自#041|着地点なし(自由note)
中原淳先生のブログを読みました。現在、オンラインで、講義もゼミも実施されています。オンラインのコミュニケーションには、「あそび」「隙間」が、生まれぬくいとお書きになっています。講義とゼミですから、まあ、元々、遊びの部分は、限りなくミニマムなんだろうと想像できます。講義の半分くらいは、遊びでゆるゆる過ごして、あとの半分で、その日のカリキュラムを、叩き込むみたいな展開も、やればできると思いますが、オフィシャルなブログでは、それは書きぬくいと思います。
鉄道芸人の吉川正洋さんは、鉄道仲間とのオンライン飲み会は、大きくてかさ張ったりするので、普段は、外に持ち出せないお宝鉄道グッズの見せ合いとかが、簡単にできると言ってました。自宅だからこそ、各人が、マイブームのアイテムを、sakuっと取り出したりすることが、できそうです。
中原先生は、学部やマスターでは、人数が多くてできないけど、ドクターコースのゼミでは、近況を聞いていると書いています。高校生に近況を聞いても、そうおいそれとは、答えてくれませんが(大学1、2年生でも難しそうです)大学院のドクターコースくらいの年齢になると、人生の場数も踏んで来て、それなりに内容のある近況報告が聞けそうです。文系の大学院生ですと、博士号を取得しても、就職できるかどうか、まずもって見えて来ない筈ですから、正直、不安でいっぱいです。近況報告で、不安をぶちまけても構わないと思います。ドクターコースのゼミの院生のほぼ全員が、激しく同感してくれて、その不安感をshareします。みんなで、不安感をshareできたら、不安感は一気に薄くなります。アリストテレスの述べたカタルシスの、一種の変形バージョンです。
オンラインでつながることができて、本当に良かったと、中原さんは書いています。学校がオンライン授業をやってくれないので、小学校のPTAの役員が、オンラインで、算数を教えていると云う記事が、新聞に出ていました。学校のメンツは丸つぶれですが、親にしてみれば、レターパックで、プリントだけを、どさっと送りつけられても困ります。対処できる親もいますが、or notの親の方が、圧倒的です。
GAFAは、儲け過ぎていて、ビックデーターを持ち過ぎていて、とにかく巨大化し過ぎていると云うことで、風当たりが強かったんですが、コロナ禍のお陰で、GAFAに対するバッシングが、ぴたっと止まりました。今、社会が何とか回っているのは、GAFAのお陰です。アマゾンが利用できなかったら、日常生活が送れないと云うファミリーは、日本にもアメリカにも、莫大な数いる筈です。ウチは、アマゾンは使わず、食料品は、女房が毎日、業務用スーパーに行って、買って来てくれます。最低でも3つの業務用スーパーを回っています。業務用スーパーは、いつ行っても人が沢山います。ゲリラ戦みたいなものです。毎日、ゲリラ戦を戦い抜いて(トイレットペーパーとかテッシュとかスパゲッテイとか米、納豆と云った品薄の商品も、確実に調達して来ます)凱旋して来る女房には、家族全員、感謝しています。
ちなみに、アベのマスクが、ウチにも届きました。布面積がちっちゃくて、ディフェンス力は、はなはだ低いと推定できます。洗えば、洗うほど劣化し、ウィルスを通して易くするらしいです。が、学校が始まったら、私は、アベのマスクをして、そうは言っても、毎日混雑している中央線、山の手線に乗って登校します。私だって、学校が始まったら、ゲリラ戦です。
アエラに、勝ち組、米大手五社、FAANGと略称して表記してありました。GAFAにネットフリックスを加えるために、アルファベットの並びを変えたんです。ネットフリックスは、コロナ禍で、一気に収益を上げました。日本のアニメ界のすぐれた人材も、ネットフリックスに囲い込まれつつあります。ネットフリックスの制作費は、ひと桁上だそうです。ひと桁上の制作費で、作品を制作できるんだったら、やっぱり、誰が常識で考えても、ネットフリックスに行ってしまいます。が、アマゾンやフールー、ディズニー、米ケーブルテレビ(HBO)なども、配信分野に乗り込んで来ています。ポストコロナの新作映画は、配信の世界での仁義なき戦いになると、想像できます。
テレワークになってから、ゴミ集積場にゴミを持って行くのは、私の仕事になりました。それなりに筋力がついたので、スズランテープで結わえた本の束を、両手で二つずつ持って、捨てに行けるようになりました。もう、chanceはないと思いますが、ヤマハの215Vのスピーカーも、多分、一人で持ち上げられます。
ゴミ捨てをしていて、気がついたのは、年寄りの多い公団住宅なのに、瓶・缶の集積日には、カンビールの空き缶が、大量に出ることです。
巣ごもり中なので、アルコールの消費量も増えていると云う新聞記事も出ていました。オンライン飲み会ですと、ラストオーダーも終電もないので、まあ、普通に体力さえあれば、オールで飲めてしまいそうです。無理やり飲まされるってこともないし、酔って気分の悪くなった仲間を、介抱する必要もありません。酔って暴れる酒乱も、間違いなくいますが、酒乱が暴れても、物理的に被害は被りません。酔った勢いで、小学生に戻った気分で、みんなでピンポンダッシュすると云った、迷惑行為もしません。秘蔵のレアカードを持っていれば、それを出落ちで見せて、みんなに自慢することもできます。で、ついつい、飲み過ぎてしまうだろうと想像できます。
私は30歳でアルコールを止めました。ずっと飲んでいたら、もう死んでいます。まあですが、酒は百薬の長です。上手に、適量、飲む分には、問題なしです。
源氏物語について、書き始めました。ネタもないので、長続きしそうにないです。毎日、ほとんどノープランで、原稿用紙に向かっています。「たかやんノート」は、着地点ありで書いて来たんですが、ここへ来て、たかやんノートも、たかやん自由ノートも、どちらも着地点なしです。不透明で、答えの見えない世界だから、まあ、これでもいいかと。2つのノートの区別がなくなってしまいました。が、たかやんノートは、源氏物語からは、そう離れないで書きます。着地点と云うか、私が狙っているのは、11世紀初め頃の末法の世界を、私なりに体感してみたいと云うことです。末法を体感できたら、もしかしたら仏教の方に、まっしぐらに行ってしまう、あるいは、やっぱりヨーロッパの世界に向かうってことになるのかもしれません。やってみないと解りません。大和和紀さんの「あさきゆめみし」を参照しながら書いた方が、長続きしそうですが、それをやると、末法からは遠くなってしまいそうです。
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