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個人ではじめる"メディアのいろは" -「MEDIA MAKERS」まとめ-

皆さま、2021年が始まりました。
昨年は大変な一年でしたが、今年は雲の隙間から光が差し込むような一年になって欲しいですね。

さて、日本茶ドキュメンタリー映画 "ごちそう茶事" も、
いよいよ今年の春にリリースする予定です。

つくった人としては、もちろん、この映画を一人でも多くの人に観ていただきたい。そして、観た後に、グッとくる日本茶体験に一歩進んでいただきたい。
そんな思いを持っています。

すると、「この作品やお茶について、どのように発信し、知ってもらうのか」
というテーマが浮かび上がり、企業活動でなく、個人が好きの活動として何かを発信していく上で知っておくべき、「メディアのいろは」を勉強したい!と考えるようになりました。

そこで、私のメディアの師匠から教えてもらった、
「メディアのいろは」を学びたいならこの本を読んでおこう
と勧められた本のまとめと気づきをnoteします。

<「メディアのいろは」を学ぶオススメ本>
MEDIA MAKERS -社会が動く「影響力」の正体(田端 信太郎、宣伝会議)

手に取ったのは、田端信太郎さんの"MEDIA MAKERS"
WEBメディアが台頭し、SNSを使った個人による発信が全盛の時代に、俯瞰したメディア論と教養として知っておくべきメディア運営のエッセンスが書かれている本です。

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この本を、「個人が、好きの活動として何かを発信していく上でメディアについて知っておくべきことは何か」という視点からまとめてみたいと思います。


メディアの本質 = 信頼と影響力 = 予言を実現する力

メディアについて学んでいく上で、まず最初に、その本質について立ち止まって考えてみましょう。
まず、メディアが生まれる(必要とされる)生態系には、必ず「業界」が存在します。業界というのは、その大小に関わらず、「ある領域でそれを生業(≒経済的な基盤を支える活動)とする人々がいる分野」と言い換えられます。
そして、この業界に対して「観察者」であり「紹介者」であるのが「メディア」だと説明されています。つまり、「業界」と「メディア」は対の関係であり、ある種の共犯関係にあり、運命共同体ともいえます。

業界とは、たとえ小さくともそれを「生業」にするものにとっては、世界です。つまり、メディアという観察者なしに世界は誕生せず、メディアという共犯者なしには世界は成長していかないのです。

ここで面白いのは「共犯者」という言葉です。つまり、業界があってメディアがあるという一方通行の関係でなく、メディアがあるから業界がある(成長する)という双方向の関係にあるという視点が新鮮でした。

本書の中ではその具体例として、ヨガ専門誌の"Yogini"が紹介されています。それまで、かなりあやしいイメージであった「怪しい」「怖い」インド系ヨガのイメージを、"Yogini"という雑誌が、アメリカ経由でのオシャレでヘルシーなイメージに一新します。
このことにより、それまでヨガに縁のなかった若いOLとの間にヨガとの関係が生まれ、新しい業界が誕生・成長したという話です。

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ではメディアが業界と一対の「観察者」「紹介者」だとして、なぜ社会の中でこれほどまで存在意義が大きいのかという次の疑問が浮かびます。
それに対する答えは、これです。

メディアには、そこでなされた予言事態を自己実現させてしまう傾向があり、この「予言の自己実現能力」こそが、メディアへの畏怖と影響力の源泉となっている。

その具体的な例示として、日本経済新聞による報道の影響力が紹介されています。エルピーダの経営状況が厳しい中、実態としては、非常に厳しいものの倒産を判断するには至っていない状況であっても、日本経済新聞が(取材に基づき)「エルピーダ、経営破綻へ」という一面記事を掲載すれば、関係先がこの記事に影響された動きをして(例えば、取引停止など)、結果として、本当にエルピーダが倒産してしまうといった話です。

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このような、一流メディアが持っている「信頼」と「影響力」、そして、そのような信頼と影響力を持ったメディアが語る言葉が起こす「予言の自己実現能力」こそが、メディアの本質であると述べられています。

したがって、メディアの運営者には、このようなメディアの持つ影響力(予言が実態の社会に大きな影響を与える)という自覚と自己自制を持って仕事をすることの重要性も唱えています。

また、ネットメディアが拡大する中で、単に広告メッセージをオーディエンスに到達させる手段としての広告には価値の限界があり、一方で、読者から信頼を勝ち得ているメディアの「無から商品への需要それ自体を生みだす」ような力に対しては、非常に大きな価値がある
そして、発信手段が豊富となり発信の主体が多様化したことにより、このような「メディアの力」の獲得に、個人が挑戦できる時代になったと評価しています。

