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大正6年生まれ、100歳の祖母の話を聞く会を開催しました

この前の日曜日、神奈川県横須賀の浦賀にて、100歳の祖母の話を聞こう!と言う会を開催しました。


・今は100歳なのに自己紹介で堂々と「101歳です」と年齢をサバ読むおばあちゃんに苦笑する母と私、、(来月誕生日ですが)


・小学校の事、戦時中の結婚式・披露宴では最中に空襲警報がでた事、東京大空襲の事、戦後の引き上げ船や浦賀ドッグ、フランス軍艦の事など

・19歳から親戚の家の養女となり、奉公のような形で生活していた。(そこでは自分を殺してただ親戚に従う、言われたようにする、という生活だったので、嫌な事を言われても、困難が起きても深く考えずにスルーするが身についたのではないかと孫の私は見ています)

・玉音放送を聞いたときは、戦争が終わって嬉しいというのはなくて負けてしまって残念という気持ちだった。


・勝つために、勝ってほしいから金属を軍に提供していた


・戦争を忘れないように毎年8月15日はすいとんを作っている

・(戦後南方からの引き上げ船が浦賀にたくさん到着していたので)引き上げの兵隊さん達が少し先まで行列で歩いて行かされていたのだけど、その表情が情けない表情で、、(といいながら涙ぐんでいたので、それ以上突っ込めず、、、)

・長寿の秘訣は何でも食べる(今でも肉やコロッケが大好き)
・くよくよしない・ケセラセラ
・我慢をする、対立は避ける・遠慮しない (矛盾してない?この点よく分からず…追って詳しく聞いてみます。単純にあまり深く考えてないだけかもしれません)

・昔と比べて、今の時代で変わったものは?と聞いたら「特にないねぇ」と。ないのか!

大正15年、祖母が小3の時の通知表も出てきました。1ページ目に「お誓(おちかひ)」とあって、


「私はよい日本人となるために名誉にかけて次の三條を誓ひます。
第一 神明を尊び皇室を敬ひます。
第二 人のため、世のため、國のためにつくします。
第三 学校の掟を守ります。」

通知表には「父兄方に告ぐ」という項目があり、「なるべく家事の手伝いをさせ、また低学年は一日30分、高学年は二時間位復習をさせてください」とありました。うちの小3男子、30分も勉強してないわ、、汗

今日ご参加いただいた皆様、会場をお貸しくださった永井さん、どうもありがとうございました!


(鴨井八幡神社の社務所をお借りしたのですが、目の前が海という素晴らしいロケーションなんです。子供たちは2時間近く、そこの境内で大はしゃぎで鬼ごっこやらだるまさんが転んだやらかくれんぼやら、気付くと近所の子供も加わって汗だくになって遊んでいました。まるで昭和な光景に癒やされる。。)


今日のライフハック:

「今って本当に平和だ」と思うと、そんな毎日がありがたくて少し幸せな気分になる

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