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なぜ、北条の家紋は三ツ鱗なのか? 北条時政の江ノ島参籠と龍神伝説
北条家の家紋といえば「三ツ鱗」ですよね! この三角形が三つ並んだ家紋には魔除けの力があるという説がありますが、あの小田原北条氏も堂々と使用しています。今回は、この「三ツ鱗」の由来となった龍神伝説をご紹介します。
北条氏、伊豆の豪族から天下人へ
伊豆の田舎豪族がいつの間にか天下を取った! その原動力となったのが北条時政さんの鋭い嗅覚と決断力であることはすでに書きました。みなさんもご存知のように、頼朝公と政子さんがいい仲になったとき、時政さんは頼朝公を支える覚悟を決めました。まだまだ平家の力が強かった時、いくら貴種とはいえ一介流人に過ぎなかった頼朝公のお味方をするのは、はっきりいって博打です。でも、この博打に勝ったことから北条は天下を取ることができたのです。歴史に「もし」はありませんが、もし時政さんが伊東祐親と同じように頼朝公を見限っていたら、鎌倉幕府は誕生しなかったことになります。
江ノ島の三つ鱗、龍神伝説の真相
そんな時政さん、じつは神仏からの後押しもあったようなんです。なんと『太平記』には、時政さんが積んだ善行が幸運を呼び寄せたとする逸話が書かれているんです。ということで、原文をのせます。なお、読むのがめんどくさい人は現代語訳までスクロールしちゃってくださいね。
原文
昔鎌倉草創の始、北条四郎時政榎嶋に参篭して、子孫の繁昌を祈けり。三七日に当りける夜、赤き袴に柳裏の衣着たる女房の、端厳美麗なるが、忽然として時政が前に来て告て曰、「汝が前生は箱根法師也。六十六部の法華経を書冩して、六十六箇国の霊地に奉納したりし善根に依て、再び此土に生る事を得たり。去ば子孫永く日本の主と成て、栄花に可誇。但其挙動違所あらば、七代を不可過。吾所言不審あらば、国々に納し所の霊地を見よ。」と云捨て帰給ふ。
其姿をみければ、さしも厳しかりつる女房、忽に伏長二十丈許の大蛇と成て、海中に入にけり。其迹を見に、大なる鱗を三つ落せり。時政所願成就しぬと喜て、則彼鱗を取て、旗の文にぞ押たりける。今の三鱗形の文是也。其後弁財才天の御示現に任て、国々の霊地へ人を遣して、法華経奉納の所を見せけるに、俗名の時政を法師の名に替て、奉納筒の上に大法師時政と書たるこそ不思議なれ。
されば今相模入道七代に過て一天下を保けるも、江嶋の弁財才の御利生、又は過去の善因に感じてげる故也。今の高時禅門、已に七代を過、九代に及べり。されば可亡時刻到来して、斯る不思議の振舞をもせられける歟とぞ覚ける。
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現代語訳
昔、鎌倉幕府が創設される頃、北条四郎時政が江ノ島に籠もり、子孫の繁栄を祈りました。21日目の夜、赤い袴に柳裏の衣を着た、美しく端正な女性が忽然と時政の前に現れて言いました。
「あなたは前世、箱根の法師でした。全国66か所の霊地に法華経を書写して奉納した功徳により、再びこの世に生まれることができました。そのため、あなたの子孫は永遠に日本を治めることができ、栄華を誇るでしょう。ただし、行いに誤りがあれば、七代を越えることはできません。私の言葉に疑いがあるなら、あなたが法華経を納めた霊地を確認してください。」
そう言い捨てて去ると、女性の姿を見ていた時政は驚きました。その美しい女性が突然、体長20丈(約60メートル)ほどの大蛇となり、海中へ消えたのです。その跡を調べると、大きな鱗が3枚落ちていました。時政は自分の願いが成就したと喜び、その鱗を取って旗の文様にしました。これが現在の「三鱗形(みつうろこ)」の文様です。
その後、弁財天の御加護に従い、全国の霊地へ使者を送り、法華経を奉納した場所を確認したところ、奉納された筒の上に「大法師時政」と書かれていました。これは俗名の時政を法師の名前に変えたものです。弁財天のお告げが事実であることが確認されたのです。
相模入道(北条得宗家)が七代にわたって天下を保てたのも、江ノ島の弁財天の御加護と過去世の善行のおかげです。しかし、今の高時禅門(北条高時)はすでに七代を過ぎ、九代目に至っています。そうであるからこそ、滅亡の時が訪れ、田楽や闘犬にうつつを抜かし、うつけのような行動をするようになったのではないかと思われるのです。
北条氏の栄華と終焉
かくして北条氏はこの三つ鱗を家紋とし、鎌倉幕府の執権として代々政権を掌握します。時政さん、義時公、尼将軍政子さんは土台を作り、以後は御成敗式目を制定した泰時公、鉢の木の逸話で知られる時頼公、蒙古襲来を撃退した時宗公など、名執権を輩出していきます。歴代得宗家で暗愚とされるのは最後の高時だけです(泣)
結局、弁財天のお告げどおり鎌倉幕府は高時の代で滅亡してしまいます。『太平記』もこの結末を「ほら見たことか!」とばかりに語っています。その誹りは一旦甘んじて受け止めますが、おいおいこのnoteで抗弁していきたいとも思っています。
北条家というと、世間一般ではどうしても権謀術数というか、陰湿なイメージがつきまといます。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも小栗旬さん演じる義時公がどんどんダークサイドに落ちていきましたね。
源家将軍を排除し、ライバルの御家人たちを追い落とし、必要であれば身内も切り捨ててく。そうやって権力基盤を整えいったことは事実です(開き直ります)。でも、そのおかげで130年もの安定的な治世をもたらしたという功績は称えられるべきでしょう。
ということで、これからも大したことは書けませんが、そんな北条一族の活躍に少し光を当てていきたいと思います。