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世#001|インド(世界史ノート)

 アーリア人が侵入する前に、インドに存在していたのは、インダス文明です。モエンジョ=ダロやハラッパーと云った遺跡が知られています。アーリア人よりも、2000年以上前に、西北からインドに移動して来たドラヴィダ系が、インダス文明を築いたと推定されています。同一規格の焼煉瓦(やきれんが)を使って、住宅、倉庫、沐浴場、排水溝、道路などを建設しています。沐浴状(もくよくじょう)は、浄めをする水のプールだと考えて下さい。メソポタミアと交易をしていましたが、メソポタミアで使用していた、楔形文字(くさびがたもじ)を刻む粘土板は、発見されてません。大規模な宮殿跡や陵墓もないので、中央集権的な官僚機構を整えた王国が、インダス文明を築き上げた訳ではなく、共和政的な都市国家が、各地にそれぞれ別個に存在して(ハラッパー、モエンジョー=ダロ、ロータル、ドゥーラヴィーラー)いたと考えられます。

 文字は、石のハンコ(印章)に刻まれています。動物(聖獣)の図柄を描き、上部に文字が刻まれています。他の古代文明の文字は、ほぼ解読されているんですが、インダス文字は未解読です。ですから、その後のインドとのつながりが、正確には解りません。インダス文明が滅びた原因も謎です。滅亡の原因は、河川の氾濫、流路の変更、気候の乾燥化森林伐採、交易の衰退、地殻変動、塩害など、諸説あります。聖獣としての牛、信仰の対象としてのリンガ(男性生殖器)、シバ信仰のルーツの彫刻、などが、おそらく後世に影響を与えています。

 インドのルーツの文字は、ブラーフミー文字です。私たちは、アラム文字の影響を受けて、ブラーフミー文字が誕生したと習いました。が、資料集を見ると、アラム文字からブラーフミー文字への矢印は引かれてません。インドは、おそらく21世紀中に、世界のNo1の国になるであろう大国です。中国と同じように、文字も自前で拵(こしら)えたと、インドの学者たちが、powerfulに主張しているのかもしれません。

 BC15C頃、アリーアが、カイバル峠を越えて、侵入して来ます。インドにもともといた人たちを、征服して支配します。遊牧系の侵入民族は、征服した人たちを、結構、普通に、次々と大量に殺します。遊牧民にとって、征服した人間は、価値がないんです。価値のあるのは、羊とか馬です。征服した人たちを、上手に使えば、富を産み出すことができると、システマティックに考えられるようになったのは、モンゴル帝国の5代目のフビライあたりです。

 アリーアは牧畜民です。馬に乗る遊牧民ではありません(そもそも、馬に乗ると云う文化は、まだ発明されてません)。征服した人たちを、奴隷にします。中央アジアで牧畜をしていた頃よりも、インドに来ると、経済的に、はるかにゆたかな状態になりました。経済的にゆたかになると、働かなくても食べて行ける富裕層か出て来ます。普通は、武力を持っている人たちが支配階級になり、その中から王が登場します。で、王を、宗教によって権威づけると云うプロセスを辿って、古代の中央集権的な王国ができ上がります。が、インドでは、宗教を司る人たちが、topになり、王侯戦士階級は、その次。商工業、農業に携わる人が、その下に来て、征服したネイティブを奴隷にして、階級が確立します。これを、ヴァルナと言います。ヴァルナが、職業の分化、世襲に伴って複雑化し、ジャーティが形成されました。ポルトガル人が、家柄・血統を意味するカスタと云う言葉を使ったので、今でもその流れで、カーストと、外国人は普通に言いますが、正式にはジャーティです。

 ガンジス川の中・下流域は、灌漑農耕が可能です。生産力が高まり、商業都市も生まれます。ガンジス川沿いの森林を切り拓くために、鉄の斧が使われました。アーリアが、パンジャーブ地方から、ガンジス川に進出した頃に、インドは鉄器時代に突入したんです。鉄は、ヒッタイトが小アジアに国を保っている時は、門外不出でした。BC12世紀に謎の民族「海の民」が東地中海に現れ、ヒッタイトは滅亡しました。ヒッタイトが滅びると、鉄および鉄の製法は、急速に全世界(except アメリカ大陸ですが)に拡散します。

 ガンジス川沿いに、十六王国が、覇を競うようになります。マガダ王国の首都のラージャグリハ、コーサラ王国の首都のシュラーヴァスティは、大商業都市として、繁栄します。農業的な共同体を自分たちの経済的な基盤としていたバラモンの地位は、都市経済の発達によって低下してしまいます。クシャトリアやヴァイシャから、自由にものごとを考える自由思想家たちが登場します。この自由思想家のことを、沙門と言います。もっとも有名な沙門が、ゴータマ=シッダールタです。次がヴァルダマーナ。マハーヴィーラは「偉大な英雄」と云う意味の尊称で、ジナも勝利者と云う尊称です。ヴァルダマーナが始めたジャイナ教は、商工業者(つまりヴァィシャ)を中心に信者を拡大したんですが、ヴァルダマーナ自身は、クシャトリア階級の出身です。

 ヴァルダマーナが始めたジャイナ教と、ガウタマ=シッダールタが教えを説いた仏教とは、ほとんど教義は同じです。ジャイナ教の方が、hardで要求水準が高く、仏教の方が、戒律がゆるくて、sophisticatedされていると言えます。

 資料集には、白い服を着て、マスクをつけ、白い柄の箒(ほうき)を持って歩いているジャイナ教徒の写真が、よく出ています。ジャイナ教では、あらゆるものに霊魂があると考えています。つまりアニミズムです。霊魂のある生命を殺すことは、厳しく禁じられています。ですから道路をちょこまか歩いているアリさんを、踏み潰さないようにゆっくり歩き、必要であれば、箒でやさしく、脇に移動してもらいます。空気中の虫などを、誤って吸い込んだりしないように、マスクをしています。

 が、この人たちは、白衣派です。ジャイナ教徒には、一切衣類をまとわず修行をする、空衣派が存在します。衣類を身にまとわないグループは、ヒンズー教にも存在します。インドに行けば、割合、普通に裸体の修行者に出会ったりします。
 断食がやはり一番、厳しい修行です。自己の天寿の尽きることを悟った修行者は、一切の食物を摂らず、断食をしながら死んで行きます。これが、最高の断食です。  

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