なんで島に行ったのか。
はじめに
島に漂流して数日が経ちました。
まだ、自分の居場所も心地良さも見出せていませんが、きっと今の自分だからこそ書けるであろうことを書きたいと思います。
そういえば、島に行くまでの経歴は前回までの記事で書きましたが、なんでこの隠岐を選んだのかを書いていませんでしたね。
(僕の経歴が気になる方は読んでみていただけるとすごく嬉しいです。)
今回はなんでこの島をチョイスしたのかを書いてみます。
お金からの解脱
僕の出身は福島県です。大学で東京に出てきて社会人の二年間まで、東京に住んでいました。
ずっと住んで、徐々に働き始めると、当然お金もかかってきますしお金を稼ぐ必要が出てきます。
そう、お金を使うから働いてたんです。
自分の中では、働いてお金が生み出されて、その副産物として好きなものが手に入るのが理想でした。(言語化が得意ではないので伝わるか怪しいですが。”あるべき主語が逆転していた”、というか。)
ただ、現実問題「お金を使うこと」が先行してしまっていたからなんの余裕もできなかったんですよね。
当然貯金なんてできませんでした。
これを一刻も早く脱却したい。
ちゃんとお金の価値を捉え直したくて、辿り着きました。
人間性の回復
前に書いた記事にも書きましたが、僕は二年間ハウスメーカーで働いていました。
働くのはいいんです。問題は働くこと以外の”衣食住”の立ち位置でした。
本来”暮らすために働く”べきなのに、仕事中心の生活になっていました。
家はただの寝る場所でした。
よく、「家は寝に帰る場所だよ」なんて、皮肉混じりに聞いたりすることも多々ありましたが、僕はそれがずっと我慢できなかったんです。
その結果、ちょっとセルフネグレクト気味になってしまっていた時期もありました。
そして、嫌になって会社を辞めました。
今も自己肯定感はめっっちゃ低いですが。
だから、「ちゃんとごはんを食べる。ちゃんと日常生活のなかでいろんな人と話す。ちゃんと自分の好きなことやワクワクすることをやる。ちゃんと寝る。」
僕はこれをずっと「人間性を回復させる」と表現してきました。
このような日常生活をゆっくり楽しみたいと思い、島にきました。
「しなやかに生きる」を捉え直す
こんなサブタイトルをつけましたが、自分でもちゃんと言語化できていない部分もたくさんあります。
僕の周りには、ありがたいことにいい意味で(ここ重要)”なにやっているかわかんない人”がたくさんいました。
「何を生業にしてごはん食べてるんですか・・・?」って質問をする回数も多かったです。
そういう人たちって、僕自身の感覚ではありますが「しなやか」なんですよね。しなやかに生きて、ちゃんと豊かさを手に入れている。
高級車を買って、都心に豪邸を建てて、毎日豪遊するような、いわゆるハイソな暮らしをしているわけではなく、むしろあえて地方に住んだりして、つつましく、でもすごく楽しく暮らしているんです。
(ここすごく言語化したいのに言語化できなくてもどかしいです。ごめんなさい)
スーツを着て満員電車に乗ってビジネスマンをやって・・・
いわゆるサラリーマンやビジネスマンになることや、儲けることに注力する起業家になること以外に選択肢ってあると思うんです。
この感覚をいち早く言語化したい。
脱資本主義とまでは言いませんが、ガンガン稼ぐ!とかの「儲けること」に注力する社会人にはなりたくなくて、お金がなくてももっと精神的・肉体的に豊かさを持っている人の感覚を吸収したかったんです。
この島の人たちは「ないものはない」と、ある意味で分別をつけ、ある意味で肯定的に捉えているように感じています。
この感覚を得るために、海士町がある隠岐を選択しました。
+アルファ、既存のつながり。
実はこれ以外にも、すでに知り合いに海士町に住んでいた方の繋がりが濃かったからっていう経緯もあります。
でもこれはまた別のお話。
最後に
あくまでも僕自身の今の感覚、島にきて数日しか経っていない僕の感覚でこれを書いています。
なので、1年後にどんな記事をかいているかわかりませんし、僕自身も楽しみだったりします。
豊かに、おだやかに。ちょっとずつでもいいから、ある意味「人間性」みたいなものを取り戻したいですね。