では次に、個人が好きの活動のメディアとして発信していく上で、抑えておくべき個人型メディア運営のポイントを見ていきましょう。


ポイント①:誰に向けて語りかけるのか(ペルソナの再考)

業界がありメディアが誕生した後、そのメディアが成立し続けるためには、「発信者」「受信者」「コンテンツ」の3つの要素が必要となります。

つい、メディア運営をはじめると、「発信者」としてのToDo(何を発信するか、どのような手段で発信するか、そのためのテクニックは etc...)に注目してしまいますが、田端さんは、「受信者」の重要性について口をすっぱく述べています。

「うちのメディアには、こういう読者がいるんですよ」ということを周囲の関係者(取材先、広告主、社員のみならず、外部ライターやカメラマンなどのスタッフ)の頭の中で「活き活きとしたイメージ」を持って理解してもらえるかどうかが決定的に重要です。
メディアは、情報の受け手と、送り手とが、コミュニケーションするための媒体・媒質なわけですから、受け手である読者の「顔」が思い浮かばねば、広告も打ちようがありませんし、文章を依頼されたライターも、記事の書きようがありません。

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そこで、田端さんは、メディア運営においても「ペルソナ」の設定が必要だと説いています(成功している一流メディアでは、関係者の脳内に、活き活きと独り語りするようなペルソナがいるそうです)。

ここでいう「ペルソナ」とは、実際のユーザーを定量的な属性データ(性別、年齢、居住地など)から絞り込むことに加えて、もっと感情的・心理的な情報も含めてイメージできるように擬人化されたものであり、いわば、ターゲットユーザーの「キャラ設定」となります。

例えば、「30代女性のためのウェブ・マガジン」を企画する際に、30代女性という属性だけでは、「子育て中のママ」なのか「独身でキャリア系のビジネスウーマン」なのかの違いは浮き彫りになりません。この両者では、その興味・関心や趣味・嗜好、購買行動などが大きく変わります。

このような、メディア運営にあたっての「ブレない判断軸」となるためのペルソナ設定のためには、定量調査に基づいて収集したデータ数値の集合として把握するだけでは不十分であり、「一人の生活者」として、電車の席であなたの隣に座るかもしれない生身の人間のようにイメージできるところまで到達できることを目指すべきと説いています。

もちろん、人間の想像力には限界がありますから、実際のペルソナづくりでは、想像力を補完するために、対象ターゲット層を集めてグループインタビューをすることが極めて有効とのことです。

ペルソナの具体例として、ペルソナ開発支援サービスである「ぺるそね」に記事掲載された、mixiな子とfacebookな子のペルソナをご紹介します(本書にも掲載)。

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ⓒCOPROSYSTEM


ここまで、ペルソナの具体化の重要性について述べてきましたが、一方で、メディアとしての読者の拡大や収益性の観点からは、読者のペルソナ設定は、あまりにもピンポイントでニッチになりすぎないバランス感も必要となります。
この点については、田端さん自身も、この分野は勉強の途中であり普遍的に正解を出せるメゾットがあるようなものはないと述べられています。
それゆえに、個人のメディア運営にも大きな可能性が眠っていると言えそうです。

最後に、私がペルソナづくりについてしっくりきた、本書の一節を引用させていただきます。

読者ペルソナづくりは、定量調査と定性調査、編集的なコダワリと広告的なわかりやすさ、ファンタジーとリアリティとの間に生まれ落ちる、アートとサイエンスの中間のような芸術だと思っていただきつつ、それぞれの皆さんが関わるメディアにおいて「読者ペルソナ」について思いを馳せていただきたく思います。


ポイント②:いつ・どんな時に読んで欲しいのか(コンテンツの3軸分類)

メディアが成立する三つの要素(発信者、受信者、コンテンツ)のうち、次は「コンテンツ」についてフォーカスした話です。
メディアで取り扱うコンテンツの形態についてはフレームワークがあり、それは、次の3つの軸から評価されます

1つ目の軸:ストック←→フロー(鮮度と普遍性)
2つ目の軸:参加性←→凝縮性(運営者が編集をコントロールする範囲)
3つ目の軸:リニア←→ノンリニア(読者の消費時間の流れ方)

