80年代の青春ミステリーに見つけたエモさ
「ぼくと、ぼくらの夏」 作者:樋口有介
これはどこかノスタルジックな、確かに色褪せない青春×ミステリーだった。
せっかく実家に帰ったから、やり残してたゲームでも消化しようと思いプレイしたけどまったく進まず。
年齢か、操作下手か、趣味が変わったのか。
少しやっては疲れたり、飽きたりしてゲームはまた次の機会に見送ることに。
ずっと持っていたけど使わなかったQUOカードを思い出し、本屋でも使えることを確認してから、
以前どこかで紹介された本をいくつか買ってみることにした。
「ぼくと、ぼくらの夏」
表紙の若い男女のイラストは、久しぶりに “ちゃんと読む” 自分の読書への抵抗感を払拭してくれて、ミステリーということもあり、表紙をめくるのは早かった。
時代的にはおそらく、80年代か90年代あたり。
出版が1988年だからきっとそのあたりだと思う。
高校生の主人公たちがお酒やタバコを嗜む描写があったり、スマホどころか携帯電話すら介在しない連絡のやり取りは少し懐かしくもあり、同時にとても新鮮に思えた。
内容的には、ある日女子生徒が自殺する。その死因に違和感を持った主人公と同級生の女子が探偵のごとく捜査する話。
一応、ネタバレはしないように書こうと思うからのご安心いただきたい。
この作品はミステリーとしての要素はそこまで強くはないんだと思う。
むしろ楽しんでもらいたいのはその “世界観”
様々な登場人物が出てくるけど、とくにお気に入りなのは主人公の「親父」
冷めた感じの主人公との鉤括弧の連続したやりとりは、見ていてリズムもよく、洋画のセリフ回しのようにオシャレ。
親父のぶっきらぼうな昭和感が、そこにさらに味を出してるように思う。
妻と別れて息子と暮らしているわけだけど、料理・家事・洗濯すべて息子任せで野球が好き、
洋服には興味がなく、車も乗れれば良いみたいな感じの昔ながらのザ・親父像。
現代で一般的に求められている男像ではないけれど、温厚で憎めない人柄と、主人公が「やれやれ」と相手にしてる感じがとても微笑ましい。
もしかしたら、随所、自分の父親とのやりとりを思い出させるところが、より感情移入させるのかもしれない。
この作品を読んでいて、終始受けた感覚がある。
もしかしたらこれがよく聞くけど自分では見つけられなかった、正体不明の “エモさ” なのかもしれない。
以前、ファッション誌の編集長のコラムでエモさについて書かれていたことがある。
曰く、
「生まれていたのに覚えてないとか、ギリギリ被ってないからわからない存在ってエモいのでは?」
だそう。
そもそも生まれてない、全然被ってない。もワンチャン刺さるかもとはあったけど。
そこで考えてみると、自分は92年生まれ。
作品が世に出たのは88年だから、ギリギリ生まれてない。
この作品の時代風景から感じるどこか懐かしい感覚は、このギリギリの差から生まれるもので、
これが“エモさ” ってやつなのかもと思ったりした。
エモさの正体見つけたり。
小説を選ぶ基準に、ミステリーやホラー、ファンタジーやエッセーとか色々あるけど、
作中の年代や、本が作られた時代、
を基準に選んでみるのも一つの楽しみ方にも思える。
カテゴリで選ぶと、死ぬまで触れないカテゴリがある気もするし、
せめてどこか懐かしい感じがする、
「とっつきやすさ」くらいはあった方がいい。
まあ、ファンタジーに時代基準は無理かもだけど。
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?