個性
ふと思い出したことがある。森と海の近くのど田舎のまちにも流行があった。
自分が小学生高学年の頃、あるスポーツメーカーの三本線のジャージが同学年のあいだで流行った。
みんながみんな三本線のジャージをはいていた。上は体操着。下は自由にもかかわらず、われわれはこぞって三本線をはいた。例のごとく自分もその一員である。
ある日、となりのクラスの女の先生がそのことに激怒したことあった。
「同じのようなズボンをはいて、あなたたちに個性はないのか!」
と。(ちなみにその女の先生は某テレビ番組で30人31脚というテレビ番組にてクラスを全国大会決勝へ引き連れて子どもへの怒号を全国に知らしめた泣く子も黙る女性の先生である)
自分はそれをとなりのクラスの友達から聞いたとき、とても驚いたのを覚えている。
今でこそ先生の言いたいことはわからんでもないが当時は流行りということの方が個性よりも優先していた。みんなと同じだということがとても大事だった。
でも、当時は同時に線の色を変えたり、配色で個性を出すのが楽しかったのかもしれない。そういう表現もあるのかなぁとふと思い出しながら考えている。
* * *
少し話しが逸れるが、今日の美術教室でお母さんからこんなお話をきいた。
小学一年生の男の子の話しである。
お母さんがお家で子どもの話をきいているとどうやら学校に「ちょっと変わっている子がいる」という話が出たそう。「変わっている」というオブラートに包んでいたがおそらく「変な子がいるんだ」という言いまわしだったのではないかと思う。
その変わっている子は言葉がカタコトで、名前もずいぶん変わっている。どんどん話をきいていくとどうやら別の国の子のようだった。
「でも、同じ人間なんだから仲良くしなね」
とお母さんは言ったそう。
そしたらその男の子が
「そうだね。びじゅつでもダメがないからね。みんなちがっていいんだもんね」
と。
話の中に急に「びじゅつ」というフレーズが出てお母さんは驚いたそうでこの話をプレゼントしてくださった。
「びじゅつってダメがない」という言葉が小学生1年生、この前まで幼稚園生だった子から出てきたことにとても驚きと同時に感動をした。お母さんたちへ伝えてきたメッセージはいつのまにかこんなところでも芽が出始めていたのかとなんだか少し安心したりもした。
* * *
人との違いをどこで表現するかは人それぞれでいいと思う。三本線のズボンの話のように同じの中で違いを出すのか、まったくちがう方法で違いを表現するのかは自由だと思う。奇抜なことをやることが個性ではない。個性とははみでた部分に宿る。
その子が教えてくれたように、「違っていい」って思えるだけでずいぶん肩の力が抜ける気がする。「個性を出せ」もいいが「違っていい」の方がなんだかしっくりくる気がする。
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さあ、明日も「違っていいこと」を見つけよう
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