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これらのフレームは、どちらの方が良い、どちらが上でどちらが下といった関係のものではありません。これは野球に例えるならば、速球派のピッチャーの方が優れているのか、変化球派のピッチャーの方が優れているのかといった話ではなく、打者の気持ちを読んで、両方を織り交ぜて投げれるピッチャーが優れているといった話です。

1つ目の軸:ストック←→フロー(鮮度と普遍性)

3つの軸の中で、最重要の概念がこのストックとフローの視点だと述べており、その理由は、この軸がコンテンツの「時間」に関するコンセプトであるからです。
今の時代はあらゆるものや情報があふれており、コンテンツがどんなに良質であったとしても、読者がそのコンテンツに「時間」を費やすアテンションを得る方が難しい時代です。今は、気づいてもらって、そして「時間」を費やす必要性を感じてもらえないと、どんなに良質なものでも読んでもらえない時代なのです。

ちなみに、一般的なメディアをフローとストックの視点から並べると次のようになります。

フロー型>ツイッター>ニュースサイト>新聞>週刊誌>月刊紙>ムック>新書>単行本>ストック型

そして、繰り返しですが、重要なことは、今の時代はフロー型が良い、ということではなく、このフロー型とストック型を行き来する、使い分けることが重要です。

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フロー型のメディアはアテンションを得るのには向いていますが、速報性が高く鮮度が命です。普遍性のある価値や、深い洞察を得ることのできる情報を伝えることは、やはりストック型のコンテンツでなければ難しいです。

そこで、ストック型のコンテンツに時代にあったフロー性を付与したり、フロー型コンテンツをストック型コンテンツに流れるきっかけ(読者の導線)にすると言った工夫が必要となります。


2つ目の軸:参加性←→凝縮性(メディア運営者がコンテンツの編集をコントロールする範囲)

2つ目の軸は、メディアの運営側(≒編集者)が、提示するコンテンツの編集について、どこまで厳格にコントロールするのかというものであり、少し歴史的な時間軸を入れた方がイメージしやすいと思います。

従来型のマスメディアである、本、新聞、テレビといったものは、基本的に凝縮性の高いメディア、すなわち、コンテンツの編集については基本的にはメディアの運営側が責任を持って行います。つまり、読者や視聴者がコンテンツの編集に参加するという要素はほぼないメディアでした(もちろん、読者アンケートや視聴率といった編集に影響を与える要素はありますが、編集をコントロールしているのはあくまでメディア運営者側です)。

これに対して、近年、ネットメディアを中心に台頭してきたのが、参加型のメディアであり、典型的な事例としては、食べログがこれにあたります。メディアに掲載されるコンテンツは参加者が作成し、メディア運営者は、それを読者が見やすい形にしたり、掲載のプラットフォームを提供するという、いわば場の編集に力点を置き、コンテンツ(投稿内容)そのものは、参加者が編集をコントロールしているというのが特徴です。

では、両者の違いが分かったところで、それぞれの特徴を整理してみましょう。

<凝縮性の高いメディア>
強み:

・ 編集者(≒ここではメディア運営者)の意思がコンテンツに明確に反映される。意思を持って、コンテンツ制作のプロセスとアウトプットの全てを「コントロール」できる。その結果として、コンテンツに対する「責任」が発生し、その報酬として「権威」が生まれる。(例:ミシュラン)
弱み:
・ 編集に参加しているスタッフが持っている情報以上のアウトプットは生まれない。
・ 読者とのコミュニケーションが一方通行になりやすい

<参加性の高いメディア>
強み:

・ 読者が持っている情報をメディアの内容にフィードバックさせることができる。結果として、コンテンツの内容が充実・多様化する。
・ 読者を単なる「受け手」「消費者」を超えた存在に高め、双方向で好循環のループを生み出していくことができる。
弱み:
・ コンテンツの内容や、メディアと読者の関係のループを、メディア運営者が完全にコントロールすることはできない。結果として、メディアの内容について完全に責任を取ることができない。

我々が個人の好きを発信する場としてメディア運営を行う際に気をつけることは、両者の違いを理解して、自分はどの立場で運営を行うかという点です。そしてもう一つ、その立場を読者に対して明確にしておくことです。
すなわち、自分がメディア運営者(≒編集者)として、何をコントロールして何をコントロールしていないかについて自覚し、これを読者と共有しておくことが重要となります。


3つ目の軸:リニア←→ノンリニア(読者の消費時間の流れ方)

