自#417「小5の時、1キロ弱くらいの洞窟に一人で奥まで入りました。今でも、この時の怖さは覚えています。リアルの体験は、たとえ恐怖であっても、貴重です」
「たかやん自由ノート417」
最初に赴任した足立区のA高校に勤めていた頃、学校の帰りに時々、日比谷図書館に立ち寄っていました。日比谷図書館にはスライドが置いてあって、それを借りることができました。学校には、スライド上映機が、何台かありました。もっとも、私が知る限り、スライドを見せている先生は、もういませんでした。その頃は、すでにビデオで動画を見せられる時代でした。スライドというのは、流行遅れの視聴覚教材でした。私は、子供の頃から映画が好きでしたから、動画の威力、影響力は充分に承知しています。が、スライドをひとコマずつ見せる、ゆるゆるした時間の流れも好きでした。映画は、一秒間に24コマのフィルムが流れています。テンポも速く、情報量も多過ぎます。「多々ますます弁ず」という故事もありますが、優先順位をつけて、選び抜いたすぐれた情報のみをブレゼンした方が、より効果的だし教育的だと、今でも私は思っています。
日比谷図書館でスライドを借りて、銀座8丁目の千疋屋に廻ります。当時、30代前半で独身でしたが、夕食は食べたり、食べなかったりでした。粗食というか、美味なものは口にしないという食生活は、若い頃も今も同じです。ただ、紅茶は飲みました。千疋屋で紅茶を飲みながら、借りたスライドを、一枚ずつ天井の光に透かせて確認しました。スライドの写真が、その場では、今ひとつだなと思っても、スライド上映機でスクリーンに映すと、案外とpowerfulだったり、ディティールがきれいだったりと、言ったこともあります。
スライドは、室内が暗くできる視聴覚教室じゃないと、上映できません。視聴覚教室が使える日に、授業の前半は黒板に板書をして、普通に授業をやり、後半、スライドを見せると言った風な授業展開でした。室内を暗くするだけで、退屈な授業空間は、fantasticなわくわくできる空間に変貌します。人間のイマジネーションを、より活性化させるためには、夜のような暗さが、やはり必要です。
一番、最初に見せるのは、ラスコーやアルタミラの洞窟壁画です。私が教えた80's以降の都立高校の生徒のほとんど全員が、洞窟を知らない筈です。八王子とか青梅とかに、たとえあったとしても、間違いなく立ち入り禁止で、子供が勝手に洞窟探検をすると云ったことは考えられません。私は、子供の頃、洞窟の探検をしています。子供の興味関心を引き起こし、なおかつ、一人で入って勇気を試さなければいけないような鍾乳洞が、私の故郷の山の近くに存在していました。みんなで入った場合は、別段、恐怖心など抱きません。一人で奥まで入るからこそ、怖いんです。洞窟の奥まで、一人で入ることが、つまり小5くらいの男の子の通過儀礼だったんです。懐中電灯ではなく、松の太い枝に石油を浸してそれを燃やし、洞窟の中に入ります。で、一番、奥まで行って、そこに到達した証拠の石を置き、戻って来ます。長さは、一キロ弱だったと思いますが、とんでもなく怖い体験でした。一人だと、いつ岩盤が崩れて来るか判らないといった恐怖心にもつかまってしまいます。
ラスコーやアルタミラの洞窟壁画は、洞窟の入り口ではなく、かなり入った奥の方にあります。つまり生活空間ではなく、普段は立ち入らない区域です。当然、昼間でも完全な暗闇です。明かりはやはり松のようなものを燃やしたんだろうと想像できます。山の外の岩壁に絵を描くのであれば、軽いノリの落書き感覚で、描けそうですが、漆黒の暗闇の洞窟の壁に(かなり高い所まで描いています)絵を描くという発想を、何故したのか、皆目、理由が判りません。
ラスコーやアルタミラの洞窟壁画は、リアルで写実的です。その後のエジプト、メソポタミアの壁画は、写実的ではありません。ある種の様式で描かれていて、きちんとした型があります。絵の種類が違うので、単純な比較はできないのかもしれませんが、ラスコーの牛や鹿、馬などの絵は、動きも表現できていて、すぐれた絵画です。幼稚で稚拙な絵から、次第次第にすぐれた絵に進化、発展して行くというわけではなく、いきなりすぐれた絵が登場し、後の時代の方が、稚拙と言った現象が、アートの歴史の中では、何度も繰り返し起こっています。ちなみに、モダンアート及びコンテンポラリーアートは、超稚拙で、アートという概念すら、もはや壊れてしまっていると私は思っています。
クロマニョン人は、なぜ、ラスコーやアルタミラのような洞窟壁画を描いたのかというお決まりの質問は、これまでに何回かしたことがあります。今年の授業でも、生徒に聞いてみました。「描きたかったから」と、まず普通に生徒は返事をします。確かに、そう考えた最初の一人がいたわけです。でこぼこした壁です。とんでもなく絵が描きにくい場所だと言えます。おまけに、暗くて、絵の具らしきものも、手元になかった筈です。みんなが狩りをしている時に、「いやオレは、ここで絵を描きたいから」などと言ったソロ活動が、簡単に許されたとも思えません。狩りをする怖さを紛らわせ、狩りのリアルの場で、勇気を持って、立ち向かえるようにするために、動物の絵を描いたという説があります。が、絵が巧い人が、狩猟の技術もすぐれているとは、考えにくいです。絵は巧くても、狩りでは使えない兄ちゃんって感じが普通にします。
洞窟壁画は、子供たちに教えるつまり本みたいなものだと答えるJKは必ずいます。何故かJKです。男子生徒がこんな風に答えたのは、聞いたことがないです。本が存在しないのであれば、洞窟が本の代替、こんな風に考えられるのが、中高校生なんだろうという気はします。
単なる部屋のインテリアのようなものという意見もあります。洞窟壁画を描いている場所では、日常の生活は営んでませんから、これは多分違いますが、まあこういう意見もありです。そもそも、正解のない質問です。
「美術の歴史」には、洞窟壁画を使って、狩りのシュミレーションをしたと書いてあります。その証拠に身体に槍が突き刺さってる獣の絵があると、説明してあります。つまりイメージトレーニングということです。狩りの成功の瞬間のイメージを、全員が事前にshareできれば、本番で実力以上の力発揮できます。まあ、一種の狩猟呪術のようなものです。絵を描く人間は、多分、コミュ障で寡黙ですから、絵にはたいして興味がなくてもいいので、お喋りがめっちゃ上手いリーダーが、やはり必要です。絵も大切ですが、人はやはり、人が語りかけて来る言葉で動かされます。