【節分】鬼滅の神様をいつしか鬼として追い払うようになった日本の国民的行事【追儺】
どーも、たかしーのです。
今回は、『節分』について、書いていきたいと思います!
そもそも節分とは?
本来は立春・立夏・立秋・立冬の前日を指す
『節分』とは、文字通り「季節を分ける」という意味であり、もともとは立春・立夏・立秋・立冬の前日のことを指していました。
この「立春・立夏・立秋・立冬」(※)とは、 二十四節気における季節の区分のひとつであり、それぞれ春夏秋冬の始まりを表しています。
※この4つのことを「 四立」と呼びます。
ちなみに、「二十四節気」とは、中国が戦国時代だった頃(紀元前4世紀)に発明された暦(カレンダー)のことであり、太陽の動きに基づいて、1年を4つの季節に分け、さらにそれぞれの季節を6つに分け、計24(4×6)の期間(約15日)に分割し定義したものを言います。
この「二十四節気」は、日本でも使われるようになりましたが、中国とは気候が異なることから、そのまま使うのではなく、日本向けにカスタマイズがされ、「土用」「八十八夜」「入梅(梅雨入り)」(※)など、日本独自の暦を追加して、取り入れられました。
※これらを「 雑節」と呼びます。
そして『節分』も、中国にはない、日本独自の暦である「雑節」なのです。
現在は立春の前日を指す
現在では、立春の前日のみを指し、主に2月3日のことを『節分』と呼んでいます。ですが、年によっては『節分』が2月3日にならないことも、たびたび起こります。
これは、立春の日付が年によって異なることがあり、その前日である『節分』も、当然ながら変わってしまう、というのが理由なのです。
実際、2021年(令和3年)は、2月2日が節分の日となりました。
この立春の時期が年によってズレるのは、地球の公転周期が関係しています。
地球は、太陽のまわりを約365日かけて自転をしながら公転しています。
なので、1年=365日と定義されるわけですが、 閏年だけは1日追加され、4年に1度は1年=366日となります。
これは、約365日というのがミソで、正確には、地球は太陽のまわりを365.2422日かけて公転しています。つまり、仮に閏年なしで1年を365日として過ごしていくと、だんだんと暦と季節にズレが生じることになります。
このズレを解消すべく、4年に1度は1日を追加することで、
(365+365+365+366)÷4= 365.25日
となり、4年ごとで見ると実際の公転周期に近い日数で、暦を定義できるようになりました。
この暦を導入したのが、ローマの英雄ガイウス・ユリウス・カエサルでした。そのため、この暦法は「ユリウス暦」と呼ばれています。
なお、この暦をカエサルが導入した当時は、暦が季節に比べて2ヶ月以上もズレていたんだそうです。
しかし、それでも実際の公転周期(365.2422日)と比べると、まだ誤差は生じていくため、1582年には「グレゴリオ暦」と呼ばれる暦法が導入され、「100で割り切れる年は閏年にしない」「400で割り切れる年は閏年のまま」というルールが追加されました。
この「グレゴリオ暦」を適用することにより、400年ごとで見ると、
{(365+365+365+366) × 100 - 3} ÷ 400 = 365.2425日
となり、実際の公転周期(365.2422日)にほぼ近い暦にすることが可能となりました。この暦が現在使われているものとなります。
このような暦と季節のズレを解消すべく、古代や中世の人たちがあの手この手で知恵を絞り、実際の公転周期に近い暦を築いてきたわけですが、それでもまだ誤差があるため、地球から見た太陽の位置により求められる立春の日も年によってズレが生じることになります。
話を『節分』に戻しますが、2021年の節分の日が2月2日となったのは、これら暦の影響を大きく受けています。
日本で立春を迎える時刻は、以下のように求められています。
※すでに未来の立春の時刻も、はじき出されています。
2020年:2月4日 18時03分
2021年:2月3日 23時59分 ← 2020年が閏年なので1日遡っている
2022年:2月4日 5時51分
2023年:2月4日 11時42分
2024年:2月4日 17時27分
2025年:2月3日 23時10分 ← 2024年が閏年なので1日遡っている
そのため、立春の前日である『節分』は2021年に2月2日となったのです。節分の日が2月2日になったのは、実に124年ぶりのことでした。
また、2025年の立春の時刻を見てもらえるとわかりますが、実は2025年の『節分』も2月2日になることがすでにわかっています。
ちなみに、2021年をきっかけに、今後しばらく『節分』は4年に1度、2月2日となることが、すでに明らかとなっています。
節分の謎イベント「豆まき」
なぜまくのが豆なのか?
