自粛期間に価値感は変化したのか?
まず、この文章はどんな価値を提供するものではなく全くの個人的なメモであることを断っておく。
さて、緊急事態宣言を終えてWITH コロナではあるが日常に戻りつつある方が多いと思います。僕も自粛生活をしていた期間のことは、あっと言う間でどのように過ごしていたか?記憶の中で遠のいてしまっています。
アフターコロナ。それぞれの人々に色々な物語があって、今後の生活ににさまざまな価値観の変化をもたらしたと思われる。僕の仕事上は、そういったことを研究することも大切なのだが、改めて自分自身は自粛期間中に何を考えて、どう過ごしたのか書き記しておこうと思う。
テレワークをしたり、筋トレをしたり、読書をしたり、まぁいろいろと普段できないことにトライしてきたが、最終的に思い出深いことは、完全に娘と同じ小学生になりきり同じ目線で時間を共有することだった。
これは徹底的に毎日サボらずに続けた。
娘が生まれたときの話
記憶も薄れてきたが、娘は生まれると同時にICU(赤ちゃんの集中治療室)に入ることになった。乳幼児胎便吸引症候群という、厄介な状態で生まれてきて、すぐに呼吸が自分でできずに脳に十分に酸素がまわらない合併症にもかかってしまった。ICUに入ると僕は一人先生に呼ばれて状況を説明された。「助かる可能性は50%」医者は淡々と説明する。当時、インターネットで症状について調べると予後も障害を伴う可能性が高いとか、とにかく不安になるようなことばかり書いてある。現実を受け入れるのに、かなりの時間を要して、いままでに経験したことのない覚悟をこころに持ったことを覚えている。
少しこころが強くなった瞬間だった。
その後、娘は心肺停止など、危険なロードを得て、看護婦さんたちの懸命な仕事ぶりに助けられて、無事に退院することとなった。
現在、娘は6歳になり、何事もなくとても元気に過ごしている。
ほんとうによかった。
僕たち夫婦は、娘の時の難産、その後の大変だった状況から2人目の出産はあきらめて、娘はひとりっ子となることになった。
新興住宅街で暮らしていると、世の中の少子化問題がウソのように、近所の公園には兄弟姉妹のいる子供たちであふれている。うちの娘はやはり兄弟姉妹がいないことが寂しそうなので、僕は父親と兄弟の二役をずっと心掛けてようと常々思っている。
毎日の暮らしぶり
朝、起床して朝食後に、僕はジョギングとワークアウト
娘は、公文と小学校の宿題を妻が見守る中する
その時間が過ぎると僕と娘の兄妹生活が始まる。
まずは〇〇ごっこ。女の子が大好きな遊び。
兄としては女の子っぽい遊びはつまらないので
彼女のストーリーに勇気や友情や愛情、戦いを織り交ぜていく…w
少年ジャンプの世界w
そうすることで、僕自身もある程度は飽きずに付き合えるし
彼女からすると予想外の展開が待ち受けていて楽しいようである。
家族ごっこしているのに、お父さんは実はサイヤ人で、戦いに行かなければならないといった具合だ。おかげで、娘の正義感もかなり成長してきたようだ。
最近の彼女の夢は研究者になること。新型コロナウィルスのワクチンを開発するらしい。そんな彼女の夢はちょっと誇らしい。
夕方の決まった時間に、近所の公園へふたりで出かける。幼稚園時代のお友達が必ずいて、娘と友達と僕とで遊ぶ。普段、週末にしていたことだけど、毎日になってくると、僕も仲間として認められたようだ。友達からも、〇〇ちゃんのパパではなく友達としての関係性に変化してきたのだろう。
小学生の低学年や幼稚園の年長さんとなると、そこそこしっかりと友達同士のコミュニケーションが出来上がっていて、その会話に入り込むのは中々おもしろい。小学生になると彼らなりに悩みもある。そんな親には話しをしていないことも打ち明けられたりもする。
もはや〇〇ちゃんのパパではなくなっている…w 少年ジャンプでいう仲間だ。
コミュニケーションは仲間だからとれる
そこには間違いなく僕たちのコミュニケーションが生まれていた。
そんなもんだな。
社会の組織で働いていると、コミュニケーションが大切という言葉は安売りしている。それぞれの立場にたったコミュニケーションだ。
このコロナで自粛していた期間、もちろん連絡を取り合った職場のメンバーもたくさんいる。それは、立場があってのコミュニケーションなのか、仲間意識からのコミュニケーションなのか?
立場があっても、仲間のところへ降りていけば仲間になれる。
降りていけばコミニケーションは深まる。そんなことを考えさせられた。
子供たちは、とにかくなんでも明るく話す。
「ハチに刺されたこと」「兄弟にいじめられたこと」
「サッカーの練習がうまくいかないこと」
「鉄棒ができないこと」なんでも、明るく話す。
人生にはつらい事や悲しいがたくさんあるけれど、それもひっくるめて
人生を楽しんでいく。
そんなことを改めて、考えることができた。
お別れの時
歳を重ねてくると悲しみを受け流す術のレベルはあがる。僕が小学生の頃、祖母の暮らす京都からの帰りにいつまでも見送る祖母を見ながら、もう会えなくなるのではと考えて、車の後部座席で親にバレないように必死に涙をこらえていたことを思い出した。
緊急事態宣言が解除されて、ようやく仕事へ復帰する日が決まった。
娘には出勤する前日に、お風呂の中でそれを伝えた。
「たくさんの時間を一緒に過ごせて、楽しかったね!」
その瞬間、娘は大泣きした。
「今日が最後だって、なんでもっと早く教えてくれなかったの?(涙)」
「教えてくれたら、もっと大切に時間を過ごせたのに(涙)」
なかなか、大人な意見である。
僕は、そのあとベッドに入って娘が泣きながら眠るのを待った。
祖母とのお別れのことを思い出したりしながら。
明日からも、毎日一緒なのに、こっちまで泣けてきた。
価値観の変化
時間に追われずに、過ごすことができた。
価値観が変わったというより、忘れていた価値観を思い出した。
結構、こんな感じではないだろうか?