自#149|自分のミッションを信じられる人は、後悔とかは、絶対にしません。(自由note)
沖縄SVのオーナー兼サッカー選手の高原直泰さんのインタビュー記事を読みました。SVは、ドイツ語のシュポルト・フェァアインの略で、スポーツクラブの意味です。沖縄SV(OSV)は、J1から算えると5部に当たる地域リーグ(九州リーグ)に属しているサッカーチームです。高原さんは、日本代表として、国際Aマッチ57試合に出場し、23得点を獲得したベテラン選手です。高原さんは、現在、スポーツを核にして、地域の活性化や雇用創出を目指して、沖縄の大宜味村を本拠にして、活動されています。沖縄SVのTシャツを着て、畑に立っている高原さんを始め、チームメイトの写真が掲載されています。青いTシャツの左胸のとこにOSVのロゴが入っています。その他の場所には、セブンイレブンやイオンなど、複数の会社の名称がTシャツに印刷されています。正面から見えるとこだけでも、8社の名前が読み取れます。背中側にも、印刷されているでしょうから、10社は軽く超えていると推測できます。Tシャツを着て、会社の広告塔の役目を果たすのも、沖縄SVが手がけているビジネスのひとつです。
高原さんは、国の沖縄総合事務局から、観光、IT産業に次ぐ3本目の柱として、スポーツ産業を創出したい、モデルケースになって欲しいと、誘われて、沖縄でスポーツビジネスを立ち上げる決心をします。まず、サッカーチームを作ります。本州と沖縄でセレクションをして、選手を集めます。スポーツを核にして、ビジネスを展開すると云う高原さんの考えに賛同して、4人のプロ選手もチーム入りしてくれました。
沖縄SVを立ち上げて、今年で5年目です。最初の3年間は赤字。4年目から黒字化し、今年はコロナ禍で、大変な状況ですが、何とか黒字を維持できそうだと語っています。つまり、経営が軌道に乗って来たわけです。
シーズンオフには、チームトレーナーを、女子プロゴルファーのツァーに同行させたりしています。無論、これもビジネスの一環です。Jリーグなどのキャンプを沖縄で受け入れる事務局のような仕事もしています。今年はJ1の強豪や海外チームなども含め、最多の27チームが参加してくれたそうです。かりゆしウェアなど地元の伝統工芸と組むプロジェクトも展開しています。
沖縄SVがもっとも力を入れているのは、農業分野への進出です。「自前の収入になり、引退後の選手の雇用先にもなる」と高原さんは語っています。農業と福祉を連携させる活動をしている団体とコラボして、障害者と選手が、400坪の畑を開墾し汗を流したそうです。新たな開墾をしなくても、過疎の村には耕作放棄地が沢山あります。耕作放棄地を利用して、コーヒーの栽培を始めました。コーヒー栽培の適地とされるコーヒーベルトは、南緯25度から北緯25度の間です。沖縄は北緯26度ですが、栽培できるそうです。そこで、ジュビロ磐田に在籍していた頃のメインスポンサーだったネスレさんに相談して、支援してもらうことになりました。ネスレさんが、毎年、1万個の種子の提供をしてくれて、栽培技術の指導も仰ぐことができます。世界的な部品メーカーから栽培用センサーが、提供され、電力会社から出資の申し出もあるそうです。台風による強風を、如何にして防ぐのかが、当面の大きな課題です。栽培だけでなく、将来的には加工、販売まで手がける予定です。ネットを使って売ればいいので、販売は昔に較べると、はるかに容易になりました。沖縄SVだけで囲い込むつもりはなく、賛同してくれる農家に、苗木を提供しています。地域に貢献し、地方創生にしっかりと関わって行くことが、沖縄SVの大きな目的です。そういう地道な活動が、スポーツ自体の価値を高めてくれると、高原さんは信じています。
高原さんが、沖縄SVを設立したのは36歳の時です。静岡県三島に生まれて、小1からサッカーを始め、名門県立清水東高校を卒業して、ジュビロ磐田に入団します。ユース時代には、オリンピックにも出場し、南米やドイツのクラブチームに在籍していたこともあります。35歳まで、サッカー=人生だったわけです。36歳で、サッカーを核としたビジネスを展開すると云う人生を、新たに始めます。スポーツの場合、プロの第一線で活躍できるのは、ある一定の年齢までです。第一線を退いたあと、どういうキャリアを築き上げて行くのかと云った風なことを、高原さんのような先駆者がいれば、後進たちは間違いなく真剣に考えるようになります。
高原さんは、選手として現在も活動しています。前季までは、選手兼監督兼オーナーと、一人で三役をこなしていました。今季から、高校時代に一緒にプレーをした山本浩正さんを監督に招きました。勝つためには、やはりチーム強化に専念できる監督が必要です。沖縄SVのトレーニングは、相当ハードだそうです。基本、一年中、暑い土地柄です。気候の温暖なやや涼しい地域に較べると、トレーニングは、かなり辛い筈です。厳しいトレーニングを若手と同じようにこなせなくなったら、即座に引退して、経営に専念するそうです。
高原さんは、沖縄に来るまでは、フェラーリに乗って、悠々自適のサッカー選手ライフを満喫されていたわけですが、今は、国産の大型ワンボックス車にサッカー用具を積み込んで、練習場や試合会場に、チームの誰よりも早く到着し、準備をしているそうです。私も長い間、バンドの部活の顧問をしていました。つまり、生徒のお世話をする裏方です。お世話をする裏方は、仕える時間は、だいたいすべて、ケアする生徒や選手のために使っています。自分自身の時間などは、ほとんどありません。高原さんは、練習や試合が終わると、スーツに着替えて、スポンサーを得るために、営業回りをしています。つまり、滅私奉公です。が、滅私奉公が、自分のミッションだと信じられる人は、その世界で、やり切ればいいんです。やり切った充実感と云うものは、当然ありますし、後悔とかは、絶対にしません。