最後の軸は、読者が対象メディアを消費する時間がどのように流れるのかという分類です。

まず、リニアなコンテンツとは、初めから終わりまで、一直線に連続した形で見てもらえることを想定したコンテンツであり、映画、テレビ番組、書籍など、従来型のメディアは基本的にはリニアなコンテンツとなります。

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一方、ノンリニアなコンテンツとは、リニアと逆であり、コンテンツの消費の順序が一直線でなくバラバラであり、製作者ではなく読者に委ねられているコンテンツとなります。したがって、よくできたノンリニアなコンテンツとは、どこからどう見ても成り立つよう断片化されてバラバラになっているコンテンツとなります。

これは、ウェブサイトが典型ですが、デジタルメディアの台頭とともに主流となってきたものであり、デジタルメディア上では、ほとんどのコンテンツがノンリニア志向になっていくという引力の下にあります。

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したがって、現代の生活者に対して、連続した時間消費(リニアなコンテンツの消費)を強いること自体の負荷が高くなっており、この点について自覚しておくことは重要だと思います。リニアなコンテンツの消費を求める場合には、例えば、映画を観るために映画館に行く等、どのような場面でそのコンテンツが消費されるのか(長時間の拘束ができる環境が期待できるか)と言った点を想像しながら、閲覧のTPOも整えていくことが必要となります。

リニアなコンテンツ=頭から最後までを見てもらうことを想定
・映画、長編小説など
・視聴者の時間コストが高く、視聴者層は狭く深い。
・純エンタメ向き
・少人数から高課金
ノンリニアなコンテンツ=純不動で断片的に見てもらうことを想定
・ウェブメディア、辞書、カタログなど
・視聴者の時間コストが低く、視聴者層は広い
・実用コンテンツ向き
・多人数から小課金 or 広告モデル



個人メディアの成長と一歩ふみ出す上での課題

本書の最終章では、拡大する個人型メディアの影響力とこれからについて書かれています。文脈としては、様々なコンテンツが一つの媒体に織り込まれた従来メディアから、メルマガから始まりSNSやYouTubeと言った形で拡大している個人メディアに代表される、メディアの「個人化」にトレンドが向かっている中でのお話です。

このようなトレンドが生まれた背景は、メディアの運営(取材、コンテンツ制作、発信)とという、これまでは会社組織のようなチームでないとできなかった作業が、ウェブテクノロジーやSNSの対応で、個人で完結できるようになったことです。

ここで、メディアの本質について立ち返ると、それは、「信頼」と「影響力」から生まれる「予言の自己実現能力」と説明しましたが、発信者自信が既に「信頼」と「影響力」を持っている場合には、読者としてはそこにダイレクトにアクセス・諸費した方が、得るものや満足感が大きいという動機が働きます。その結果として、個人型メディアの存在感は年々拡大している傾向にあります。

一方、ここで、自身で個人メディアをはじめるにあたって、2点ほど立ち止まって考える必要があると思います。

一つはメディア運営に伴う責任について。これは、「信頼」と「影響力」の裏返しとなりますが、メディアが社会的な信用を失う報道をしてしまった場合(影響の大きい誤報などがその典型です)、会社としてのメディアの場合、その責任や社会的な制裁は当該企業に向けられ、企業の寿命や状況の推移とともに減衰していくことが一般的です。

他方、個人型メディアの場合は、それらの責任や社会的制裁は一人の個人に向くこととなり、また、個人の寿命は企業の寿命よりも長いことから分かるように、その影響も長期間に及んでしまう可能性が高いです。
このことは、いつも頭の片隅に置きながら個人型メディアの運営に取り組んでいくことが重要だと思います。

原点にもとれば、発信する情報の内容についての「信頼」と「影響力」を常に意識しながらコンテンツの編集・発信を行うということは、リスク管理の視点のみならず、メディア運営において本質的に重要な視点であり、改めて、この点を注意して取り組むということに尽きると思います。

自身で個人メディアをはじめるにあたって立ち止まって考えるべきもう一つのポイントは、まだ社会的な「信頼」や「影響力」が確立されていない人は、どのようにしてこれを確立していくかという問題です。
この点については、メディアのいろはを学ぶ上で紹介してもらったもう一冊の次回の書籍、「僕らの仮説が世界をつくる」で勉強していきたいと思います。

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コンパクトにまとめたつもりでしたが、長い記事になってしまいました。
ここまで読んでいただいた皆さま、ありがとうございました。
それだけ、充実した書籍であったということだと思います。
著者の田端さん、ありがとうございました。

ではまた次回。

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