渡米11日目 え!?早く日本に帰りたい!?
目が覚めるとすでに12時を過ぎていた。こんな時間まで眠ったのはボストンに来て初めてだ。昨日引越しが終わるのが深夜を過ぎていたこともあるが、ようやく新居に引越しが終わり、子供達の入校手続きに向けた書類の提出も終わり、心が少し緊張から解放されたのだろう。眠り過ぎたせいか少し痛む腰を抱えながら、妻が作ってくれた昼食にも近い朝食を小さなテーブルを囲んで家族4人で食べた。コーヒーがとても美味しく感じる心地の良い朝だ。Tさんファミリーが残して言ってくれたイングラインドのサッカーチームチェルシーのマグカップでこの後どれぐらいコーヒーを飲むことになるのだろう。これから先につながる日々に思いを馳せた。
上の階に暮らす日本人ファミリーのAさんが、車もなくて不自由だろうからと買い物に誘ってくださったと妻が教えてくれた。昨日は引越しの際に、運送業社のアテンドやチップの支払いなどのの対応もしてくださって、正直お世話になりっぱなしだ。
14時に待ち合わせの駐車場に向かうと、この秋から現地のハイスクールに通うという娘さんも挨拶に降りてきてくれた。Aさんファミリーはもう8年ほどここブルックラインで暮らしていて、当初は医療関係の旦那さんの研究でここにきたが、弁護士であるAさんもこちらでライセンスを取り仕事をしているという。なんてパワフルなファミリーだろう。僕たちも側から見るといずれそう他人の目には映るのかもしれないが、きっと遥々ここまできて普通に生活している日本人に、普通の人はいないのだろう。普通というと語弊があるかもしれないが、いい意味で平均的ではなく、人生のスケールが大きい、という感じがする。
車で10分ほどのWegmansという大きなスーパーに連れて言ってもらい、30分ほどで牛乳や卵、野菜など足りない食材などを買い込んだ。値段は68ドル、ちょっと買い足しただけでもすぐに一万円近い出費となった。
昨日テーブルを譲ってくださった現地在住の日本人Sさんが食器類も譲ってくれることになっていて、16時にピックアップに行く約束になっていた。当初16時までにはコンドミニアムに戻りたいと話していたAさんはでもそこから大きな荷物を抱えて歩いて帰ってくるのは大変だろうからと、今夜、この後車でニューヨークまで行く用事があるにも関わらず。時間を延長して付き合ってくださることになった。
Sさんはご自身の次の引越し先では必要なくなくなるからと、鍋からお皿、包丁、ナイフやフォークに至るまであらゆる食器類を無償で譲ってくださった。スーツケースとそれぞれのリュックサックに家族4人でごっそり食器類一式を詰め込んで、Sさんの暮らす3階建てマンションの急峻な螺旋階段を登り降りし、Aさんの車でコンドミニアムに戻ってきた。裸一貫でやってきた僕たち一家は、昨日Tさんご一家から譲り受けた家具類と合わせて、二日目でほとんどの生活必需品が整ってしまった。頂いた食器を一つ一つ洗いながら、なんだか人智を超えた不思議な力が働いているような気がして、そして出会う人たちの温かさに感謝の念を禁じ得なかった。
あれほど毎日のように飲んでいたビールを渡米してから全く口にしていなかったが、近所に酒屋があると聞き、夕方次男と一緒に足を運んだ。こっちではきっとビールも高いから諦めざるを得ないだろうと思っていたら、大好きなピルスナーが6本セットで12ドルで売っていた。日本でも一本300円ぐらいはするから、ビールに関しては物価がほとんど変わらないのかもしれない。ビールを買いこみ、すっかり日が暮れた裏庭で次男と少しバスケをして遊んだ。もっとも今の僕の目には黒いバスケットボールが全く見えなくて、全然遊び相手になってあげることができなかったが、ようやく腰を落ち着けて、新居での生活が始まったことを実感していた。
妻とビールで乾杯し、頂いた大量の食器を洗い終えて、ようやくの夜ご飯となった。渡米の日にサブスクにリリースした最新アルバム「400年の約束」に収録した「Love &Hate」という収録曲が早くも再生回数1000回を超えたとの連絡があり、スピーカーで久々にゆっくりと音楽に浸っていた。