節分の日に豆をまくのは、悪魔のような鬼の目(魔目)をめがけて豆を投げれば、魔が滅する(魔滅)からだ、と言われています。
このことから、昔は「豆」は鬼を追い払うアイテムだけでなく、同じ音で「魔目」とも書けるため、鬼そのものとも捉えていたと考えられています。
そのため、今でも「鬼は外!」と唱えながら、家の外に豆を投げる風習があるのは、豆が鬼そのものだから、と言えるのです。
鬼を追い払うイベント「追儺」
そもそも鬼を追い払うという行事は、文武天皇の時代の706年(飛鳥時代)に、中国から「 追儺」と呼ばれる風習が伝わり、日本の宮廷行事として、行われるようになりました。
「追儺」は、 方相氏という古代中国の伝承に登場する神様に扮した役人が、4つの目のついた黄金の面を被って、矛と盾を持ち、目には見えない悪鬼たちを自らが先導して、追い払うという儀式のことです。
この「追儺」が行われていたのは、立春の前日、つまり『節分』の日でした。
これは、「立春」は、春の始まりを表しますが、同時に新年の始まりも表しています。そのため、立春の前日である『節分』は、現在でいうところの大晦日にあたり、年越しの行事が行われる日でもあったのです。
つまり、「追儺」は、年越しの行事として、執り行われていました。
また、昔の大晦日にあたる立春の前日(=今の『節分』)は、季節の変わり目であり、体調を崩しやすい時期でもあることから、このような病魔を、当時の人々は鬼を捉え、季節の変わり目は、鬼が忍びこみやすいと考えられていました。
こうした背景もあって、気持ちよく新年を迎えられるよう、大晦日に「追儺」は盛大に行われていました。ただ、この頃に豆がまかれていたかどうかは定かではなく、米だったのでは?という説もあります。
鬼を追い払う神様が鬼になった!?
やがて、時代が室町時代へと移ると、「追儺」は、宮中から社寺に普及するようになります。ここで、何を間違ったのか、方相氏を鬼を捉えるようになってしまい、いつしか方相氏を追い払う儀式に変貌を遂げてしまいました。(方相氏、カワイソス…)
また、室町時代の文献によると、都の公家や武家の間では、鬼を追い払うための豆まきが習わしとなっていたことが記載されており、どうやらこの頃に、現代における節分の原型が作られたと考えられています。
その後、豆まきは、江戸時代以降になると、庶民の間にも広がるようになりました。
ちなみに、この「追儺」は、鬼ごっこの起源とも言われています。
なぜなんだ!?節分の風習
なぜ恵方巻きを決まった方角に黙って食べるのか?
節分の日には、太巻き寿司を毎年決まった方角を向いて、切らずに一本丸ごと無言で食べきるという、謎の大食いイベントがあります。諸説ありますが、江戸時代の大坂の商家が始めたことがきっかけで、全国に広まったと考えられています。
なぜ、毎年決まった方角を向く必要があるかというと、その方角には歳神様がいるからであり、そこへ向かって事を成すことで、願いが叶う、縁起がよいとされているからです。
この縁起のよい方角を「 恵方」と呼ぶことから、この恵方を向いて食べる巻き寿司を「恵方巻き」と呼ぶようになりました。
また、なぜ巻き寿司を切らずに一本丸ごと食べる必要があるかというと、一般的には、歳神様との「縁を切らない」という意味が込められています。
そのほか、巻き寿司によっては、七福神にちなんで七種類の具材が巻き込まれていることから「福を巻き込む」という願いが込められているそうです。
なお、なぜ無言でなくてはならないかについては、由来がわかっていないそうですが、歳神様のいる方角を向いて食べるという風習から、失礼のないようにするためと思われます。
ちなみに、この「歳神様」は、正月にもゆかりのある神様であり、伝承ではスサノオの子供であるとされています。
なぜイワシの頭を玄関に飾るのか?
地域によっては、節分の日に豆まきをしてからイワシを焼き、そのイワシの頭をヒイラギの枝に挿して、玄関に飾るというものがあります。
これを「 柊鰯」と言います。
また、イワシを焼くときにでる煙と強い臭いで邪気を追い払い、尖ったヒイラギのトゲで鬼の眼を刺すという魔除け・厄払いの意味があると言われています。
なお、この「柊鰯」ですが、イワシの頭のようなつまらないものでも信仰すれば、尊いものに見えるという言葉の意味をもつ「鰯の頭も信心から」の語源だとも言われています。
なぜ年の数だけ豆を食べるのか?
節分には、「福は内」と家の中にまいた豆を、後で拾い集めて炒り、年の数だけ食べるという風習があります。
これは、米と同じエネルギー源であり、鬼を追い払うような霊力を持つ豆を年の数だけ食べて取り込むことで、パワーがもらえるといった効果があると考えられていたからです。
また、地域によっては、「今の年齢にプラス1個」の豆を食べるところもありますが、これは大晦日の行事であったなごりで、年を迎えるごとに厄が1つ増えることから、その分1個プラスして食べるといったことに由来しているそうです。
おわりに
今回は、『節分』について、書いていきました。
正直、書いていて、節分はネタの宝庫だなと思いました。
あと、正月と同じく食事に関する風習が今回も出てきましたが、おせち料理と比べて、かなり過酷だなとも感じました。(巻き寿司を丸ごと1本、豆は年の数だけ食べる…)
あと、方相氏がほんとカワイソウでしたね。
どこかで猗窩座みたいな鬼に「お前も鬼にならないか」とでもスカウトされたんでしょうか?(猗窩座を知らない方は「鬼滅の刃」で検索)
なので、今年の節分は、方相氏のことも頭に置きつつ、各地のニュースなんかで、節分の様子を眺めたいなと思います。
今年も、この歴史上の人物や神話などをベースに、このような記事を書いていく予定ですので、是非フォローなどしてもらえるとありがたいです!
それでは!