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つくる側の苦しみ、つかう側の幸せ

おはようございます!
 
つくりすぎのバカさ加減
と私は言いました。

栄養ドリンクが
大きく値崩れしたときです。
 
OTCメーカーは栄養ドリンクをつくりすぎ、
小売店に押し込むものだから、
値が大きく崩れていました。
 
営業の人はノルマに追われて、
小売店に頼み込んで
半年、一年分の在庫を
抱えてもらっていました。
時には自分で借金をして
買っていました。
 
売れないのに売るのだから値は崩れます。
値が崩れれば、利益は出ません。
利益なき繁忙に、
「つくりすぎのバカさ加減」
と言ったのです。
 

 
欲しいものが、欲しいわ。
 
1988年の西武百貨店のコピーです。
糸井重里さんの作です
 
需要を供給が上回り、
欲しいものがないことを表した
このコピーは飽食の時代の象徴です。
 
この時に、供給サイドは辛いと思いました。
住むところがない、
着るものがない、
食べ物がない時は
頑張ってつくれば感謝されました。
 
今は、なにをつくっても、
それ見たことある、
それ持っている、
他と違う特徴は?
とすぐに問い詰められてしまいます。
 
このような環境で、働くのはつらい。
需要サイドにとっては天国ですが、
供給サイドにとっては地獄です。
 

 
そして生成AIです。
 
自分そっくりの映像が作られ、
俳優が肖像権を侵されると
ストライキをしています。
 
将棋の世界やスポーツの世界が、
劇的なストーリー展開で
生成AI動画の世界に
取り込まれるかもしれません。
 
供給側の苦労は
さらに増していきそうです。
 
では、需要側はどうかと言えば、安泰です。
 
物を使って便利だなあとか、
スポーツをして爽快だなあ
と思う感情は
生成AIに取って代わられることは
なさそうです。
 
自分で体験し、
感じることは無くなりません。
 
自分で感じることを、
何かに代替されるイノベーションは
今のところ私は聞いたことがありません。
 
こうして考えると
「我思う、ゆえに我あり」といったデカルトは、
本質をついていたのでしょう。
 
今日もよろしくお願いします。
 
安島

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