってはこうした状況は望ましいものとは言えないかもしれません。(報道等でもご存知の通り)
ただ、社会人にとっては機会損失の最小化が可能となる環境が突如現れたことになり、学びの投資対効果がこれまでよりも非常に大きくなっていることを意味します。
更に私自身は、従来は夜に会食する機会が多かったのですが、コロナによりこうした場に赴く回数が減っていることもあって、比較的時間を取りやすくなったという事情もあります。これが大学院進学を決めた理由の1つめです。
2.ビジネスパーソンも論文を読むことが当たり前の時代に
先述の話とも関連しますが、変化が激しい現在のビジネス環境においては、何が正解なのかがとても見通しにくい世の中になっています。そのためなのかは定かではありませんが、昨今はとかく「他社事例の収集」に熱心なビジネスパーソンが多いように感じます。
他社でうまく行っている先端事例を収集して、いち早く模倣すればリスクを避けながら一定の成果を上げることができるに違いない、もしくは何か新しいことを始めるにしても何らかの裏付けがなければ稟議が通らないとかそういった切実な理由が背景にあるのだと思います。
しかしながら、既に公知となった事例を研究してそこから動き出していたのでは一歩も二歩も遅れてしまい、他社に先んじることはできません。むしろその頃には結局皆が同じことを始めていて、周りを見れば類似サービス・競合だらけ、といったことさえ起き得ます。
そんな時、私たちはどこにヒントを求めれば良いのでしょうか?実はビジネスの世界には答えがなくとも、アカデミアの世界では既に答えが出ていることがあるのです。
私が過去に読んで目から鱗が落ちる思いだった1冊の本があります。それは『サラリーマンの悩みのほとんどにはすでに学問的な「答え」が出ている』という本です。
この本では例えば、
ーなぜ給料が上がらないのか?
ーどうすれば楽して出世できるのか?
ーどうすれば職場の人間関係はうまくいくのか?
こうした誰もが一度は問いを持ったであろう課題について、すでにアカデミアの世界において定まっている一定の「答え」を紹介しており、当時私は大変驚いたものです。ああ、自分の頭だけでこんな課題を解決しようとしていたなんて、なんて無駄なことをしていたんだろう、と。
実はビジネスシーンにおける課題も同様です。昨今では新たな取り組みを始める場合にPoC(Proof of Concept)と言って実証実験から始める場合も多いと思いますが、類似のケーススタディは論文を探せばヒットすることが往々にしてあります。だとするならば、そうしたアカデミアの知識や理論に着想を得て、実務に応用するのが近道となるのではないでしょうか?
にもかかわらず、ビジネスパーソンの中で、論文を日常的に読んでいる人は私の感覚ベースでは1%もいないと思います。なんといっても月1冊未満しか本を読まないビジネスパーソンが全体の6割を占めるのですから。
楽天ブックス調査より
これは裏を返せば論文を読む素養を身につければそれだけで大きく他者と差別化できることを意味します。人生100年時代、論文を読みつつ自分の専門分野に対する質の良いインプットを重ね、息の長いビジネスパーソンになる。大学院はそうした素養を身につけるのにうってつけの場所だと考えています。これが2つ目の理由です。
3.マシンパワーの活用
3点目は大学院の進学目的の中でも、なぜ人工知能研究を選択したのか?という部分の理由になります。
2020年に、とあるトピックが話題を集めました。それはGAFAMと呼ばれるアメリカのビッグテック5社の時価総額合計が日本の1部上場企業2,000社あまりの時価総額合計を追い抜いた、というものです。
上記の話をめちゃくちゃ単純化すると5社:2000社なので、彼我の価値を生み出す力は400倍の差があるということになります。さて、一体この差はどこからやってくるのでしょうか?いろいろな理由はあると思いますが、その大きな1つの要因はマシンパワーの活用にあることは間違いありません。
つまり、GAFAMはデータを集め、機械学習をはじめとするAI技術を活用して、私たちが寝ている間もご飯を食べている間にもせっせと機械が富を生み出し続ける仕組みを持っていることで指数関数的な成長を遂げているのです。
一方、コロナにおける給付金対応の顛末でも分かるように、日本ではいまだに最後は手作業で何とかするという文化が根強く、マシンパワーを十分に活用できていません。
これは結局竹やりで爆撃機に立ち向かうみたいな話と本質的には同義で、この時価総額の逆転現象は、私たちがマンパワーのゲームからマシンパワーへのゲームへの移行を迫られていることを表しています。
もちろん昨今ではDX(Digital Transformation)がバズワードのように喧伝されていることは承知していますが、ハンコを電子データ化して喜んでいるようでは到底その差は埋まりません。(この辺は過去の拙記事も参考にしていただければ)
さて、こうしたマシンパワーを活用するためには当然AIや機械学習といった分野への見識を蓄えるべき、という話になってくるわけですが、むしろAIに対する期待感はいっときの第3次ブームを経て、随分落ち着きを見せてきたようにも思います。(ガートナー社のハイプサイクルでも現在はちょうど幻滅期にある)
ガートナー社2020年9月時点におけるハイプサイクル
したがって、AIをこれから学ぶなんて遅いんじゃないの?という声もありそうですが、私はむしろこれからが本格的な普及期に入り、誰もがビジネスにAIや機械学習を活用して事業にレバレッジを掛けていく時代、言い換えるとマシンパワーのゲームが当たり前化する時代に入っていくと思っています。(そうでないと生き残れない)
この過程で、機械学習をはじめとするデータサイエンスは、今やビジネスマンの必須教養となっているロジカルシンキングやファイナンスのように、より一般化していくでしょう。MBAの一科目として教えられることもますます増えていくと思われます。私は文系だから・・と食わず嫌いしているわけにはいかないのです。
4.この国で最も希少な資源とのつながり
さて、最後になりますが、この日本において現在最も希少な資源は何だと思いますか?
私の答えは”優秀な若者”です。
2020年の出生者数は87万人と過去最低を更新、コロナの影響もあって2021年の出生者数は80万人を割り込むと予想されています。少子高齢化は歯止めがかかるどころかその度を増しているように思います。
経済学では財の価値は需要と供給によって決まるとされています。これから日本の社会全体のエイジングが進む中で、優秀な若手人材への需要はどんどん高まっていくでしょう。供給は少なくなるのに。
大学院では、学部を卒業したばかりの学生を含む優秀な人材と直接関わりあうことができます。彼らのフレッシュな視点、未来への課題感、柔軟な思考、そうしたものから真摯にいろいろなことを学ばせてもらいたいなあと思っています。
と同時に私の持っている資源は惜しみなくシェアしたいと思っています。時代は令和になるのに、昭和が終わっていないような会社に就職して才能を潰して欲しくないので、彼らのキャリアの相談に乗ったりもしてみたい。
このように、世代を超えたつながりをつくる。これも大学院の大きな魅力なのではないでしょうか。
最後に
さて、最後にちょっとした雑学を。皆さんはスクール(school)の語源を知っていますか?これはギリシャ語の「スコレー」から来ていて、元々は「余暇」の意味です。
古代ギリシャでは知識人達は奴隷を使って自らを労働から解放し、代わりに生み出した余暇(スコレー)の時間を学問や芸術と向き合う自由な満ち足りた時間として捉えたのです。
現代においては奴隷を用いることは許されていませんが、代わりにAIが人間の仕事を担い始めています。とかくAIは人間の仕事を奪う!と脅威論で語られることが多い昨今ですが、むしろAIを道具として用い、労働から解放されたとき、人々はまた学び舎へと戻っていくのかもしれません。
ここまでお読みいただき、ありがとうございました。
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