教#020|受験勉強のハードな苦労から逃れようとしている~かくかくしかじかを読んで③~(たかやんnote)
私は、あちこちの画塾(国分寺・立川・新宿・お茶の水など)に見学に行ったことがあります。画塾と云うのは、塾方面で言えば、もっとも効率の良いビジネスです。費用対効果が、他の教育産業に較べて、圧倒的に高いと断言できます。明子が通っている宮崎のちっちゃな画塾は、日高先生が、竹刀でばんばん生徒をしごきながら、個人指導をしています。これはものすごく効率の悪いビジネスです。
通常の画塾は、40人くらいの生徒に、同じものを描かせます。どの角度から描くのかは、大きなポイントですから、なるべく早く到着して、場所取りをします。先生は、アトリエに一人だけいますが、ほとんど指導はしません。廻って来て、ひとこと、ふたこと声をかけるだけです。終了してから、作品をすべて展示し、合評会を実施します。この合評会がキモなんです。1番から40番までの順位をつけたりと云ったことはしません。と云うか、そんなことはできません。が、一番、上手い作品と云うのは、自ずと判ります。一番下手な作品も、「あっ、さすがにコレはまずいだろう」と、下手さがバレバレだったりします。
私は、長年、バンドの部活の指導をして来ました。年に数回、オーディションを実施します。多くの軽音部の盛んな学校では、オーディションを実施して、バンドに順番をつけています。私は、つけません。何故かと云うと、つけられないからです。たとえば、12バンド演奏したとして、一番上手いバンドと、一番下手なバンドは、一目瞭然です。2、3、4は団子だったりします。5、6、7や、8、9、10もそう。11と12の区別はつけられます。
画塾の40人の内、20人が合格するとして、その20人をピックアップすることは、18、19、20番目あたりは、正直、微妙ですが、まあ、できます。その20人は、上段に展示します。残りの20人は下段です。下段に展示された生徒は、どこがダメなのか、合格する絵とどこが違うのか、自ずから、ある程度、理解します。合評会では、上手い人の絵のみ、集中して、講評します。下手な人の絵の講評をすることの意味はさほどないし、時間も不足しています。合格するのが、4分1でしたら、10枚だけ、上段に展示すればいいんです。1番から40番までの順位など、不要ですし、先生は、アトリエに張り付いている必要もありません。要するに合格する作品のみ展示すれば、画塾に通っている生徒は、合格するスタンダードなレベルを理解します。
優秀な生徒がいれば、その画塾のレベルは高くなります。東京芸大を狙うなら、水道端美術学院とか、お茶の水美術学院と云った都心部の画塾に通う必要があります。それは、優秀な生徒が、集まっているからです。優秀な生徒が、ある一定数いて、画塾は成り立っています。ですから、大都市圏じゃないと、画塾の効率的なビジネスはできません。井の中蛙の日高先生の塾から、東京芸大を目指すのは、周囲に芸大に合格する人が、限りなく少ないので、まず不可能だと言えます。
画塾も美大も、先生方の就職口のために存在すると云った言い方もできます。音楽の専門学校や音大も基本は、同じです。先生たちが就職するために学校が存在する。まあ、非常に不思議なシステムです。それでも、大学にはsomethingが存在しています。
明子は筑波大の推薦にchallengeします。自分自身の高校時代のことを、今、思い出しました。高3の夏休み明けです。進路部のN先生に職員室に呼ばれました。N先生は、何故か私を可愛がってくれました。ウマが合うとか、合わないとか、そういう相性の問題だと思います。50人くらい先生がいて、恩師のS先生と、M先生、あとN先生の3人とは、時々、喋っていました。N先生は
「筑波大の指定校推薦にエントリーしてみないか。君は母子家庭だし、国立大に行ってあげた方が、お母さんだって助かるだろう」と、指定校で筑波大に進学することを勧められました。評定平均は、4.6くらいはありました。私は、早稲田に行くことに決めていました。一番、親しかった世界史のS先生が早稲田の出身で、早稲田に進学して、演劇をやるつもりでした。筑波大に行くと云うのは、まったく想定外の進路です。が、親切に声をかけてくれたN先生に、その場で、筑波に行くつもりはないとは言えませんでした。「家に帰って、母とも相談してみます」と言って、職員室を出ました。
早稲田に行くとして、学費はどうするつもりなんだとは、聞かれませんでした。私は、新聞を配るつもりでいました。新聞奨学生です。私は小学校5年の秋から、小6の終わりまで、朝、新聞配達の仕事をしていました。近所ではありません。チャリで30分くらい走った所の団地です。毎日、150部くらいは配っていました。小学校時代にやれたことは、大学時代にだってやれます。新聞を配りながら、早稲田で演劇をやる、これが直近の未来予想図でした。
職員室から、社会科準備室のS先生の所に廻って、
「N先生に筑波の指定校推薦を勧められました」と、報告しました。するとS先生は、間髪を容れず
「タカヤ、筑波みたいなクソみたいな大学に行かんでええ。早稲田に行け」と、すぱっと快刀乱麻を断つように、言い放ってくれました。心の中のもやもやとした雲が、一瞬に内にall clearされました。私自身は、筑波がクソみたいな大学だとは思ってません。が、勤評闘争を闘い抜いたS先生の目には、東京教育大を解体して、新たに設置する筑波大は、管理主義的な大学に見えていたんだと思います。
私は、指定校推薦は、勧めません。何故かと云うと、受験勉強のハードな苦労から逃れようとしているからです。そこで、逃げたら、その先でも逃げます。それに、筑波はやはり問題外でした。四国の田舎から、茨木の田舎に行くことには、まったく何の意味も見出せませんでした。その点は、「イナカ、嫌なんで、都会の大学しか受けません」と、きっぱりと言いきった二見と同じです。
で、結果、明子は筑波の推薦に落ちます。おそらく、指定校推薦です。が、指定校でもたまに落ちます。これは、まあ大きな摂理が、明子に与えた試練だと考えていいと思います。そういう時、人は、一杯のビールを飲み、また新たな第一歩を踏み出すのかどうか、それは解りません。が、日高先生は、明子を居酒屋に連れて行って、カウンターでビールを飲ませます。私は、生徒にアルコールを飲ませたことは一度もないし、卒業生とも飲みに行ったりもしないし、そもそも、酒席での話は、好きじゃないし、このヘンは、解りません。ただ、まあアルコールの価値は、理解しているので、これもありかなとは思います。
もう15年くらい前のことですが、二浪して、美大に落ちたKくんが電話をかけて来た時、即座に会いに行きました。広い空が見える、公園で喋りました。日本各地の海と空の話をしたような気がします。Kくんは、親にお金をもらって、どっかに旅行に行きました。で、写真を撮って帰って来ました。三浪で、多摩美に進学して、写真を撮っていました。今、どんな写真を撮っているのか、見てみたいです。
推薦に落ちた明子は、センター試験を受けることになります。あと二ヶ月。それはそれで、かなり大変なことです。