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教#007|母親に褒められた子はレベルアップする~「漫画:二月の勝者」を読んで②~(たかやんnote)

 教師になって、2年目くらいに、「第4コーナーの理論」と云うコンセプトを考え出しました。私は、スポーツは苦手で、グランドのトラックをまともに走ったことは、ほとんどないんですが、テンポイントやカブラヤオーなどの名馬の走りは、テレビや浅草の場外のモニターで、見たりしていましたから、そのヘンから、考えついたんだと思います。第4コーナーの理論は、馬ではなく、人間の走りです。

 第4コーナーを回ったあとは、ゴールまで一直線です。トップだったら、そのままkeepして駈け抜け、2番手、3番手だったら、全部、抜き去ってトップでゴールすると云うイメージです。ところで、第4コーナーに近い観客席に誰かが立っていて、その誰かは、理想の女性のベアトリーチェのような方でいいと思いますが、「頑張って」と、声を出して励ましてくれたら、ランナーは、一気に熱くなって、最後、全力で疾走して、ゴールまでまい驀進できると想像できます。が、私の第4コーナーの理論では、ベアトリーチェは、観客席には存在していません。第4コーナーを回り切ったあと、自分自身が、自分に対して、「頑張れ」と、叱咤激励する、そういうシステムです。こっちの方が、汎用性と応用性があります。ベアトリーチェが、いてくれた方が、望ましいとは思います。が、「女はあてにならない」、他の男と、競艇とかを見に行っちゃってるかもしれません。最後の最後にあてになるのは、結局、自分だけ、そういう真実の理論です。この話を初めてした時、授業が終わって
「ニシモリさん」と呼び止められて(生徒は私のことをニシモリさんと呼びます。最初の頃の生徒は、たかやんと言ってました。先生と呼ばれたことは、ほとんどないです。それは、ある意味、名誉なことだと思っています)
「女にだまされて、コレ考えたんやろ」と、突っ込まれました。が、違います。女の子にだまされた経験は、記憶にある限りないです。私は、女の子とは、常に距離を置いています。だまし、だまされると云った恋愛ゲームのような付き合いをしたことはありません。ただ、自分の母親を愛してなかったことは事実です。もの心ついてから、彼女が死ぬまで、私は母に愛情を持ったことはありません。だから、ベアトリーチェの存在を、いとも簡単にundo機能で、消し去ってしまえると言えるのかもしれません。母親に愛情を持ってなかった人間に、教師の仕事がはたして、できるのかは、まあこれは、また別の大きなテーマです。今、これを語るつもりはありませんが、手短に結論を言えば、ごく少数のrareな生徒にとって、間違いなくすぐれた反面教師になれます。ずっと施設で暮らして来て、肉親の愛情を知らない人が私の文章を読めば、私の文体の中にある、ある種のブルージーなtoneを、多分、直観で感じ取ってくれると、想像しています。

「二月の勝者」は、中学受験の話です。母親の存在感は、圧倒的です。母親のあり方が、受験を制すると云っても過言ではないと思います。中学受験の場合、第4コーナーの近くの観客席に立っているのは、母親です。男の子にとって、母親は、やっぱりベアトリーチェなんです(これは、私の想像ですが、確信しています)。女の子にとって、どうなのかは解りません。男は、女の気持ちを理解することはできません。これも、基本のセオリーです。逆もまた真実だと言えます。もっと、敷衍して言うと(飛躍と云うべきですが)親は、子供を理解することはできません。親ができるのは、子供を愛することです。

 大学受験ですと、親があれこれ口を出すと、子供の勢いは間違いなく失速します。大手予備校の横浜校の校長先生(女の方でした)の話を聞いたことがあるんですが
「親は、金は出しても口は出すな」と、きっぱりと仰っていました。名言です。

