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【蹴鞠】実はサッカーの起源!?日本人が熱中した古代スポーツの歴史

どーも、たかしーのです。

今回は、『蹴鞠』について、書いていきたいと思います!
「蹴鞠」と書いて、けまりまたはしゅうきくと読みます。
W杯におけるサッカー日本代表の快進撃や、大河ドラマ「鎌倉殿の13人」で何度か貴族や武士が蹴鞠をする様子が描かれていたので、今回ちょっと深堀ってみました。


そもそも蹴鞠とは?

グループで鞠(まり)をリフティングしあう球技のこと

蹴鞠とは、グループ(6人または8人)で円陣を組み、鞠(まり)を蹴り合う球技のことを言います。現在の日本でも、行事として蹴鞠を実施している神社がいくつかあります。

動画は、下鴨神社で毎年1月に行う蹴鞠初めの模様。
皆さん、鞠のリフティングがほんとお上手です!
(途中、ハプニングがあるところも、良き良き)

実はルールがいろいろ決まっています

サッカーボールでやるグループリフティングだと、学校の休み時間や体育の時間にノリで1度はやった経験があるかとは思いますが、蹴鞠はルールがいろいろと決まっており、蹴鞠会ではそのルールに従って、行われています。

その主なルールがこちら。

  • 平安時代の官人の衣装をユニフォームとする

  • 一辺約13メールの鞠庭をフィールドとする

  • 相手が蹴りやすいように鞠を送り、蹴り続けた回数を追求する

  • 常に右足で蹴り上げる

  • 「アリ」「ヤア」「オウ」と掛け声をかけながら蹴り上げる

  • 親指の付け根を鞠に当てて蹴り上げる

  • 鞠を蹴り上げる高さは、約4.5メートルが理想

  • 蹴った時の音や鞠の回転の良さも問われる

  • 後ろ向きに蹴るのは不作法

正直、無理ゲーすぎますが、このルールを踏まえて、先ほどの動画を見てみると、確かにそうやってますね!スゴイッ!

蹴鞠の歴史

元々は儀式だった蹴鞠

蹴鞠という球技が生まれたのは、中国

元々は雨乞いの儀式として行われていました。
古代中国の人たちは、雨が降らないのは天と地のバランスが崩れているからだと考えられており、このバランスを取り戻すため、物を天と地の中間である空中に留まり続けるということを良しとし、鞠を高く蹴り続ける儀式を執り行っていたそうです。

そこから、春秋戦国時代(周王朝末期)に、軍事訓練として取り入れてから、中国の王朝はその後どんどん移り変わるも、蹴鞠は球技としてどんどん発展をしていきました。(ただ、明王朝のときに流行りすぎて禁止令が下ったそうですが…)

太監(宦官)の蹴鞠を見物する明の永楽帝(wikipediaより抜粋)

中国から日本に渡来した蹴鞠

そんな中国で広まっていた背景もあり、日本には飛鳥時代ごろ、仏教と同じく中国の最先端の文化として伝わったとされています。

かの中大兄皇子(のちの天智天皇)は、のちに蘇我氏を滅ぼす乙巳の変をともに起こした中臣鎌足と出会ったのは、皇子が鞠を蹴った際に落とした履物を拾ったことがきっかけとされています。

かの清少納言も『枕草子』の中で、

「あそびわざは、小弓、碁。さましけれど、鞠もをかし。」
(遊びは小弓。碁。格好は悪いけど、鞠も面白い。)

清少納言『枕草子』より

と、蹴鞠ををかし認定しているなど、平安時代の貴族の中でも流行っていたことが伺えます。(たぶん蹴鞠をする貴族男子を見て書いたと思われる。さすがに清少納言が蹴鞠はやらないでしょう…)

清少納言(wikipediaより抜粋)

「蹴聖」藤原成通の蹴鞠伝説

また、貴族の中から、蹴鞠が超絶ウマすぎて「蹴聖」と呼ばれた人物も登場するようになります。それが、藤原成通(ふじわらのなりみち)です。

藤原成通は、自身の健康維持のため、蹴鞠を始めたそうですが、これがあまりに楽しかったのか、1000日休まず蹴鞠をするという誓いを立て、それを成し遂げることに成功します。(すげぇ…)

この誓いを成就した日の夜のこと、彼の夢に3匹の猿の姿をした鞠の精霊が現れます。(蹴鞠のしすぎや…)

藤原成通と蹴鞠の精の三猿(wikipediaより抜粋)

この猿たちは、自分のことを「夏安林(げん)」「春楊花(しゅんやうか)」「秋園(しゅうおん)」と名乗り、これがのちに「アリ」「ヤア」「オウ」という掛け声の由来となったとされています。なお、この3匹の猿を、蹴鞠の守護神として祀る神社もあります。

そんな夢にまで出てくるほど、鍛錬した藤原成通ですが、彼の蹴鞠にまつわる伝説がいくつも残っており、清水の舞台の欄干(らんかん※)で蹴鞠(けまり)をしながら何度も往復した従者たちを並ばせてその頭や肩の上でリフティングをしたが従者たちは誰も気付かなかった、といった神業エピソードが残されています。
※欄干とは、橋を渡る人が下に落ちないようにするための柵のようなものこと。つまり、柵の上にリフティングをしながら、何往復もしていたのか…ひえっ…

今日まで続く蹴鞠の文化

鎌倉時代になると、武士階級でも盛んに蹴鞠が行われるようになります。鎌倉幕府二代将軍源頼家や、三代将軍源実朝も、蹴鞠を遊んだことのある人物として記録されています。(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」での頼家の蹴鞠のこだわりっぷりはスゴかったなぁ…)

室町時代を経て江戸時代に入ると、蹴鞠は一般庶民にまで普及して、当時のエンタメである謡曲・狂言・浮世草子などにも題材として、登場するようになりました。

その後、明治維新以後、いったん日本での蹴鞠ブームは落ち着きを見せますが、明治時代後期に京都で蹴鞠保存会が発足され、今日まで、神社の行事として披露されるようになりました。

サッカーの起源は蹴鞠??

そんな蹴鞠ですが、なんとサッカーの起源だったのでは?という説があがっています!

定説では、中世イングランド説で「8世紀にイングランドで敵将の首を切り、蹴って勝利を祝った」ことが起源とされてきましたが(グロい)、FIFA(国際サッカー連盟)の会長が、中国の博物館にサッカー起源の認定書を送っていたことがきっかけとなり、歴史学者らの間で話題となりました。(特にイギリスの学者は、それはもうおこだったようで…)

ただ、このFIFA会長がサッカー起源の認定書を中国に送っていたというのは、起源として認めたというよりも、世界的にサッカー人口を拡大するための営業活動だったのでは?イギリスと仲が悪かったのでは?といった理由も説として挙げられており、正直なところ、ホントかどうかは定かではありません。

ただ、現代サッカーの基礎を作ったという観点だと、イギリスが起源であるとされています。どこを起源にするかが、難しい話ですなぁ。

おわりに

蹴鞠の歴史を調べていたら、なんとサッカーの起源にまでたどり着き、正直驚きました。

ただ、ここ数年、日本のサッカー選手による海外プロリーグでの活躍や、W杯での快進撃を見ると、鞠がともだちだった先祖たちのDNAが脈々と受け継がれ、今日の選手たちの躍動につながっているのでは?と、少ながらず考えてしまいます。(藤原成通の生まれ変わりがどこかにおるかもしれませんなぁ)

他にも、こんな感じで日本や海外の文化なども、記事に書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!

それでは!


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