「日本に帰りたい」
ようやく新居に腰を落ち着け始めたばかりなのに、ふと長男が口にした。一度は聞かなかったことにしようかと思ったが、どうしてと尋ねると、吹奏楽部の練習に参加できないし、このまま行くとみんなとどんどん差がついてしまうからという。この春、中一になったばかりの長男は、東京でも有数の強豪の吹奏楽部に入り、パーカッションを任されて先月の演奏会にも一年生で大抜擢されてチームで金賞を取るなど、とても充実した学生生活を送っていた。なのに、父親の僕の都合でアメリカに連れてこらてしまった。
「少なくと年に2回は帰りたい。まず明日帰りたい」
「それはそうだよね・・・。でもまだこっちで学校も始まっていないし、お金もかかるし、そんなにすぐには帰れないよ。こっちの夏休みは長いから、夏休みに中学校に戻っても、即戦力になれるようにこっちでドラムの練習をしたら?」
「・・・だったらこっちでもドラムの先生に習いたい」
アメリカに行ったら英語も喋れないし、現地でドラムなんて習いたくないと言っていた長男が、初めてこっちでドラムを習いたいと言った。彼の心の中で何かが少しづつ変わってきているのを感じた。
「幸いにもこっちにはバークリーという世界一のジャズの学校があって、きっといい先生がたくさんいるよ。ほら、パパとこの間、南青山でライブをしたパーカッションのヨウスケくんもバークリー出身なんだよ」
そんな話をして、最近好きな音楽の話などを続けた。食事が終わると、長男が、日本から持ってきた電子ドラムセットをこれから広げたいという。時計はもう23時近くになろうとしていた。
「これから?」
「うん、これから」
「わかった。パパは疲れているから先に寝るけれども自分でできる?」
「うん、大丈夫」
持ち込んだドラムセットは、日本を経つ直前に13歳の誕生日祝いにと買ってあげたものだ。日本で小学生の頃からドラムを教えてくれたN先生が、アメリカにしても遠隔でドラムを教えてあげることができるようにと、電子ドラムを勧めてくれて、オーディオインターフェイスなどと一式で購入した。当初は5万円ぐらいのキッズ向けのものを購入予定だったが、ローランド製の本格的なドラムセットを長男が気に入った。こっちにすると結局トータルで20万円ほどかかる。渡米前、ドラムセットを訪ねて周り辿り着いた国内でも有数の秋葉原のイケベ楽器のドラムステーションで、長男と購入前にこんな話をした。
「ねえ、やっぱりローランドがいいの?」
「うん」
「じゃあ、ちゃんとアメリカに行くなら買ってあげるよ」
「じゃあ、いらない」
長男は身長こそまだ低いものの、もう思春期を迎えた中学生で、幼い子どもではないのだ。もので釣ろうとするのは間違っている。僕は子ども騙しではなく、真摯に彼の思いと向き合うことにした。
「太陽がドラムが好きなのはよく知ってる。きっと、アメリカに行ったら、学校で辛いこと、大変なこともあると思う。でも家に帰ってきたら大好きなドラムがあれば頑張ろうって気にもなるでしょ?今回の渡米は太陽にとっても長い目で見れば、きっとチャンスになると思う。パパは太陽に頑張って欲しい。だからこのドラムを買ってあげたい。さっきの5万円のドラムは少ししたらすぐ使えなくなるけど、このドラムは日本に帰ってきてからもずっと使えるから。大事にしてね」
そうして、総重量30キロもある大きな段ボールを抱えて僕たちは飛行機に乗り、ホテル暮らしを経て、ようやく新居に辿り着いた。
夕食後、長男は弟に声をかけて、巨大な段ボールを開き、いづれまた梱包されている様子をまたしまう時のためにスマホで写真に撮りながら、ドラムセットを取り出し始めた。どこまで組み立てられるか、できなかった部分は明日手伝ってあげよう・・・。兄弟二人の嬉々としたやりとりを耳にしながら、僕は眠りに落ちた。
DAY11 20230902土3122ー3219ー3309