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教#73|源氏物語を読んでいると、夜がまさに夜~源氏物語③

 受験生は大和和紀さんの「あさきゆめみし」のマンガを読んで、源氏物語の大筋を知ると云うのが、今のトレンドなのかもしれません。マンガにはマンガとしての価値があります。ただ、「あさきゆめみし」は、源氏物語のコピーとかカバー、あるいは別バージョンと云った位置の作品ではありません。二つは、まったく別種の創作作品です。

 私は、ここ1ヶ月半ぐらい、毎日、絵を見ています。最初の1回目は、ピカソでしたが、2回目からは、すべて19世紀の作品です。ゴーギャン、モネ、セザンヌなどは、20世紀の初頭まで活躍しますが。概ね19世紀の画家だと位置づけても問題ないと思います。19Cと20Cとは、いろいろ違います。20世紀には、キュビズムやフォービズムが始まり、表現主義やシュールレアリズムなど、さまざまな流派が、競い合った賑やかな時代です。19世紀も、古典派、ロマン派、写実派、印象派、などなど、絵画のジャンルは、次々と打ち立てられて行きます。

 ジャンルの問題は、さておきます。19Cと、20Cとの決定的な違いは、電気があるかないかです。もって、正確に云うと、電気の灯りが、存在するか否かです。

 私が小さい頃、蛍光灯はありましたが、郷里の貧しい漁村では、白熱灯の方が、より多く使われていました。街灯の灯りはなく(そもそも街ではないですし)外は、月や星の明かりでした。海を見れば、漁をする漁り火が見えました。漁り火は石油ランプの灯りです。

「あさきゆめみし」の第一巻の巻頭のカラーページのイラストは、光源氏が桜色っぽい直衣を着て、二藍色の指貫、紫の上は、黄蘗の小袿に紅の張り袴。ページを捲ると、竜頭と鷁首の船を池に浮かべ、寝殿のそれぞれの対から花見をしているイラストが描かれています。明るくて、華やかで、心が浮き立つような絵です。が、これは、電気の時代のアーティストが描いた絵だと、理解できます。紫式部が生きた時代には、電気は存在してません。灯りは、紙燭、松明、篝火などです。

 谷崎潤一郎の「陰翳礼讃」には近代的な灯りが、伝統的な細やかな美を失わせてしまったみたいなことを、書いてあります。高校生の頃、「陰翳礼讃」を読んで、子供の頃の白熱灯の灯りを思い出しました。確かに、昔の方が、夜は夜で、夜の細やかな陰がありました。

 学生の頃、鎌倉の円覚寺の在家のための道場で、坐禅をしていました。その道場では、電気は一切、使ってませんでした。火災報知器はありましたから、電気は来てなかったわけではないと思いますが、日々の生活の中では、電気を使用してませんでした。電化製品と云ったものは一切ありませんし、当然、コンセントの類いも設置されていません。ご飯(正確に云うとお粥)は、薪を燃やして竈で炊いていました。消灯までの灯りは、ローソクでした。洗濯機も冷蔵庫もありません。冷蔵庫がないので、肉や魚の保存はできませんでした(もっとも禅寺ではそういう食材は使用しませんが)。夜、坐禅に疲れたら、道場の建物の周囲を歩くことくらいは認められていました。外は、月や星の明かりでした。

 昼間、太陽が出ていれば、明るいです。これは、今も昔も同じです。が、昔は、夜は暗闇です。紙燭や篝火と云った明かりは、物理的に何かを燃やして、拵えています。蛍光灯と較べると、モノの陰がはっきりしています。全体のトーンは、暗いんですが、fantasticです。こういう暗くて、fantasticな空気感の中で、源氏物語は進行して行きます。音楽で云うと、明るいメジャーな響きではなく、暗くてブルージーなマイナーのそれです。それがまあ、ものすごくざっくり言ってしまえば、もののあはれに直結しています。私の個人的な考えですが、をかしと云うのは、昼間の文化です。夜は、才気煥発で、知的な清少納言がどんなに努力、工夫しても、空気感がブルージーですから、をかしでは、ピントがブレてしまいます。

 全体の基調はブルージーでマイナー。そこの基本をきっちり押さえておけば、次々に人が何ごともなく死んで行っても、大きな自然の摂理だと受け止められるようになります。

 現代の物語と較べると云うのは、意味をなさないと思います。その時代の動かせない根本概念のようなものが沢山あります。それを、現代の基準に合わせて、批判する方は、最初から源氏物語はスルーしておいた方が、無難です。

 現代と違って、電気は存在していません。電気のない夜の怪しさ、おどろおどろしさ、fantasticな、ほのかな美しさは、文明が届いてない無人島で、一週間くらい生活すれば、それとなく会得できます。完全な暗闇体験をエンタメとして、提供している施設があれば、一回あたり千円の入場料だとしても、体験してみる価値はあると思います。

 山登りをして、キャンプ場以外のとこで、テントを張って、夜を過ごせば、人工的な灯りのない、月と星明かりの空気感は、体感できます。ただまあ、ある程度の高さ以上まで登らないと、下界の灯りが届いてしまいます。

 イベントは、基本、夜、実施されます。遊びと云えば、管弦の遊びのことです。昼間、演奏することはありません。遊びは全て夜です。今、コロナ禍で、ライブハウスは、店を閉めていますが、ライブは、基本、夜です。野球のナイターは、お客さんを集める必要上、夜、照明器具使って、実施していますが、音楽や演劇は、お客さんの都合ではありません。音楽も演劇もダンスも、本来、夜のmajicの中で、実施すべきものなので、夜、行います。

 源氏物語を読んでいると、夜がまさに夜で、外が暗かった子供時代のことを思い出します。夜には、ムンクの思春期の絵に表現されているような怖さが、ありました。朝になって、太陽の光が届くと、その怖さは消えます。源氏物語の中でも、夜の暗闇の中で、怖さを我慢するsceneが、あります。夜は、怖かったんです。が、LEDの灯りに慣れてしまうと、その怖さを想像することは、ラクダが針の穴を通るよりも、難しいだろうと、想像できます。

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