会話の持つ有害性
「これ読みなよ。君に役立ちそうな事が書いてるから」
以前に善意からそういう風な事をしていた時期があったのだが、結論からいうとこの関係は全く成立しなかった。
これは自分自身もそうなのだけど、他人から勧められた本というのは読めない。小説なんかその最たるもので、面白いよと言われて小説を渡されるのは負担以外の何物でもない。
相手は感想を聞きたくてウズウズしているのだろうけど、こっちは感想を求められる時点で負担だし、そもそも読むもの負担である。
こんなにズシーンとした重しをのっけてきて、かつ善意で「面白かったでしょ」なんてキラキラした目で尋ねられてきたら、多くの人はウッ…となるに違いない。
本を相手に渡すのと言うのは一種の暴力のようなものなのだ。「なんか面白い本あった?」と聞かれたのなら答えてもいいけれど、逆にそれよりも「最近なんか面白い事とかあった?」と聞いた方がよっぽど無難である。
だってみんな、自分の話を聞いてほしいのだから。
会話はショーケースの陳列みたいなもの
人間は言語でコミュニケーションをとる不思議な生き物である。
カロリーベースでいえばだ。話すというのは情報をわざわざエネルギーを使って音に変換する作業である。
だからコストという意味では話すことは聞くことよりも、逆に億劫な行為になってもおかしくはない。それなのに…自分の知る限り、人の話を聞くという事が好きだという人は例外で、話したい人の方がよっぽど多い。
なぜ人は話したがるのか?なぜ人は聞きたがらないのか?これは会話という行為が何に基づくものなのかを理解できれば、納得ができる。
会話とは…実は単なる
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