見出し画像

自#039|世の中は、不公平なんです(自由note)

 中原淳さんのインタビュー記事を読みました。中原さんは、立教大学の経営学部を熱くしている新進気鋭の人間科学のドクター(博士)です。高校時代、必死になって勉強して、東京大学に入学したら「僕を待っていたのは、数百人がすし爪の大人数教室での一斉授業で、これには絶望しました」と、正直に語っています。が、ちょうどインターネットが入って来た時期だったので、授業を受けずに、情報教育棟にこもり、プログラミングなどをやって、最初の二年間をやり過ごしましたと、述懐しています。ちょうど、Windows 95が、日本に黒船のようにやって来た年でした。

 Windows 95がやって来てくれたからこそ、今の中原先生があると、多分、言えます。Luckyな偶然の出会いでしたが、Lyckyな偶然の出会いを、生かせるかどうかは、個人の資質、才能、進取の精神にかかっています。

 中原先生は、決断する時は、孤独になってはいけないと仰っています。判断にはリスクが伴います。自分がどういう状態にあるのかを、認知するためには、自分を客観的に見て、アドバイスしてくれるメンターが必要だと仰っています。確かに、それはそうです。

 私は、郷里の県庁をリタイアして、東京都の教員になりました。多分、これが人生で、一番、大きな決断でした。郷里の公務員と、東京都の教員とでは、まったく違う人生になってしまいます。先輩や上司には、当然ですが、相談しませんでした。転職の相談を、勤めている会社の上司にするようなものですから、まあ、それはあり得ません。親友のHが高知市役所に勤めていました。私は、土佐中村から本庁に帰っていました。高知県庁と市役所は、高知城のお堀を隔てた、すぐ隣にあります。毎朝、らりるれろと云う喫茶店で会って、二人でお茶を飲んで、それから出勤していました。ある朝、まあまったく唐突だったんですが「県庁を辞めて、東京に行って高校の教師になろうと思ってる」と、打ち明けました。Hはしばらく黙っていましたが、おもむろに口を開き「オレはいいと思う。学校には、ニシモリと出会わなきゃいけない生徒が、間違いなくいる。高1の時のオレがそうだったから」と言ってくれました。高校の教師に、本当になってもいいか、どうか、不安だったんです。客観的に見て、私のキャラは、学校には向いてません。が、Hにpushされて、ふっきれました。

 新聞に外国人労働者と一緒にラジオ体操をしている鳥井一平さんと云う方の写真が掲載されていました。鳥井さんは、外国人労働者のお世話をしているNPOの代表理事です。年齢は、私より一歳上の66歳。鳥井さんは、外国人労働者の支援活動を30年前から行っています。

 30年前、外国人労働者が、とんでもなく沢山いました。イラン人が一番、多かったと思います。上野や新宿にイラン人が、休日に集まっていて、怖くて不気味だみたいな投書が新聞に出ていて、そのあと、新宿駅南口のフロアーで、私服警官が、イラン人を次々に逮捕している場面を、私は、自分の目で見ました。事情聴取とか、任意同行とかじゃなく、明らかにいきなり逮捕でした。法治国家のルールは、まったく守られてないと思いました。その頃、鳥井さんの所に、仕事で指を3本切り落とした、バングラディシュの労働者が相談に来て、一緒に病院に行くと、包帯姿の外国人だらけだったそうです。大変なことが起きていると、直観して、NPOを立ち上げます。バブル期の日本社会を、外国人労働者が、底辺で支えていたんです。当時は、不法滞在の外国人労働者でしたが、現在は、技能実習制度と云う名称で、外国人労働者を安価に使っています。鳥井さんは、技能実習制度の最大の問題は、開発途上国への技術移転と云う名目に「偽り」があると、憤っています。まあ、誰が見てもそうです。低賃金、長時間労働、勤務中の大けがも労災申請しない、暴力、セクハラ、そんな相談が続いているそうです。交渉で、経営者に会うと、ほとんどが普通の社長さん。何故、そんなひどいことができるのかと云うと、そうすることが、当たり前だからです。戦争に行って、人を殺す、何故、そんなことができるかと云うと、それが兵士にとっては当たり前の行為だからです。それと同じです。

 こんな制度を続けていると労働基準、倫理観、人権感覚が壊され、社会自体がじわじわと腐って行くと、鳥井さんは、言っています。が、社会全体が腐って行くわけではありません。腐って行く部分もあれば、そうでない部分もあります。つまり、世の中は、不公平なんです。が、不公平、不利益の矢面に立たされている人が、いつの時代にだっています。

 鳥井さんが、外国人労働者のために、給料未払いの差し押さえに立ち会った時、社長にガソリンをかけられ、火を放たれたそうです。救急車で、救命救急センターに運ばれ、2ヶ月入院したそうです。相手を追いつめ過ぎてもいけないんです。どこまで、詰め切るのかと云う、バランス感覚を備えてないて、自分自身の命も危うくなります。

 ジェームスブラントの「Back to Bedlam」を聞きました。ジェームスブラントは、大学を卒業して、軍人になります。職業軍人のファミリーなんです。NATO軍で、コソボに派遣されます。コソボで、戦争の地獄を見た筈ですが、人間は、どんなものにも慣れます。戦争の地獄にだって、慣れることができます。が、この世の地獄の悲しみと、憎しみの中で生きる希望を失ってしまった人々を、目の当たりにして、音楽をやろうと決意します。28歳でした。ジェムスブラントは、イギリス人です。UKでは、28歳で音楽を始めても、プロにはなれません。それは、日本だって、同じです。28歳で、音楽を始めたプロのアーティストは、一人もいない筈です。ゴッホは26歳、ゴーギャンは35歳で、画家を目指します。そんなこと、今の日本では(いや昔も)絶対にあり得ません。が、アメリカでは、許されます。ジェームスブラントは、テキサスの音楽祭で、プロデューサーに見い出されます。今、コロナで、弱りに弱っていますが、たとえ何歳であっても、才能さえあれば、プロを目指せる、アメリカはやはり偉大な国です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?