 中学受験は、ほど良く口を出してあげる必要があります。が、父親と母親が、ターボ状態で、子供に勉強のプレッシャーをかけるとかって最悪です。たとえ、受験には合格したとしても、そのあとグレます。グレなきゃ、逆にヘンです。もし、中高時代もグレなくて、優等生だったら、30代、40代になってから、ツケが回って来ます(何人か見ました)。そうすると、容易なことでは、回復できません。最悪の場合、自殺します。

 ほどよく褒めて、ほど良くダメ出しをすると云うのは、難しいです。子供を3人育てると、3人目くらいになって、やっとこれくらいでいいと、肩の力が抜けて、上手に対処できるようになるのかもしれません。子供は一人で、両親が期待しまくって、力こぶを拵えて、中学受験に臨んで来ると、どうしたって、黒木蔵人(二月の勝者の登場人物)のような、ベテランカリスマ教師が、保護者を指導してあげる必要が、きっとあります。

 自分自身の失敗談を書きます。10年くらい前の音楽祭(合唱祭)です。1年生の担任でした。自由曲は、「3月9日」でした。中学時代の貯金を使って、波風立てないで、穏便になんとか、やり過ごそう的な選曲でした。担任の私は、別段、文句も言わなかったと思います。ずっと朝練に来なかった生徒がいて、最後、それはやっぱりダメだなと、伝えました。まあしかし、今は個人主義の時代。朝練に来ないことも、自由なのかもしれません(私には理解できませんが)。クラスの生徒は、まあそこそこ努力して、帳尻を合わせました。中学時代の合唱祭のような、強烈なエネルギーと熱で、やり切ったと云った状態とは、ほど遠い仕上がりです。中学時代の合唱祭の五分の一くらいのエネルギーを使って、やはり五分の一くらいの演奏結果だったわけです。高校の合唱祭と云うのは、頑張れないと云うオーラのようなものが、確実に存在しています。このオーラを払拭することは、並大抵のことでは、できません。最後、審査員の講評の後、結果発表がありました。私のクラスは、銀賞を取りました。それを聞いた瞬間、私はブチ切れました。こんな演奏で、銀賞とか貰いたくないと、生徒たちにも言い放ちました。他の教員は、金賞が取れなかったから、私が怒っていると勘違いしていました。違います。私は、高校の合唱祭のレベルの低さに、とうとう怒りを爆発させてしまったんです。が、ここで怒ったことで、クラスの生徒との人間関係は、切れました。1年間、いろいろ努力して、一瞬の内に、すべてを失う。費用対効果が最悪のactivityです。今さら、後悔などはしてませんが、あそこは、やっぱり我慢すべきでした。

 私が赴任して、7年間は、音楽の先生が、合唱祭に関わると云うことは、ほとんどありませんでした。ずっと関わっていたのは私です。誰がやっても、正直、できないイベントです。が、できないからと云って逃げたくはないと思っていました。gdgdの状態で、プレリハーサルのステージに上がる。ステージに上がっても、喋ってる。歌っていても、観客席は、ざわざわしてる。歌いながら、へらへらしてる。毎年、怒りまくっていました。こういう基本のしつけは、家庭とか、担任がやることだろうと、内心、思いつつ、毎年、最低限の帳尻だけは、合わせる努力をしていました。

 4年前に赴任して来た音楽の先生は、音楽祭に関わってくれました。で、外側から観察していると、一見、口うるさい先生なんですが、取り敢えず、ある部分でもできたら、それをちゃんと褒めてあげているんです。私は、全体が、ある一定レベルに到達しないと褒めません。その一定レベルの基準が高いので、基本、生徒は褒めません。音楽祭は、ここ4年間で、すこしずつレベルアップしました。それは、音楽の先生が、褒めてあげているからです。「二月の勝者」に要求水準の高い父親が出て来ます。あっ、これは自分だなと、思ってしまいました。北風とオーバーの話の通りです。いくら、強い風を送っても、オーバーを脱がすことはできません。そこは、やっぱりあったかい太陽が必要です。

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