自#180|大きな摂理のようなものに、支配され、動かされている(自由note)
ポールオースターは「冬の日誌」と云う自伝的エッセー集の中で、2002年の8月に交通事故に遭った時のことを書いています。事故の直接的な原因は、運転していたポールと、衝突して来た相手のドライバーの両者の判断ミスです。お互いのどちらかが、慎重に運転していれば、事故は防げました。
ですが、慎重になれない心理状態を作り出してしまう遠因・近因のようなものがあります。大丈夫だと思ってハンドルを左に切ってしまった判断ミスは、最後にトリガーを引いてしまったような行為です。そこにいたるまでに、拳銃を購入したり、弾薬を準備して、装填したりと云った前段階のもろもろの行為があります。
この年の2月、コペンハーゲンまで、9時間飛行機に乗って、左脚に血栓ができてしまい、その後、何周間か病院で仰向けに寝ていることを、強いられます。エコノミー症候群ってやつです。退院してからも、数ヶ月は、杖に頼って歩行していました。目にも問題が生じます。慢性のドライアイ状態になって、左右の角膜が、繰り返しランダムに破れるようになったそうです。5月半ばに、母親が心臓発作で亡くなります。前日、電話で母親の元気な声を聞いていたのに、ポールにとっては、青天の霹靂のような悲劇です。母親の死の二日後、ポールは、人生初のパニック発作を起こします。かかりつけの医者に、パニック発作を抑える薬を処方してもらって、飲み続けています。
以上のようなことが、事故を起こした遠因だと思われます。近因は、まず父親のアドバイスを忘却してしまっていたと云うことです。父親のアドバイスを、紙に書いて、運転席のどこか目につく所に貼り付けておくべきでした。父親のアドバイスは「守りの態勢で運転せよ」です。「道路に出ている人間は、自分以外みな愚かで、狂っていると云う前提で、行動せよ。何ひとつ当然視してはいけない」と、より具体的に指示してくれていました。この日は、薬で判断力が鈍ったからか、父親の教えを失念してしまっていました。
この日の身体に影響を与える失敗は、トイレを我慢していたことです。「小便のチャンスは絶対に逃すなよ」と、これはポールの友人の父親の遺言だったらしいんですが、ポールも、友人とともに、この遺言をshareしていました。が、自宅のある通りまで、あと二分半と云う所まで辿り着いています。車を止めて、そこらの物陰で、法律違反の立ちションをするより、自宅に戻ってバスルームで、ゆったり落ち着いて、膀胱を空にしたいと願ってしまったわけです。あと二分半なら、まあ何とか行けるだろうと、大半の男たちは思う筈です。が、強烈な尿意と、パニック発作の薬が、おそらく判断を誤らせてしまい、こっちに向かって走って来るバンのスピードと、左折するまで距離とを、読み間違えてしまいます。左折して、交差点を抜けようとしたら、バンが、車の助手席側を直撃しました。すさまじい衝撃。地殻変動のごとの激突。世界を終わらせるような爆発だったそうです。後部座席にいた娘は、キルトとクッションと犬に守られていて無事。助手席側の妻は、もしかしたら首の骨が折れているかもしれません。たまたまなんですが、傍を歩いていた歩行者の中に若いインド人の医者がいて、ガラスがふっとんだ窓に首を入れて、神経科医が患者に発するような質問をするのをポールは聞きます。「大丈夫ですか?」「お名前は?」「今日は何日でしょう?」「今の大統領は誰ですか?」等々。医者は、被害者の意識を保とう努力してくれているわけです。やがて、救急車と救急班が到着して「Jaws of life」と云う名で知られている道具を使って、ドアを切断し、ポールの妻を担架に乗せ、救急車に運び込みます。幸いにして、妻の首の骨は折れてなくて、軽傷でしたが、ポールは、この日、人生の一番底を経験したと言えるのかもしれません。
私も、26歳の秋、交通事故を起こしました。当時は、まだアルコールを飲んでいて、二日酔いの頭痛が、午後まで尾を引いていました。この後、夕方から飲みに行って、酒の力で、二日酔いを直すか、この日はアルコールなしで過ごすか、迷っていたと思います。何らかの理由で、落ち着かずいらいらしていました。おそらく仕事上のことです(具体的なことは覚えてません)。いつも利用していた駐車場から、車をバックで出そうとしていました。駐車場のすぐ傍が道路です。さほど車も人も通らない田舎の道路です。が、いつもでしたら、身体を後ろに回して、後方を、直接、確認しながら、車を道路に出していました。が、この日に限って、それをせず、フェンダーミラーとリアミラーだけを見て、ミラーに障害物が映ってないことを確認し、後方確認を目視でせず、バックで車を道路に出しました。と、どすんと鈍い音がしました。明らかに何かに衝突してしまっています。車から降りて、後部に回ると、原付バイクが横倒しになり、その傍に頭から血を流しているおばあちゃんが倒れていました。一体、何が何だか解らず、目の前の景色が、幻想のように見えました。何をすべきかと云う判断力も働かず、私は茫然自失状態でした。近所の人が出て来たので、救急車を呼んで下さいと頼みました。その後、倒れているおばあちゃんを、道路の端まで移動させるべきだろうかと一瞬、考えました。が、勝手に動かさない方がいいだろうと判断して、救急車の到着を待ちました。本当は、私がおばあちゃんの状態を見て、何らかの応急処置をすべきだったんだろうと、今となっては思います。救急車と同時に、パトカーも来ました。おばあちゃんは、救急車で病院に運ばれ、私は、警察官の質問に応え、現場検証を実施しました。
おばあちゃんは、頭から血は出ていましたが、頭の方は大丈夫で、腰の骨を折っていました。ほとんど毎日、おばあちゃんのお見舞いに行っていました。社会人になって3年目でしたが、社会人としての人生も、自分自身の人生も、とにかくここで、いったん終わったと、お見舞いに行く度に、思っていました。たまたま、私は、加害者でしたが、自分が被害者になることもあるだろうし、交通事故で死ぬこととかも、何てことなく、起こってしまうなと云うことも、肌身に沁みて痛感しました。この交通事故を境にして、私の人生は、間違いなく変わりました。beforeは、自分自身の力を信じて、simpleに生きていたんですが、afterは、自分以外の大きな摂理のようなものに、支配され、動かされていると云った風なことを、意識するようになりました。
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